宗教団体が「神や仏の理」を教義にして現実の世界で具現化しようと政党をつくり活動するのは間違いではないと思っていますし「政教一致」は本来正しいことだと思っています。
創価学会の「仏王冥合」も他の宗教教団が目指す「神政一致」も本来正しいことだと思っています。
しかし「神や仏の理」の教義がそれぞれの宗教教団で異なり、他の宗教教団の教義を批判し排他するような状況にあっては「政教一致」は逆に現実の世界を混乱させ争いの原因にもなるのは言うまでもありません。
そもそも「神や仏」は現実の世界を超えた人知を超えた存在と思えますし、モーゼがシナイ山で十戒を与えられあなたは誰かと問った時に「私(神)は有りて有るもの」と答え、ヨハネの黙示録には「私(神)はアルファでありオメガ(はじめであり終わりである)」とあり、ビッグバンで始まる以前や終わる以後の領域とも思える「神や仏」の「理}を「教義」として「神政一致」をもって現実世界を導こうとすることはどの宗教教団であっても浅学な私ではありますが「時期尚早」なことだと思っています。
イエスが「神の世界は神の世界でカイザルの世界はカイザルで」と述べたのはそのようなことではないかとも思っています。
したがって「政教一致」は究極的には正しいと思いますが、それぞれの宗教教団が「神や仏の理」について議論を尽くし許容し合えるようになり人々に受け入れられるようにならない限り「政教一致」はタブーなことで、「宗教の世界は宗教で政治の世界は政治で!」の「政教分離」が現実的な在り方だと思っています。。
そのような観点からは今回の岸田首相が池田大作氏の弔門に創価学会に行くことは「政教分離」を定める国の首相としては禁じ手とも言える行為だと思っています。
「政教一致」は何よりも一神教の唯一神を崇拝するユダヤ教、キリスト教・イスラム、多神教の仏教やヒンズー教・経典や教義のない八百万の神々を崇拝する「神道」などの精神世界を知的に人々に共有されるように体系化し受け入れられるようになることなくして「政教一致」は混乱と争いの具にとなり逆に「神や仏」を堕とし閉めることになると思っています。