2020年01月01日

利他村の「年頭所感」

 あけましておめでとうございます。

 零和2年目は東京オリンピックに人々の関心が集まり、メディアではアメリカ経済の好調、日本も高級マンションや高級自動車の販売の好調、株価も好調と報道されていますが、大多数の民にはどうもそのような好調の実感はなく、イギリスのEU離脱・アメリカと中国の経済対立などあり世界が不況期に入ったと言われているSNSで飛び交っている情報が正しいと思っています。

 そして気になるのはジンクスのように年号が変わる時期には大正初期は第一次世界大戦、昭和初期は金融恐慌から世界恐慌、昭和初期はバブル崩壊とあり、令和の初期の現在専門的になりますが短期金利が長期金利を超える異常な様相を呈しており金の相場も急騰しかかっていますので何時始まっても不思議でないと言われている金融破綻がすでに始まっているのではと思えることす。

 もしジンクスどおりに危機が生じ困難な時期が始まっているとすれば国民に信頼される強いリーダーの誕生が求められますが、歴代最長になった安倍首相の「身内優先公私混同の忖度政治」や「欺瞞と言い逃れ答弁」や「公文書の改ざんや破棄」が平然と行われ「それに対する野党の追及を逃れるために国会を早々に閉鎖」するなど「民のため民主主義」をないがしろに「自己の思い(憲法改正)を良しとして推し進める「安倍強権政治」は逆の「富国強兵」の戦前回帰で、それに司法・行政・立法やメディアが「長いものには巻かれよ!」の「忖度」がまかり通っている現状、また多くの民も「ゆでガエル」に甘んじている現状を見ると危機の上塗りはあっても危機の回避は望めないと思っています。

 そもそも「資本(お金)主義」が持つ競い合いが行き過ぎ、格差が拡大固定化するようになったにも関わらず為政者も各業界リーダーも「今だけ金だけ自分だけ」に陥って自浄作用をなくしており、もはや「経世済民」の精神を基にした「健全な資本主義的な成長経済」に立ち戻るのは到底無理と言うしかなく、自然破壊のない自然との共生と貧富の格差のない「共創共生の調和経済」にシフトアップするのはまさに夢の夢で、それは「古い世界が崩壊しないと新たな世界は生まれない」これこそ「神の見えざる手」に委ねるしかないのかも知れません。
 
 そのような人知を超えた危機のジンクスの零和初期だとすれば、すでに「金融危機」から「経済破綻」そして「恐慌から戦争」に向かっていることを前提にまずは我が身の問題として切実に捉え一人一人が出来うる「自立の準備」の取り組みをすることだと思っています。

 そして利他村の「利他の準備」としては時代認識を共有し合えるダーチャ(週末は田舎で農園ぐらし)の仲間の「自給できる農野菜の栽培つくり」を仲間と共に確実なものにすることだと思っています。

 そのうえで仲間と新たにな未来を語り合い、また新たな未来つくりの取り組みをする全国のグループとのネットつくりへと広げることだと思っています。

    本年もどうかよろしくご指導ご支援いただきますようお願いいたします。

 
posted by コ−エン at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月13日

安倍政権の「桜を見る会」の対応には「うんざり」を通りこして「怒り」さえ覚えます。

森友・加計問題では「国民に充分な説明をします」の発言は果たさず、不都合な資料は各省の忖度による「書き換え(改ざん)」や「破棄」のまま参議院選挙で勝てば「禊ぎがあった」とし、今回の「桜を見る会」も誰が見ても「問題あり」が明らかにも関わらず資料は「シュレッターで破棄」復元可能な「電子データーも消去」さらに「バックデーターは行政文書でない」など答えにならない答弁を繰り返すばかり、野党の国会の会期延長要求は拒否し「ほとぼりが冷める」のを待つ安倍政権の「モラルもなき政権運営」には腹立たしさを感じています。

 そもそも国政や行政の記録は歴史的記録として国家財産であり「紙媒体」しかない時代は保管面で重要度に応じて廃棄も仕方がないとは思うものの「電子媒体のデータ」の時代にあっては「行政上の政策の失敗や好ましくない言動」もすべてを永久保存にすることは基本中の基本でもあり常識中の常識でもあり、それを権力を預かる与党や首相が「権力への保身と維持」のために「虚偽や言い逃れ」を繰り返し不利になる記録は「平然と破棄した」と言い放すのは「民主主義」の原点に反するばかりか、そのような「モラルなき醜態政治」は「民のモラルも著しく低下させ」「世界からの評価の低下をもたらし」あってはならないことです。

 残念なことにこのような重大局面に関わらず与党の中には正面切って首相交代を迫るリーダーはなく、野党に至っても大同団結をし民から安心し信頼される政策を掲げて民と共に政権交代に導く絶好の機会に関わらず問題追及に終止するばかり「れいわ新選組」の右翼や左翼とか保守や革新と言った固定観念を乗り越え民の側からの新たに時代の息吹と流れが生まれているにも関わらず大半の民は「ゆでカエル」を甘んじているようで新たな令和の時代が開かれるのはまだまだ先になるのではと危惧しています。

 しかも最長になった安倍長期政権の間「人口減少」と「少子高齢化」は進みつづけ、失敗したのか「アベノミクス」の言葉さえ言われなくなくなり、国際的に優位であった「教育水準」「技術水準」はどんどんと下がり、国内的には貧富の格差の拡大固定化が続き「美しい日本」の訴えは時代逆行の「新安保と軍事力強化」しか目立たず「成長から成熟」に入った時代にあって未来志向の新たな豊かさをもたらす政策は何ら見当たらないように思っています。

 ただ昭和の初めには昭和大恐慌、平成の初めにはバブル崩壊とあり、経済破綻(金融危機)が何時生じても不思議でない現在令和大恐慌もあり得ることで、安倍政権への不信と怒りに終わるだけで何もしないのはそれこそダメで、少なからず個々人で出来る「危機への準備」と「新たな時代への準備」を意識的に心がけ行動しないとと強く思っています。

 そのような思いもあって利他村はまずは危機を前提に「自給自足可能なライフスタイル」を目標に新たな時代の「コミュニティーつくり」の取り組みをしています。

posted by コ−エン at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月27日

フランシスコ教皇と今生天皇の「平和の願い」に思う

フランシス教皇が来日し広島・長崎で「核兵器廃止」を全世界に訴えましたが、唯一の核被爆国の日本は「核兵器禁止条約」に署名しないままで「核廃絶に向かって世界をリードする」との安倍首相の発言にはむなしさを感じるばかりです

 そしてフランシスコ教皇の平和へ訴えに即位礼で内外に向かっての三度「国民の幸せと世界の平和」を言われた新天皇はさぞかし心強くされたのではと思います。

 さらにフランシスコ教皇は真の平和は「非武装の平和」で防衛用の核も許容しない旨の力強いメッセージをされ、その高尚な理想を「政教分離」の厳守は言うまでもありませんが世界の為政者が現実に具現化する取り組みを国連などで話し合い力強く行動することを願ってやみません。 

 そもそも現在は過去の戦争とは比較にならない高度な無差別な殺戮兵器の「核兵器」「生物兵器」「化学兵器」「レーザー兵器」などをしかもAI搭載のドローンやロボットを机上操作できる戦争で、小国もそのような兵器を持つことで、一旦戦争が始まると勝者も敗者もなく世界全体を崩壊させかねないのは明らかです。

 したがって「戦争は起こしてはならない」どころか「戦争は起こせない」時代に入っており、フランシスコ教皇が訴えるように「核兵器」をはじめ「戦争のための兵器」は無用の長物で「抑止力」や「防御」の名の下に兵器競争をするなどは愚行そのもので「力による平和」などはおとぎ話で何処かでバランスを失うのは明らかです。

 残念なことに強い国を目指し軍事力強化と自衛隊の海外派兵をも視野に「憲法改正」を最重要課題とする安倍政権やそれを支持する勢力がメディアを利用し敵国からの危険を煽り「力による平和」を推し進める日本はフランシスコ教皇や今生天皇の「平和への願い」とは全く逆の方向で危険思想そのもので未来志向では決してないと思っています。

 現状は世界経済も不況に入っており金融危機がいつ生じても不思議でない状況を迎え、昭和の初めには渡辺銀行の破綻を契機にあった大不況、平成の初めにはバブル崩壊による大不況に見まわれたように令和の初めにあたる現在もまったくよく似た状況にあります。

 また大不況が戦争に繋がることも歴史が明らかですから来年は大きな危機へを前提に準備をすることと為政者による戦争への世論つくりに惑わされることなく「平和への思い」を大切に民の側から盛り上げる活動が何よりも大切な時代に入ったなと思っています。

posted by コ−エン at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年10月30日

キリストと釈迦の教えとエデンの園と解脱の世界に思う

朝の散歩の途中でキリスト教会にあったチラシ「月に一度の聖書を読む会」の案内があり今までキリスト教には縁が無かったのですが参加することにしました。

 もともとキリスト教は「信じよさらば救われん」の他力信仰の教えと思っていましたので「アーメンと言えば救われる」には抵抗感もあり「天は自ら助くるものを助く」と言う自力あってこその他力が良いと思っていました。

 しかし、昨今の世界的な気象変動による異常な自然災害や資本主義経済が行き詰まり何時金融破綻が起こっても不思議で無い状況や、中東では終わり無き紛争が続きながら世界全体の自浄能力(自力能力)が失しなわれ「自力」ではもはや難しいのではないか、人知を超えた天の導き「他力」でしか救えないのではないかとの思いもあって聖書の預言やキリスト教を学んでみたいと思うようになったのだと思います。

 キリスト教については旧約聖書で預言され神の御子として誕生し、神に似せて創られたたアダムとイブがサタン(堕落した大天使ルシファー)の誘惑に負け禁断のリンゴ(善悪の知恵の果実)を食べたことにより原罪を背負い地上に追放され、その子孫の人間を救済するためにキリストが肉体をもって人類が背負う原罪を一身に受けて過酷な十字架の刑に処せられることによって贖罪され人類の罪が許される他力信仰だと思っていました。

 それに対して釈迦はこの世の人々の「四苦八苦」からの解脱の道を、人には「仏性(仏になる性)」が備わっていることを前提に、四苦八苦の原因を縁起(十二縁起)で解き三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)の仏の世界を示し、それに至るための八正道(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)の修行を示し自力による解脱(理想世界)に至る道を説いたのだと思っています。

しかしキリストの十字架により人類が背負う原罪が贖罪されたとしてもに直ぐにエデンの園(神が意図した愛と義のユートピア)に他力で導かれるのではなく、キリストへの信仰を通して神近く純なる心に至らないと救われないことは、お釈迦さんの修行によって解脱の世界に至ることと同じで究極的には「天は自ら助くる者を助く」で「自力なくしては他力がない」ことで、信仰を教えるキリスト教も自力修行を教える仏教も至るところは同じであるように思っています。

 キリスト教では終末の時期、仏教では末法の時期にあると言われいるように現実の世界は人類自が自浄能力(自力)を見失い崩壊の時期に進むように思えることから、人知を超えた危機の時代に現在があるとすれば人知を超えた他力による救済しかないことから、縁の無かった「旧約聖書・新約聖書」とキリスト教を学び「エデンの園と解脱」に至る道を見いだせればと月に一度の「聖書を学ぶ会」に参加します。

posted by コ−エン at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月22日

憲法改正と第9条と自衛隊について思う 

 第四次安倍内閣は本腰を入れて「憲法改正」に取り組むとのことですが,そもそも時代に即したものに憲法を改正するのは至極当然でそのこと自体は問題はないはずです。

 しかし世論調査で過半数の人が反対するのは「平和憲法と言われる第9条の改正」を危惧するからで、国民の多くは敗戦後連合軍の統治下で制定されたとは言え現憲法(第9条の「戦力不保持と戦争放棄」」)があったからこそ戦後74年の間戦争を起こすことも巻き込まれることも無かったとの思いがあるだと思います。

 確かに世界の情勢は戦後大きく変化して、昨今では経済的な不況や自然災害の増加での避難民の移動(移民)によりEU諸国では国内秩序が壊れ不安定が生じており、又低開発国では対立が増え至る所で紛争が多発して世界全体に世界的戦争も危惧されるような状況に陥りつつあります。

 このような世界状況にあって「第9条の戦争放棄を掲げた平和憲法」を守る護憲を主張するだけでは国際的な要請に答えられないことから、安倍首相が主張する戦後レジーム(憲法を頂点とした日本の基本的枠組み)を変更し「武力の行使と海外派兵」可能な憲法に改正して国際貢献しようするのも解らないことではありません。

 しかし現在の戦争は近代最終兵器(核・生物・化学)とAI掲載の無人ロボット兵器による過去の戦争と全く異なり「起これば勝者も敗者も無くすべてが終わる」時代に入っており「戦争は起こせない」し未来を開くには「戦争を起こさないようにする」しか道がないことから安倍政権の「武力の行使と海外派兵」を可能にする「憲法改正」はまさに崩壊に繋がる時代逆行としか言いようがないと思っています。

 勿論、各地で生じている紛争の解決のための国際貢献や、近隣諸国(中国や北朝鮮・韓国)からの先制攻撃などは考えられないものの偶発的な衝突はあり得ることから「専守防衛」に限定した上での有効な防衛戦力の保持は必要だと思います。

 ただ安倍一強政権の下では十分な説明をしないで強行採決した「安保法制」や「閣議での集団的自衛権の容認」「特別秘密保護法」「共謀法」などやメディアを利用しながら近隣諸国からの危機を煽り国民を洗脳的に誘導するようなあり方を見ると「安倍政権の下での憲法改正」は「専守防衛」を超える武力保持と海外派兵の意図が推し量られることから許してはいけないと強く思っています。

 そして安部首相は「第9条に自衛隊の存在の明記」を主張していますが、自衛隊の災害時での救護や復旧行動には国民は高い評価をしているものの憲法の改正まで求めているとは思えません。

 また国際貢献に応じるために「戦力を持つ自衛隊」が必要であるとしても「有志連合」での派遣要請は問題外で許されるものではありませんが「国連」の決議と指揮下での限定した「自衛隊派遣」についてはそれこそ「憲法の解釈改憲」で国民に十分説明をし国民の納得を得た上で進めることは現実的なあり方だろうと思います。

 このような時代的な変化による国際的な要請には現実的な対応は必要になるものの「戦力不保持と戦争放棄を掲げる平和憲法」は戦勝国の連合軍の下に創られた憲法であるからこそ世界の理想であり目標となる条項であると言えますから「押しつけ憲法」ではなく逆に日本が率先して守る使命があるように思っています。
posted by コ−エン at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月19日

加害者の立場で韓国の人々の国民感情を思いやり関係改善をする日本を願う!

 最も近隣の韓国と最悪の関係になっています、その原因は戦前の朝鮮併合の時代の慰安婦問題もありますが直近の悪化は徴用工への賠償問題について日韓両国政府の見解に相違があるからです。

 それは1965年に締結した日韓基本条約で「国家間の賠償」の決着はついているものの「個人の賠償請求権」について日本は「個人の請求権も国家間の賠償で決着がついた」と言い韓国側は「個人的請求権は国家間の賠償とは別で決着がついていない」と言うのが表面的な相違でそれはたとえ国際司法裁判に委ねて法的に決着がついたとしても根本的な相違である韓国の人々の根強い国民感情までは解消できないと思えてなりません。

 韓国の人々の「国民感情」は日本の植民地時代の日本名への改名や日本語の強要さらに強制労働と朝鮮の人々に与えた苦痛と苦悩の深さは加害者である日本の私や人々にはわかり得ないことで、それを法的な「国家間の賠償」としてお金で決着がついたと割り切るのは加害者の傲慢そのもので日本はただただ言葉ではなく「反省と謝罪の思いを誠意を持って示す」ことしかないように思います、そのような態度は必ず韓国の人々の心を癒やすだろうと思います。

 確かに多額の賠償により韓国経済を飛躍的に成長させことや経済破綻に陥った時に多額の援助をしたなどあるもののそれでもって免罪されたとして「被害者の感情」を「堪忍袋の緒が切れた」と「加害者の感情」で非難し思いやらなくなるのも加害者の傲慢のように思っています。

 朝鮮半島は古くは文化・技術の伝承国であり、百済と共に白村江で新羅・高句と闘うなど親密な関係があった時代、秀吉の朝鮮出兵・そして戦前の植民地政策による統治などで苦難与えた時代そして日韓会談後はスポーツ交流や経済交流などで友好な関係を築くなど隣人国として良き時悪しき時はあったものの近隣の国として密接な関係を創ってきました。

 今回の関係悪化を招いているのは、それは民間の人々同士の悪化ではなく文在寅氏の日本への潜在的な反日感情を大統領選の支持に繋げようとの思惑と安部首相の執念とも言える「憲法改正と自主防衛」を推し進めるために近隣の中国・北朝鮮・韓国からの危機を煽ることで互いにナショナリズムを為政者の思いに利用していることが最大の原因に思えてなりません。

 歴史の中で特に韓国併合以降「不信が不信を生み増幅する」好ましくない関係を創ってきた事実がありますが、互いの国が両国の立場で主張し合うのは止め、互いの国にとって先の大戦や朝鮮戦争を正しく総括し国民に説明した上で両国が客観的な共通認識を創り出す努力をすると同時に、それらの時代を知らない人々が過去のわだかまりに影響されないで未来志向をもって仲良く交流することで良好な関係を積み重ねることが解決への道だろうと思います。

 新たな21世紀の東アジアは南北統一のコーリアが誕生し民主的な中国に変貌し戦争放棄の平和憲法をもつ日本が近隣諸国との平和共同体をつくるリーダーになることを願ってやみません。
 
posted by コ−エン at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月31日

「れいわ新選組」に新しい息吹と流れが!

 参議員選挙では自民党.公明党共に投票者数を減らし野党も投票者数を減らし投票率48,8パ−セントと言うのは明らかに民の政治不信の表れのように思います。

 そのような結果にかかわらず安倍政権が与党で安定多数を維持したとして憲法改正を強行に推し進めるのには民の過半数は疑問に感じるだろうと思いますし第9条の改正については大半が否定すると思います。

 そもそも現在のような高度な技術とAIによる自動兵器やロボットが戦闘するような時代で、しかも使われれば敵味方を超えて人類そのものを滅ぼしかねない核や化学や生物兵器の時代に「抑止力」とか「力による平和」を正当化し軍事力を増強するなど全くのナンセンスで、未来は「相互信頼による平和」でしか開かれないとしか言いようがないと思っています。

 しかし残念ながら安倍政権は近隣諸国との信頼を築くことをしないで危機を煽り、安保法政や共謀法や特定秘密保護法を強行採決をし自衛隊の海外派兵に道を開き、アメリカから兵器を購入し軍事力増強を進めていることから、なりふり構わずにあと4議席の確保を目指して憲法改正を強行に推し進めるのではないかと危惧しています。

 民が望まない軍事力強化と憲法9条改正に対して、自浄作用が働かない与党と支持が増えない野党もあって「選挙で政治は変わらない」との民の諦め感があるのは何とも恐ろしいことです。

 ところが、その閉塞感を破ってくれたのが4月に誕生した「れいわ新選組」で、メディアに取り上げられないにもかかわらずSNSと街頭演説で熱狂的な支持を受け4、5パ−セントの支持を受けたのは大いなる光明で「れいわ新選組」が野党と与党も含めてキャスティングボートになって新たな次元の政治へとシフトアップさせるようになればと願っています。

 おそらく過去の新党の新自由クラブや日本新党とは異なり全く組織を持たいない山本太郎氏の主張に共鳴した政治に素人の候補者で立ち上げた新党が熱狂的な支持を受けたのですからポピリズム的な熱狂で終わることなく今後は政党要件を満たし党首討論に登場できメディアに登場することから燎原の火のごとく多くの民の支持を得てゆくだろうと思っています。

 勿論、古い時代の流れの中にある与党からは公約に伴う財政をどうするのかの反論や野党からは連携にあたっての条件などで困難な場面が予想されますが、民と一体となったエネルギーはそれを撥ね除け新たな流れを創り出すと思っています。

 まさに「れいわ新撰組」の誕生は新たな次元への息吹であり未來を開くのろしのように思っていますので、少し持ち上げ過ぎかと思いますが、明るい未来が開かれるかどうかにかかっていますので大いなる期待と共に支援・支持をしたいと思っています。

 
posted by コ−エン at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月30日

参議員選挙で少なくとも期待し願うこと!

 衆参同時選挙は年金2,000万円問題での国民の怒りを考慮したのか同時は断念され、逆に消費税10%への延期が出来なくなったことから10月以降の経済は消費が落ち込み悪化するのは確実です。
 
 ちなみに安倍長期政権について「アベノミクス」は円安と株価買い支えで名目の経済数値は上がったものの税制優遇などの恩恵で大企業の留保金が増えた一方庶民の給料は下がり続け貧富の格差の拡大し、自慢の世界を俯瞰する外交も結局は資金をばらまいただけで近隣の中国・韓国・北朝鮮との関係悪化が進みロシアとの領土交渉は思うように行かず唯一の拉致問題も膠着したまま、国内政治に至っては森友・加計学園問題での特定者への私的優遇やそれに関わる公文書破棄と不都合なことは逃げとごまかしで乗り越え、本来であれば何回政権交代があっても良さそうな局面も強権による忖度政治で与党からの自浄作用も働かず、さりとて対峙する野党にあっては党利党略が優先し新たな国創りの旗を示せずに辛うじて出来た一人区の統一候補も国民からは選挙目当てと見過ごされ、ただ「他に変わるべきリーダーがない」ことで政権を維持するようになるのにはやるせない思いをもっています。 

 このような状況は最も良い民主主義憲法と言われていたワイマール憲法下でドイツ国民が独裁者ヒトラーを生んだ状態に近いものが現在の日本に漂っているのではないかと思えてなりません。

 確かに世界の先進諸国はおしなべて人口減少にあり、新たな資源を求め軍事力を背景に植民地を求め成長する時代ではなく、世界経済は確実に「成長の限界」を迎えているにも関わらず未来が開けない状況のまま進んでおり、資本主義そのものも実体のない金融資本主義に変貌し旧態依然と力を背景にする軍産複合体と相まって世界の国々を実質的に動かしており刻々と1:99の格差世界が固定化しつつある現状にあって人々の不安と不満がつのり、この閉塞感を打ち破ってくれる「強いリーダー」を願望する思いが潜在化するのは致し方ありません。

 しかし、単に「強いリーダー」を願望するのは「戦争への危機」を創ることによって世界を支配してきた「戦争屋」と言われる金融資本と軍産複合体の描く世界の「強いリーダー」のあり方であって、その果ては破壊と崩壊しかないことを歴史は証明しています。

 まさに安倍政権の「富国強兵・殖産興業」を推し進める国つくりは「戦争屋」の罠にはまった延長線上での「強いリーダー像」で破壊と崩壊のシナリオを繰り返すことは明らかだろうと思っています。

 確かに新たな未来を描き導くには「強いリーダー」が必要なのかも知れませんが、それは力を背景にした「競い合い」による「成長神話」の「強いリーダー」ではなく安部首相が目指す「時代逆行の国創り」に基づく「強いリーダー像」ではありません。

 「成長の限界」にある世界が新たに求める「強いリーダー」は「自然と共生し共に創り出す中で生まれるリーダー」であり「個々の能力を統合し共生をつくりだすリーダー」で「トップダウンではなくボトムアップから生まれるリーダー」だと思っています。

 そしてそれは「平和憲法」と「世界に類のない万世一系と言われ世界からも尊敬されている象徴天皇」を持つ日本だからこそ「新たな旗を立て」世界に示せるのではないかと思っています。

 そのような思いをもっていますので7月の参議員選挙で安倍退陣に繋がる与党の議席減をもたらすのが願いですが、少なくとも未来社会の旗の一つにもなり得る「平和憲法」の改正を断念せざるを得ない議席減少をもたらすようになればと願うばかりです。

 そして一日でも早く「競い合いによる成長の限界を迎えている世界」にあって「共に創る共生を掲げる強いリーダーと民の下に平和で共存共栄の世界を示し導き合う議員が生まれることを願っています
posted by コ−エン at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年05月30日

「令和」のスタート月は残念でしたがそれも新たな始まりの前触れでは! 

 平成天皇の生前退位による新天皇の即位と言うことで「令和元年」のスタートはお祝い月ととして始まりるのではと心躍らせながら持っていました。

 そして世界で最も古いエンペラーでもあり日本の民にとってお祝いと共に心深く静かに敬い迎えながらの「令和」のスタートになれば良いなとの思いをもっていました。

 しかし、そのスタートは残念ながら最初に国賓として迎えたのがアメリカのトランプ大統領で別にトランプ大統領が相応しくないのではなく、その仰々しい迎え方が相応しくないように思え、おそらくそのような思いを持った国民も多かったのではないかと思っています。

 平成天皇の最初の国賓はジンバブエの大統領であったようで仰々しい迎え方は記憶に残っていませんので、今回のように今までの天皇の大相撲観戦とは異なり枡席に特別席を作ってまでの歓迎や今まで見たこともない晩餐会の実況報道まで許し国民を乗せる仰々しさは、まさに安倍首相の人気取りのためのものに思えてなりません。

 日本の民にとって天皇は開かれた象徴天皇として民の心の中に深く静かに敬うシンボルであってその精神的風土はこれからも民が守り育て続けることこそが日本的精神そのものと思っています。

 新たな年号の「令和」の「令」の語源は神の前に膝をつき敬う姿を表し「和」の語源は軍事を蔓延らせるのではなく平和をもたらすことを表しているとの解説もあり、それはまさに日本的精神を表し新たに世界に誇りを持って示せるに相応しい元号だと思っています。

 そのような希望のある始まりを「令和天皇」を頂きスタートになることを期待していましたがこの度の「安倍政権」の対応は国際的にも評価を高めることは決してなく、選挙目当ての売名行為のように思え「それは違う!」と言わざるを得ません。

 安部首相が「美しい日本」を取りもどすと言うのも、今回の天皇利用とも思えるあり方を見ると、天皇を現人神に祭り上げ天皇元首として強権をもって富国強兵と殖産興業の戦前の軍国主義の国作りとオーバーラップするようで、本来日本の民が潜在的に持っている自由で平和な「美しい日本」とは逆に思えて仕方がありません。

「美しい国」とは世界最古の文明とも言われる1万2千年続いた縄文時代の「自由で平和な共存共栄の文化」の遺伝子を持ち、八百万の神々として自然を敬い自然と共にある中で生まれたシンボルとして天皇との君民共生のあり方が日本の民が潜在的に思い描く「美しい国」のように思っています。

 「令和天皇」と共に創る「美しい国」つくりのスタートは残念な月になりましたが、トランプ大統領も安部首相も新たな時代の前に生じる古い時代を壊すための役割で登場したのではないか、そして崩壊の出来事は今後も生じるものの、新たな時代は令和天皇と共に民の中からどんどんと湧き出て日本の民が本来持つ「美しい村」つくりがスタートするのだと思っています

 
 
posted by コ−エン at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年03月30日

新天皇と共に新たな豊かな未来が開かれることを!

 あと一月で新年号と新天皇の時代に入り心が高ぶります。

 明治・大正・昭和の軍服姿の天皇の時代が敗戦により平服の「象徴天皇」の時代になりそして新天皇による象徴天皇の時代が始まります。

 私たちは皇室での神事や各国への公式訪問そして先の戦火の被害地域への慰霊訪問や自然災害による被災地域への訪問などを見て「象徴天皇」についてのイメージを持つようになっていますが「日本国憲法」にも「象徴天皇」について具体的な明文はありませんし「皇室典範」を読んだ人も少ないことから「象徴天皇」について私たちは正しく理解しているとは言えません。

 素人判断になりますが日本は「民が主権」の国家ですから「天皇」は「民ではない位」で国事に関するすべての行為は内閣の助言と承認を必要として政治的言動は出来ないように定められていますので「象徴天皇」は言わば「精神的な象徴」で抽象的な存在のように思っています

 その抽象的とも言える「象徴天皇」を昭和天皇から平成天皇は「国民の平和と平穏を祈り日本の象徴天皇」としての在り方を思考され苦悩されながら限られたお言葉とお姿をもって国民に示されたように思います。

 そしてその姿を引き継がれる新天皇にとっても、世界的にも日本的にもAIやIOTの高度な科学通信技術の進化により文明のパラダイムシフトの大変化が予測される時代にあって、さらにより高次な「精神的な象徴天皇」としての在り方を模索し思考されることを思うと私どもには想像できない苦悩があるだろうと拝察するしかありません。

 そもそも日本の天皇は「武力により勝利を得て君臨した権力的な国王」ではなく「精神的な象徴」であって、公的伝記ではないが竹内文書などでは神代の時代の「スメラミコト(天皇)」として伝承され、明治以降では万世一系の「現人神」として啓蒙された時期があり「民が主権」の現在にあっても理屈ではなく日本人の心の原点には敬愛する「精神的な象徴の天皇」として遺伝子にもなっているように思えてなりません。

 そしてこの日本独自の象徴天皇は新たな時代を迎えても変わることはないばかりか、人々の心に潜在化している「和を尊ぶ精神の象徴」としての天皇は日本を超えてパラダイムシフトにより生まれる新たな世界の「平和の象徴」となり得ることだとも思います。

 日本の天皇は世界最古の皇室でその存在は人類的にも「世界の象徴」にもなり得ることで「世界の平和の象徴」として新たな世界を創る潜在的な原動力になるのではと思っています。
posted by コ−エン at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記