2021年03月31日

利他村が目指す共同体(コミュニティー)は!

AI(人工知能)と高度な通信技術とロボットで進化する未来社会は、日本政府が想定している2050年を目標にしたムーンショット計画をはじめ、あの鉄腕アトムが活躍するような社会が生まれるようになればなと夢を膨らませています。

 しかし、進化し続ける科学技術により生み出されている現実の姿は、そのような夢の社会ではなく1%の超富裕権力層と99%の民と言った1:99の格差社会と超監視社会にのように思えてなりません。

 それは「ワクチンを打たない」とか「チップを体内に入れない」と社会生活ができなくなるとか今では「顔認証ですべての人が監視できる」までも可能になっていることから、科学技術の進化はまさに諸刃の剣で人々に夢のような生活をもたらすとは限らず逆に人々を人間家畜化として監視するようなことにもなり得ると思っています。

 勿論、陰謀論や都市伝説にむやみに振り回されることなく、また科学的根拠も定かでない地球磁場(次元)が上昇したとか、キリスト再臨による千年王国から新天新地への精神論的な願望に委ねすぎるのも好ましくはないと思っています。

 ただ、たとえ超格差社会での超監視社会に進むとしても、それは人為的な強制社会であるために必ずバランスを失い、まさにノアの大洪水やバベルの塔のように人知を超えた浄化作用により、世界そのものが精算されすべてが前後裁断され新たな始まりを迎えるだろうと思っています。

 しかし、科学技術の進化によって鉄腕アトムのような輝かしい未来社会が創れないで人知を超えた審判により精算されるとしても、なだ成り行きに流されるのではなく、生きてゆく限り危機の時期を乗り越え新たな世界に相応しい準備をしないと、新たな未来社会には入れないのではないかと思っています。

 「利他の花咲く村」は世界も日本も出口を見いだせないまま危機が生じる時代に入っていることを前提にして、同じような思いを持つ仲間が集い、危機への準備と共創共生による共同体(コミュニティー)つくりで新たなあり方を試行錯誤し合いながら準備をしてゆきたいと思っています。

 そしてまずは、具体的な危機の準備としては「食の自給自足」で、食の一丁目一番地の「米つくり」と備蓄用の根野菜を中心に無農薬栽培を始めてます。

 そして、目指す共同体(コミュニティ−)のイメージは、約16,000年前から約10,000年の間争いのない調和の時代を続けたと言われる縄文時代の人々の生き様を探求し近づければと思っています、それを土台に進化し続ける科学技術を上手く活用しながらの共同体(コミュニティー)のひな形を創ることができれば最高だと夢見ています
posted by コ−エン at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年03月18日

「危機の時代」から「新たな時代」は「他力信仰」の世界では!

 毎月一回の「聖書を読む会」で牧師さんに「明日ハルマゲドンが起こると知った時あなたは何をしますか?」と名指しで尋ねられ一瞬戸惑ったものの「何もしないです!」と答えました。

 牧師さんは「尊敬する牧師さん」の話として「その牧師さんはリンゴの苗を植えます」と答えられた話をされ「ハルマゲドンを迎えてもただただ日常の生活を続けることですね!」とのお話でした。

真の深い意味は解りませんが頷けるものを感じ、とっさに出た「何もしない!」のもそれほど間違っていなかったのではと思っています。

 今までは仏教の教えに関心があり、どちらか言えば「原始仏教」の「人が仏に至る論理的な自力修行の教え」に納得するものがあり、キリスト教の「信じよさらば救われん!」の他力信仰にあまり関心を抱いていませんでした。

 しかし、天変地異などが多発し飢餓(大恐慌のような)が生じ、その日の食べ物に困り果てるような状態になった時に人々を救うのは「自力修行」で極一部の修行者は救えても大多数の人々は救えないのではとの思いも抱いていました。

 そのような思いもあって「聖書を読む会」に参加して学ぶようになって、文明の転換期とも言われ自然災害が多発しするような危機の時期にあっては、食料危機を乗り越えるには「信じる」だけでは無理で「自力による自給自足」が大切になりますが「不安心配など心の苦しみ」を持つ人々を救うのは「「自力修行」ではなく、平安時代の飢餓の時期に広まった仏教の「南無阿弥陀仏を唱えれば救われる」大乗仏教(他力信仰)や自然環境が厳しい砂漠の地から始まったユダヤ教・キリスト教の「信じよさらば救われん」の「他力信仰」ではないかと思うようになっています。

 「他力信仰」の大乗仏教やユダヤ教やキリスト教の深い意味は良く分かっていませんが危機の時代は「人が解脱して仏になった仏陀」の教えを説く「自力修行」ではなく「仏陀(人)そのものを創った天地創造の存在(神)」を信じ委ねる教えの「他力信仰」ではないかと思うようになっています。

 そして危機の時代後の聖書にあるキリスト再誕により創られる永遠の新天新地新は、まさに「他力あっての自力」の世界では無いか、そして思いつくのがそのような世界の原型の一つが既に16,000年間調和と平和の大調和が続いた「縄文時代」ではないかと思っています。

 おそらく、大調和の世界は争いのない世界で争いがないのは人々の心に自己中心の思いも村や集落中心で排他の思いもなく、ただただ人知を超えた存在(神)を自然に受け入れ神と共に自然と共にあることに感謝し「神の愛」を実感しながら過ごす人々であったから生まれた世界で、現実の食をや住まいも「愛(利他)の思いで助け合い、分かち合うことで維持されている世界では無いかと思っています。

 そのような世界の原型の「縄文時代の人々のあり方」を聖書を通じてさらに学び「懐かしい未来」としての未来世界を描くことができればと思っています。

 ちなみに私はクリスチャンではなく、さりとて仏教徒でも無く、ただただ「真理(神理)」を学びたい1人です
posted by コ−エン at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年03月02日

「懐かしい未来」を目指して

 10年前に聞いた「懐かしい未来」その時は面白い言葉と思っていましたが、今頃になって「そうだ未来社会はまさにそのような世界ではないか?}と思うようになっています。

AI(人工知能)の進化は目を見張るようで、政府ではディジタル庁が新設され2050年達成目標に「ムーンショット」計画を公表するなど今までとはまったく次元の違う高度な情報科学技術世界に突入するのは明らかです

 現在でも殆どの人は「スマホ」を持ち、知りたい情報をいとも簡単に知ることができ「スマホ」は衣食住と同様に生活必需品となっています。

 このような情報科学技術の進化はまだまだ序の口で、今後さらに人々に便利な生活をもたらすばかりかAI(人工知能)や進化するロボット技術により働き方も一変し政治経済のあり方を根本的に変え、外交や防衛のあり方も全く異なるあり方に変え社会や人々の生き方をまさに前後裁断するだろうと思います。

 しかしそのような高度な科学技術社会は輝かしい未来社会を作り人々の豊かで幸せな暮らしをもたらすかと言えば、必ずしも「そうだ!」と頷くことが出来ないのではないでしょうか。

 それは、輝かしい高度な科学技術社会が今までのピラミッド型社会システムのままに進むとすれば確実に格差社会をますます増幅させピラピッドの頂点の支配層の道具として下位の人々への管理支配の用具に使われることは自明の理で、さらに各階層間の格差からくる分断と差別を蔓延させ暗黒の未来世界をもたらすだろうと思います。

 シュメール文明以降の約6,000年の「知による物の豊かさをもとめた文明」が「成長」を旗印に自然を破壊し宇宙をも視野に発展をもたらしているものの、、決して人が持つ心の豊かさをもたらしたとは言えず精神性は逆に停滞から退化しているようにも思えることです。

 そのように思うと「懐かしき未来」はまさに「知による物の豊かさによる成長」の延長線上ではない次元の異なる新たな未来の言葉のように思えてなりません。

 そこで「懐かしき」とはと思い巡らすと、それは「縄文時代」の人々の世界とその精神性への回帰の思いのように思えてきます。

 12,000年とも16,000年とも言われる長い縄文時代の人々の精神性を推し量ることは出来ませんが、縄文時代の人々の人骨には全く争いによる損傷がないと言われていますので私たちにとっては想像すら出来ない超不思議世界そのものですが「懐かしき」とはそのような潜在的な記憶がもたらした言葉のように思えてなりません

 「人々の中で争いが生じない」と言うのは人類の歴史からは想像だにできなことですがあえて想像するとすれば、まさに「人々が自然と一体共生の心を持ち宇宙(天)と共にあると実感して日々暮らしていること、そして1人1人が宇宙(天)の分子として互いが個性を尊重しながら生きていた」からこそ争う要素が生まれる余地すら生まれなかったのではないのだろうと思えてなりません

 「懐かしき未来」とはそのような縄文時代の人々豊かな精神性に回帰した上で高度な情報科学技術により自然と宇宙の中で共生する未来社会ではないかと思えてなりません。

 難しいことですが利他村はそのような村つくりを目指してゆきたいなと思っています 
posted by コ−エン at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記