2019年12月13日

安倍政権の「桜を見る会」の対応には「うんざり」を通りこして「怒り」さえ覚えます。

森友・加計問題では「国民に充分な説明をします」の発言は果たさず、不都合な資料は各省の忖度による「書き換え(改ざん)」や「破棄」のまま参議院選挙で勝てば「禊ぎがあった」とし、今回の「桜を見る会」も誰が見ても「問題あり」が明らかにも関わらず資料は「シュレッターで破棄」復元可能な「電子データーも消去」さらに「バックデーターは行政文書でない」など答えにならない答弁を繰り返すばかり、野党の国会の会期延長要求は拒否し「ほとぼりが冷める」のを待つ安倍政権の「モラルもなき政権運営」には腹立たしさを感じています。

 そもそも国政や行政の記録は歴史的記録として国家財産であり「紙媒体」しかない時代は保管面で重要度に応じて廃棄も仕方がないとは思うものの「電子媒体のデータ」の時代にあっては「行政上の政策の失敗や好ましくない言動」もすべてを永久保存にすることは基本中の基本でもあり常識中の常識でもあり、それを権力を預かる与党や首相が「権力への保身と維持」のために「虚偽や言い逃れ」を繰り返し不利になる記録は「平然と破棄した」と言い放すのは「民主主義」の原点に反するばかりか、そのような「モラルなき醜態政治」は「民のモラルも著しく低下させ」「世界からの評価の低下をもたらし」あってはならないことです。

 残念なことにこのような重大局面に関わらず与党の中には正面切って首相交代を迫るリーダーはなく、野党に至っても大同団結をし民から安心し信頼される政策を掲げて民と共に政権交代に導く絶好の機会に関わらず問題追及に終止するばかり「れいわ新選組」の右翼や左翼とか保守や革新と言った固定観念を乗り越え民の側からの新たに時代の息吹と流れが生まれているにも関わらず大半の民は「ゆでカエル」を甘んじているようで新たな令和の時代が開かれるのはまだまだ先になるのではと危惧しています。

 しかも最長になった安倍長期政権の間「人口減少」と「少子高齢化」は進みつづけ、失敗したのか「アベノミクス」の言葉さえ言われなくなくなり、国際的に優位であった「教育水準」「技術水準」はどんどんと下がり、国内的には貧富の格差の拡大固定化が続き「美しい日本」の訴えは時代逆行の「新安保と軍事力強化」しか目立たず「成長から成熟」に入った時代にあって未来志向の新たな豊かさをもたらす政策は何ら見当たらないように思っています。

 ただ昭和の初めには昭和大恐慌、平成の初めにはバブル崩壊とあり、経済破綻(金融危機)が何時生じても不思議でない現在令和大恐慌もあり得ることで、安倍政権への不信と怒りに終わるだけで何もしないのはそれこそダメで、少なからず個々人で出来る「危機への準備」と「新たな時代への準備」を意識的に心がけ行動しないとと強く思っています。

 そのような思いもあって利他村はまずは危機を前提に「自給自足可能なライフスタイル」を目標に新たな時代の「コミュニティーつくり」の取り組みをしています。

posted by コ−エン at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/186915227
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック