2021年09月24日

今年はお米作りは豊作が期待できます!

 昨年より無農薬無肥料で米作りだ!と意気込み約一反の田んぼを借り始めましたが、米作りはそんなに甘くはなく、次から次と生える雑草には閉口するは、収穫量も周囲の農家の3分の1程度と散々な結果で苦い体験になりました(それでも周囲の農家さんは都市部の人に米つくりの大変さを知って貰えたと好意的に言って貰えその暖かさにホッとしています)

 そんなことから、少ないメンバーでの無農薬無肥料での米作りは難しいとの弱音もでていましたが、どっこい利他村の夢は危機の時代を「無農薬の健康農野菜つくり」で乗り越え、新た時代は「共創共生のコミュニティーつくり」で、自給自足の一丁目一番地は「米作り」だよ!と「失敗は成功のもと!」とプラス思考でさらに耕作面積を約1.7倍に広げ、中古の稲刈り機・脱穀機を手に入れ再挑戦しました。

 ただ、無農薬無肥料というのは「終末は田舎で農園暮らし(ダーチャ)」の今のところ都市部からのメンバ−で取り組んでいますので、雑草対策は日程的に難しいことから稲には影響のない農薬を一度だけまくことにし、そして稲の生長のために有機肥料を入れたことで今年は「無農薬無肥料米」ではなく「有機米」での挑戦になったのは少し残念です。

 しかし結果は稲穂も周囲の農家さんにも見劣りしないように育って3枚の田んぼも豊作間違いがないと思えますのでまずは成功です。

 10月はじめには稲刈りと昔ながらの天日干しをして美味しい「有機はぜかけ米」を念願のメンバーに一俵ずつ持って帰ってもらえることが出来るかと思うと心ウキウキで嬉しい限りです。

 仲間たちで作った「有機はざかけ米」の成功で自給自足の第一歩を踏み出せたのは最高の喜びです。 

未知のコロナもあり、異常気象による天候変動あり、そして豊かさを求めた成長神話が経済が至る所で停滞していることから、取り組んでいる新たな時代を見ての「自給自足の共創共生の村(コミュニティー)つくり」にますます確信をもつようになっています。

 
posted by コ−エン at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年08月31日

「和の精神」による「自立した国」になれば!

 コロナの対応では国民の信頼を大きく失っている首相のお膝元の横浜市長選で支援をした大臣を辞任して立候補した候補が無名に近い野党議員に大差の差で敗れるなどで、国民の7割近く支持をしないその首相を自民党の有力派閥の首領が支持をしていること自体も、またその首相が再選されることで次の総選挙で有利になると期待する野党の有様も、まさに民意とかけ離れた政界崩壊状態で政界の末期症状のように思えてなりません。

 このような状態をもたらしている原因で考えられることは、2世3世議員の「政治を家業のように思う議員(いわゆる政治屋)」が多くなって、国民のためよりも政治屋家業を守るために時の権力者の意向を忖度し公認候補になることを最優先する議員や、そのような「選挙制度」を利用して政治屋議員を生み出していること自体が政党や議員の質の低下をもたらす原因のように思えてなりません(勿論、政治家として信頼する議員もいます)

 さらにそのような質の低下をもたらす根本的な原因は、国そのものが戦後敗戦国としてアメリカの庇護のもとに復興しアメリカに従属しアメリカの過度な要望をも受け入れた国創りをし、国民の多くも「安保でアメリカの軍事力に守られている」との思いを持ち「自立した国」としてのプライドを失い、中曽根政権ぐらいから覇権国家アメリカの推し進める保守主義と新自由主義政策を受け入れ、安部政権に至ってはアメリカ軍の指揮下として自衛隊を容認し、国民も野党もそれに慣らされ真に自立を目指してこなかったからだと思っています。

しかし世界やアメリカそのものも「物の豊かさに比重を置いて力(軍事力)を背景にした経済力の競い合い」そのことが「地球環境を激変させ、軍事力の際限のない拡大をもたらし、貧富の格差を増幅させ」そのことによって「成長の限界」を迎えているにも関わらず方向転換も出来なで出口も見いだせないで、まさに聖書の「終末預言」どうりに進んでいるとも言えます。

 このように世界そのものが「物の豊かさに比重を置いて力(軍事力)を背景にした経済力の競い合い」の時代(文明)が終焉に向かっているとすればアメリカの属国のままでは共に終演するしかなく、日本は新たな出口を見いだし新たな流れを創るしかありません。

 そのような思いをもって日本を眺めた時に日本は本来「和をもって尊し」という遺伝子を持っている国で明治以降はアングロサクソン系の西欧の流れに乗った国造りをしてきましたが、本来「力を背景にした競い合い」は苦手なというよりも選択しない国で「軍事力を背景にした経済競争」による国つくりではなく「和の精神を背景にした国つくり」をしてきたように思います。

 それは安部前首相が進めたアメリカの属国として力を背景にした「美しい国」つくりではなく、神代の時代からの「和の精神」を根底にし進化し続ける科学技術による物の豊かさとのバランスをとりながら「真の自立した国」を目指すことが日本の姿だと思います。

 そのような思いの「政党」や「議員」と人々が増えるようになればと真に自立する日本として新生するように思います。 
posted by コ−エン at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年07月31日

人は精神的存在でもあるとの流れが起これば明日が見えるのでは!

 昨今は社会全体に人の肉体的側面を重視して人の精神的側面を軽視する風潮が当たり前になっているように感じています。

 今回の東京オリンピックも近代オリンピックの父、クーベルタン男爵の『参加することに意義がある』との言葉や「スポーツを通じて世界平和の維持と国際友好親善に貢献する」との崇高な精神への人々の関心は薄れ、利権まみれのIOCの商業オリンピックをを受け入れメディアのメダル獲得競争報道に熱狂させられています。

 また、熱中症と新型コロナ感染蔓延中で中止や延期が当たり前にも関わらず「何のために開催されるのか?」の納得できる説明もないまま政権浮揚の手段としか思えないままに強行する政権に不信感を持ちつつも「あきらめ」が漂い、約半数の国民しか投票しないような国民的な劣化も進んでいます。

 当然にこんな時期は野党が大同小異を捨て統一して明日への道を国民に示し政権交代を目指すのが本来の流れですが、特に与党には政治職業家のような二世三世の保身議員も多く、野党間では派閥対立を解消できないでいることで不信感をもたれ国民から離れた政治が進んでいます。
  
 このように社会からも政界からも先が見えない現象は、人が本来持っている精神的側面の豊かさを裏の世界に押しやり人がもつ肉体的側面に比重を置いて自然環境を破壊することで豊かさを創り上げてきた物質文明そのもの必然的な結果のように思えてなりません。

 そのことは既に前世紀末頃にローマクラブが「成長の限界」として新たな転換を示唆していますが、人が持つ肉体的存在に比重をおいた流れの「慣性の法則」を変えられないままに彷徨を続けている結果ではないかとも思います。

 そのように思うと、今回の未知なるコロナパンデミックはそのような状態の人類のあり方を「前後裁断する時代の裁断機」として人知を超えた計らいが働いているように思えてなりません。

 勿論、肉体的存在の豊かさを求めた科学技術の延長線上で新たな量子力学などの進化でさらなる成長をもたらすのかも知れませんが、人が本来持っている精神的存在を基本していないのであれば、現代の延長線上で現代版バベルの塔を造っているだけのように思えてなりません。

 コロナ後はしばらく危機の時期が続きその後に始まる世界は、人々が本来津もっている精神的存在を思い起こし、意識変革するような風潮が漂えば明日の世界が見えてくるのだろうと思っています。

 利他村は「ものと心のバランスのとれた共創共生の村つくり」を掲げ、精神的存在としては一万年の間神と自然と共生した世界を創ったと思われる縄文時代の人々の心のあり方に興味をもって学ぼうと思っています

 
posted by コ−エン at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年06月30日

コロナの国難と政権運営の低迷による国難の克服の第一歩はまずは政権交代から

 国難とも言える新型コロナ感染中のオリンピックに「充分な治験もなくリスクも明らかでないワクチン」に対する警告情報も「デマ」と決めつけ、何が何でも「ワクチン接種で集団免疫をつくり打ち勝とう」と開催を推し進める現政権に危険なものを感じています。

 特に安倍政権から管政権の国会運営は絶対多数を背景に充分な説明のないままの強行採決や権力に不都合になれば国会閉鎖が当たり前のようになり、違法とも思える首相の言動に与党議員や官僚の忖度で有ってはならない嘘とはぐらかし答弁が横行し、犯罪行為とも言える公文書の隠蔽、改ざんまで行われ、そのような国会運営に与党の自浄作用が働かないばかりか、財界や司法やましてやメディアまでもが忖度体質に覆われ、またアベノミクスの成果はなく貧富の格差が拡大して一人一人の国民の所得は減少し国の活力そのものが低下し先が見えない状況になっていることこそコロナ以上の国難のようにも思えてなりません。

 そのような、政治不信と活力低下を乗り切るための現実的一歩は何と言っても「政権交代」で、野党が党利党略の小異を捨て政策的に一致できるテ−マだけを掲げ統一候補を立てて選挙で過半数を勝ち取ることで、政権交代後はコロナ後に生ずる世界的な経済破綻(恐慌)を「国民の生活」に焦点を合わせて乗り越え、もはや核.細菌.化学等の近代兵器や無人兵器での戦争は起こせば全世界の破壊になることから、力を背景にした競い合いのための国創りは終わりで、国民の生活を第一と掲げ世界全体が共生する秩序創りに焦点を合わせた政権運営で国難の危機を乗り越え新たな未来社会を目指すような国創りなればと思っています。

 その理想とする未来社会は、過去の「自然を破壊することで物の豊かさを創りだした世界」ではなく「自然と共生し豊かな心と豊かな物のバランスの取れた維持可能な世界」と思っています。

 コロナで言えば「人類は細菌と戦い共生して乗り越えて来た」ように「細菌に戦いながら細菌そのものを絶滅させるワクチンではなく、進化し続ける細菌に過去幾度もあった細菌との戦いで培った抗体力と自己免疫をた助けるワクチン開発」で乗り越え、現実世界で言えば「ものに比重を置いた豊かさ」だけではなく「心に比重を置いた豊かさ」を取り戻し「人が本来もっている物と心のバランスある進歩と調和のバランスのとれた維持可能な共生型の未来社会」を創ることだと思っています。

 それはノアの時代のように神の計らいで大洪水を乗り越え神の導きでノアの家族から新たな世界の始まりに導かれるような他力に委ねるのではなく、今回の新型コロナの大洪水を乗り越えるのは、神は人類自身が反省をし目覚めることで人類自らに未来社会つくりを委ねられているように思えてなりません、ワクチンも人類の傲慢な欲望が入り交じった知恵で、神の領域ともいえる遺伝子組み換え操作で乗り越えようとするのはまさに現在のバベルの塔の建設で、その結果はバベルの塔以上の災いが待っているように思えてなりません。

 今回の新型コロナの国難と政治の堕落はまずは「人の命よりも政権維持を優先するような政権」を交代させ、民の維持可能な生活つくり政策に焦点を合わせ、細菌には神から与えられた自己免疫力と自然治癒力を高める知恵でもって乗り越え、真の人間(ものと心のバランスの取れた人間)として、縄文時代の人々の精神性を取り戻した上での知的科学技術の豊かな未来社会に向かうようになればと夢見ています。
posted by コ−エン at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年06月01日

現在の大洪水を、現在のはこぶねをつくり、現在のアララト山に辿り着き、あらたな始まりをめざして!

コロナ感染の状況からは考えられないような「人命よりも政権優先」で長年必要な治験もないままに人体への影響も定かでない遺伝子組み換えワクチン接種を国民に煽り「何が何でも開催を」と突き進む政権に結局は黙認してしまうような社会には歯がゆさを感じています。

 大きく変わる「コロナ後の社会」にあって、細菌と人間が共生してきた歴史を踏まえた対応で危機を乗え、新たたに始まる世界を示し、人々を導くリ−ダ−が何故か与党にも野党にも現れないのかと思うと、現在が何か人知を超えた流れに入っているのではとの思いを強く持つようになっています。

 確かに物の豊かさの競い合いにより成長を続け到達した現代社会を俯瞰すると、そこは「貧富の格差の固定化」と「差別.排他.分断の増幅」の調和なき世界で、しかもそれに対する自浄能力をも失ってお手上げの状態で、何かの切っ掛けで現代文明そのものが終焉する寸前にあるようにも思えます。

 もし、人知による高度な科学技術を持ってしても終焉の流れを押しとどめられないとすれば、それは旧約聖書にある神との契約を破り堕落した人類を大洪水で終焉させ、選ばれたノアの家族8人と一対づつの動物が箱舟で40日40夜の嵐の中を耐え忍び150日漂い続けアララト山に辿り着き新たな人類の始まりとなったように、人知を超えた計らいでコロナを切っ掛けに更なる自然災害や金融破綻など現在の大洪水により人類を終演させ、選ばれた人々によって新たな始まりへと導くシナリオではないのかなとも思えます。

 新たに辿り着くアララト山は何処かは定かではありませんが願わくば日本からと願いたいもののそれは神のみぞ知ることで人知を超えたシナリオに委ねるしかありません。

 利他村は必ずしも現在の箱舟をつくり、大洪水に耐えながら新たな世界を創ろうとする仲間ばかりでとは言えませんし、またそのような思いをもつ仲間はマイノリティー(少数派)そのものですが、現在を大きな時代(文明)の端境期に生じる危機の時代にあるとの思いは共通していますので、まずは現実的に「食の自給自足の準備」を遅々たる動きですが着実に進めようと取り組んでいます。 

 勿論、目標は高く「ものと心のバランスのとれた、愛ある共創共生の村つくり」で、イメージとしては一万年争いのなかった縄文時代の自然と共に神と共にあった人々の精神性の復活を土台にし高度な科学技術とのバランスのとれた世界です。

 強がりでマイノリティーで独りよがりな思いですが、現在の大洪水を、現在のノアの箱舟をつくり、現在のアララトさんに辿り着き、思い描く新たな始まりつくりへの大冒険も、何もしないままに危機の渦に流されるよりも楽しく生きがいのあるあり方だと思っています  
posted by コ−エン at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年04月28日

コロナ後(アフターコロナ)は「コモン社会」に向かうのでは!

 時代(文明)を大きく変えた14世紀の黒死病や20世紀初頭のスペイン風邪のように新型コロナ後は古い世界に戻ることはないとの思いをもって新たな時代(文明)を創る思いをもつことが大切だと思っています。

 浅い知識ですが私なりに俯瞰して見ると、物の豊かさを競い合い、科学技術を進化させ自然を破壊をすることで成長を続けて辿り着いた資本主義経済は、一方で地球温暖化をもたらし成長にブレーキがかかり、貧富の格差を解消できないで、気づいてみれば平和で幸な社会を生みだせないばかりか、未来そのものを示せない閉塞感漂う世界を創り出したとも言えるのではと思っています。

 新型コロナは正にこのような閉塞した世界を終焉させる言わば現在の大洪水で、人々に意識変化をうながし「現在のノアの箱舟」を創らせ新たな世界に導こうとする「神の見えざる手」ではないかとも思っています。

 「利他の花咲く村」はそのような思いを頭の中に置きながら、現在を時代(文明)の転換期であるとの思いをもつ個人やグループと連携しながら、古い時代が崩壊する課程で生ずる危機への準備をしながら新たに始まる世界を試行錯誤し模索しながら準備をしてゆこうとしています。

 とは言え、現実に生じている危機への準備はある程度思いつくものの、新たなに始まる世界についてはどのような価値観をもってどのような「現在のノアの箱舟」を創れば良いかには中々確信のあるイメージを持つことが出来ないでいました。

 そして以前から科学が示す未来像については理解は出来るもののそれは「人間を中心にした未来社会」で、また宗教が示す未来像も「人間中心の救い」のようでどちらも「人間が中心」で何かすっきりしないで「そうだ!」と言える未来像を描けないでいました。

 ところが最近「そうではないか!」と思えたのが大阪市立大学 准教授 斉藤孝平氏が提唱する「コモン」と言う考え方です。

「コモンとは、水や森林、文化、知識といった根源的な富のこと」でその根源的な富までも利潤追求のために商品化することで自然を破壊し貧富の格差を生み出してきた競争社会ではなく、根源的な富は人々が自主管理して分かち合うことで成り立つ共創社会を創りだす考え方で、それは、利他村が回帰したいと思っている1万年平和な世界を創った縄文時代の人々の世界ではないのか、そこには「人間中心の世界」ではなく「宇宙や自然と人々が一体となって共生する世界」で人はピラピッド世界の支配者ではなく、人はフラットな共生世界を維持管理するために「思考する能力」を与えられ造られた生き物ではとの思いをもつようになりました。

 まだ「コモン社会」については深く学んでいませんので正鵠を得ているとは言えませんが、利他村が目指している共同体(コミュニティー)つくりはまさに「コモン社会」だとのとの思いを強く持つと同時に、コロナ後(アフターコロナ)に始まる新たな世界は「コモン」の考えをもった人々によって創られるのではないかと思いいたりました。
posted by コ−エン at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年03月31日

利他村が目指す共同体(コミュニティー)は!

AI(人工知能)と高度な通信技術とロボットで進化する未来社会は、日本政府が想定している2050年を目標にしたムーンショット計画をはじめ、あの鉄腕アトムが活躍するような社会が生まれるようになればなと夢を膨らませています。

 しかし、進化し続ける科学技術により生み出されている現実の姿は、そのような夢の社会ではなく1%の超富裕権力層と99%の民と言った1:99の格差社会と超監視社会にのように思えてなりません。

 それは「ワクチンを打たない」とか「チップを体内に入れない」と社会生活ができなくなるとか今では「顔認証ですべての人が監視できる」までも可能になっていることから、科学技術の進化はまさに諸刃の剣で人々に夢のような生活をもたらすとは限らず逆に人々を人間家畜化として監視するようなことにもなり得ると思っています。

 勿論、陰謀論や都市伝説にむやみに振り回されることなく、また科学的根拠も定かでない地球磁場(次元)が上昇したとか、キリスト再臨による千年王国から新天新地への精神論的な願望に委ねすぎるのも好ましくはないと思っています。

 ただ、たとえ超格差社会での超監視社会に進むとしても、それは人為的な強制社会であるために必ずバランスを失い、まさにノアの大洪水やバベルの塔のように人知を超えた浄化作用により、世界そのものが精算されすべてが前後裁断され新たな始まりを迎えるだろうと思っています。

 しかし、科学技術の進化によって鉄腕アトムのような輝かしい未来社会が創れないで人知を超えた審判により精算されるとしても、なだ成り行きに流されるのではなく、生きてゆく限り危機の時期を乗り越え新たな世界に相応しい準備をしないと、新たな未来社会には入れないのではないかと思っています。

 「利他の花咲く村」は世界も日本も出口を見いだせないまま危機が生じる時代に入っていることを前提にして、同じような思いを持つ仲間が集い、危機への準備と共創共生による共同体(コミュニティー)つくりで新たなあり方を試行錯誤し合いながら準備をしてゆきたいと思っています。

 そしてまずは、具体的な危機の準備としては「食の自給自足」で、食の一丁目一番地の「米つくり」と備蓄用の根野菜を中心に無農薬栽培を始めてます。

 そして、目指す共同体(コミュニティ−)のイメージは、約16,000年前から約10,000年の間争いのない調和の時代を続けたと言われる縄文時代の人々の生き様を探求し近づければと思っています、それを土台に進化し続ける科学技術を上手く活用しながらの共同体(コミュニティー)のひな形を創ることができれば最高だと夢見ています
posted by コ−エン at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年03月18日

「危機の時代」から「新たな時代」は「他力信仰」の世界では!

 毎月一回の「聖書を読む会」で牧師さんに「明日ハルマゲドンが起こると知った時あなたは何をしますか?」と名指しで尋ねられ一瞬戸惑ったものの「何もしないです!」と答えました。

 牧師さんは「尊敬する牧師さん」の話として「その牧師さんはリンゴの苗を植えます」と答えられた話をされ「ハルマゲドンを迎えてもただただ日常の生活を続けることですね!」とのお話でした。

真の深い意味は解りませんが頷けるものを感じ、とっさに出た「何もしない!」のもそれほど間違っていなかったのではと思っています。

 今までは仏教の教えに関心があり、どちらか言えば「原始仏教」の「人が仏に至る論理的な自力修行の教え」に納得するものがあり、キリスト教の「信じよさらば救われん!」の他力信仰にあまり関心を抱いていませんでした。

 しかし、天変地異などが多発し飢餓(大恐慌のような)が生じ、その日の食べ物に困り果てるような状態になった時に人々を救うのは「自力修行」で極一部の修行者は救えても大多数の人々は救えないのではとの思いも抱いていました。

 そのような思いもあって「聖書を読む会」に参加して学ぶようになって、文明の転換期とも言われ自然災害が多発しするような危機の時期にあっては、食料危機を乗り越えるには「信じる」だけでは無理で「自力による自給自足」が大切になりますが「不安心配など心の苦しみ」を持つ人々を救うのは「「自力修行」ではなく、平安時代の飢餓の時期に広まった仏教の「南無阿弥陀仏を唱えれば救われる」大乗仏教(他力信仰)や自然環境が厳しい砂漠の地から始まったユダヤ教・キリスト教の「信じよさらば救われん」の「他力信仰」ではないかと思うようになっています。

 「他力信仰」の大乗仏教やユダヤ教やキリスト教の深い意味は良く分かっていませんが危機の時代は「人が解脱して仏になった仏陀」の教えを説く「自力修行」ではなく「仏陀(人)そのものを創った天地創造の存在(神)」を信じ委ねる教えの「他力信仰」ではないかと思うようになっています。

 そして危機の時代後の聖書にあるキリスト再誕により創られる永遠の新天新地新は、まさに「他力あっての自力」の世界では無いか、そして思いつくのがそのような世界の原型の一つが既に16,000年間調和と平和の大調和が続いた「縄文時代」ではないかと思っています。

 おそらく、大調和の世界は争いのない世界で争いがないのは人々の心に自己中心の思いも村や集落中心で排他の思いもなく、ただただ人知を超えた存在(神)を自然に受け入れ神と共に自然と共にあることに感謝し「神の愛」を実感しながら過ごす人々であったから生まれた世界で、現実の食をや住まいも「愛(利他)の思いで助け合い、分かち合うことで維持されている世界では無いかと思っています。

 そのような世界の原型の「縄文時代の人々のあり方」を聖書を通じてさらに学び「懐かしい未来」としての未来世界を描くことができればと思っています。

 ちなみに私はクリスチャンではなく、さりとて仏教徒でも無く、ただただ「真理(神理)」を学びたい1人です
posted by コ−エン at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年03月02日

「懐かしい未来」を目指して

 10年前に聞いた「懐かしい未来」その時は面白い言葉と思っていましたが、今頃になって「そうだ未来社会はまさにそのような世界ではないか?}と思うようになっています。

AI(人工知能)の進化は目を見張るようで、政府ではディジタル庁が新設され2050年達成目標に「ムーンショット」計画を公表するなど今までとはまったく次元の違う高度な情報科学技術世界に突入するのは明らかです

 現在でも殆どの人は「スマホ」を持ち、知りたい情報をいとも簡単に知ることができ「スマホ」は衣食住と同様に生活必需品となっています。

 このような情報科学技術の進化はまだまだ序の口で、今後さらに人々に便利な生活をもたらすばかりかAI(人工知能)や進化するロボット技術により働き方も一変し政治経済のあり方を根本的に変え、外交や防衛のあり方も全く異なるあり方に変え社会や人々の生き方をまさに前後裁断するだろうと思います。

 しかしそのような高度な科学技術社会は輝かしい未来社会を作り人々の豊かで幸せな暮らしをもたらすかと言えば、必ずしも「そうだ!」と頷くことが出来ないのではないでしょうか。

 それは、輝かしい高度な科学技術社会が今までのピラミッド型社会システムのままに進むとすれば確実に格差社会をますます増幅させピラピッドの頂点の支配層の道具として下位の人々への管理支配の用具に使われることは自明の理で、さらに各階層間の格差からくる分断と差別を蔓延させ暗黒の未来世界をもたらすだろうと思います。

 シュメール文明以降の約6,000年の「知による物の豊かさをもとめた文明」が「成長」を旗印に自然を破壊し宇宙をも視野に発展をもたらしているものの、、決して人が持つ心の豊かさをもたらしたとは言えず精神性は逆に停滞から退化しているようにも思えることです。

 そのように思うと「懐かしき未来」はまさに「知による物の豊かさによる成長」の延長線上ではない次元の異なる新たな未来の言葉のように思えてなりません。

 そこで「懐かしき」とはと思い巡らすと、それは「縄文時代」の人々の世界とその精神性への回帰の思いのように思えてきます。

 12,000年とも16,000年とも言われる長い縄文時代の人々の精神性を推し量ることは出来ませんが、縄文時代の人々の人骨には全く争いによる損傷がないと言われていますので私たちにとっては想像すら出来ない超不思議世界そのものですが「懐かしき」とはそのような潜在的な記憶がもたらした言葉のように思えてなりません

 「人々の中で争いが生じない」と言うのは人類の歴史からは想像だにできなことですがあえて想像するとすれば、まさに「人々が自然と一体共生の心を持ち宇宙(天)と共にあると実感して日々暮らしていること、そして1人1人が宇宙(天)の分子として互いが個性を尊重しながら生きていた」からこそ争う要素が生まれる余地すら生まれなかったのではないのだろうと思えてなりません

 「懐かしき未来」とはそのような縄文時代の人々豊かな精神性に回帰した上で高度な情報科学技術により自然と宇宙の中で共生する未来社会ではないかと思えてなりません。

 難しいことですが利他村はそのような村つくりを目指してゆきたいなと思っています 
posted by コ−エン at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年01月26日

食料危機に備えて新たに「自前の米を作ろうかい」を始めます!

 特異なトランプ氏の登場で表に出ていなかった裏側の世界の仕組みが人々にも垣間見れるようになり、グローバル世界は裏の一部の富裕権力層(ディープステイト)により支配されていると思う人々の台頭があり、ディ−プステイトは今以上に情報管理を強め金融支配と軍事支配を背景に各国の政治経済への支配を強めようとする一方でデープステートにより貧富の格差の固定化(1:99)した世界がもたらされたとする人々(民衆)の不満や批判も激しくなり、ディープステイトの支援によって誕生したと思われているバイデン大統領でもあることからアメリカ国内の分断が進み、その影響もあり世界の不安定さも増し、戦争経済により利権を得ているディープステイトの思惑もあって各地で紛争や戦争の危機が増すだろうと思っています

 さらに、以前からいつ金融破綻が生じても不思議でないと言われていたところに今回の新型コロナパンデミックで、各国は紙幣を増刷すことで破綻を乗り越えようとしていますが、それにも限界があり何かの切っ掛けで金融破綻から世界恐慌に向かうのは必至だろうと思っています。。

 さらに、そのような人為的なこと以外に地球環境の変動で世界の至る所で自然災害が多発しており、それが切っ掛になることもありうることです。

 またガイヤの法則(1,600年周期で文明が西洋と東洋とに変わる)や村山節氏の800年周期説(800年周期で西洋と東洋の発展の周期が変わる)で現在は文明の転換期にあって西洋(欧米)が衰退期に入り東洋が成長期に入ると唱えられていますので、まさに現在がその時代(文明)の転換期にあたり、崩壊する課程で生ずる崩壊の危機は避けられないと思っています。

 ネガティブな予測をしていますが、危機の時期を乗り越えるには、何はともあれ大切なのが「食」で「食の確保」をすることで命と心をポジティブに転換するに限ると思っています。

 「利他の花咲く村」は「自給自足の共創共生の村つくり」をテーマにして、都市部の人が参加し週末は田舎で農園暮らし(ダーチャ)の集いとして現在5カ所の農地を借り月に1度か2度集い農作物を作っています。

 しかし、都市部の人が月に数度集って自給自足ができる農作物を作れるほどなま易しいことでは無く、まだまだ一歩踏み出した程度で危機の時代を前提に自給自足が出来るにはほど遠く「一種の農野菜つくりサークル」の段階と言えます。

 危機を想定して「自給自足による共同体」をつくるにはどうしても「自給自足できる食料」と「半農半X」の生活スタイルをつくろうとする仲間が集わないと絵に描いた餅になってしまいます。

 そのような反省もあって今年からサークルとしての「週末は田舎で農園暮らし(ダーチャ)」は仲間の楽しみの場として続けながら、新たに「自前の米をりつくろうかい!」をテーマにメンバーを集い「半農半X」のライフスタイルつくりと「自給自足」を目標にして、メンバーがどれほど集えるかどうか解りませんが「危機への準備」を頭に置きながら「挑戦し行動」を始めます。

 危機を予感している人は多いと思いますが、どうしても昨日の続きに今日があり今日の続きに明日が来るとの思いに流され、危機への準備行動を起こすのは本当に難しいことですが、危機が生じた時に「茹でガエル」になることは避けたいと思いますので「挑戦し行動」する仲間と楽しみながら「米作り」を進めることが出来ればと願っています
posted by コ−エン at 16:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記