人は利己的であると同時に利他的な思いを持っています
時間と空間の有限の物質世界で肉体を維持をするには「利己的な思い」でその欲求を満たそうとするのは当たり前のことです。
ただ人は集団の中で生きていますので、それぞれが「利己的な思い」だけで欲求を貫こうとすると争いが生ずるのも当たり前のことです。
したがって人は「利他的な思い」をもちながら「利己的な思い」を満たし合うことでないと維持可能な世界が創れないのは言うまでもありません。
しかし今の世界は「利他的な思い」が陰におしやられ「利己的な思い」だけの「優勝劣敗」の競い合いが当たり前のようになって、その結果「格差社会」がどんどん拡大固定化しつつあります。
「格差社会」が行き着く先は一部の富裕権力機構とそれに管理支配される大多数の人々で、そのようなバランス無き社会が永遠に続くはずは無く、いずれバランスが崩れ崩壊するのも当たり前のことです
そうさせないのが人々の「利他的思い」だと思っています。
人は肉体生命と同時に霊的(精神)生命を持っていますので肉体維持のための「利己的思い」を霊的(精神)的な「利他的な思い」を蘇られ抑制しながら生きるように創られいるのが人の本来の姿だと思っています。
1万年の間争いがなく平和を維持した縄文の時代があったのです、そのような世界が創れた大きな要素は豊かな自然環境で争うこともなく狩猟生活が維持出来たことで、必然的に人々は自然と大宇宙に感謝する心が生まれ「利己的な思い」が人々の中に生まれたからだと思っています。
弥生時代に入り稲作が始まり人口も増え土地や水の競い合いが生まれるようになって6,000年後の今日は「利他の思い」よりも「利己心による自由な競い合い」が当たり前になり、今日では新自由経済との名の下に実体とかけ離れた強欲な利己心による金融経済が席巻し、格差と分断と対立が激しくなり、この延長線上は崩壊に向かうとしか思いつきません。
「利他的思い」が表に出ないで「利己的思い」で崩壊に向かう世界をとどめることが難しい現在、その崩壊に伴う危機を乗り越えるのは一人一人がもつ「利己的な思い」を少し手放し「利他的な思い」をもって未来を地道に準備するしかなく、その人々の波動が拡大すれば高度科学時代にあって80億の人々の食糧をも科学技術で作ることが出来、世界全体が「新縄文時代」として「利他の花咲く世界」に蘇るのではと思っています。