公文書の書き換え・破棄・隠蔽そしてはぐらかし答弁で明確な説明をしない、人事権をもって司法や検察の長を取り込み、メディアへは忖度圧力をかけ長期政権を続けた「悪魔に導かれたような安政政権」とその路線を引き継いだ管政権さらに忖度によりコロコロ主張を変える岸田新政権を見るともはや与党は自浄能力を失ったと言わざるをえません。
しかし残念ながら統一候補で対峙するようになった野党を国民が「未来を託す政権」として期待しているとも思えません。
総選挙でどのような議席の変化があるかは定かではありませんが、既に社会そのものが保守や革新とか資本主義や社会主義といった価値観で政党や議員を選べなくなっているようで、また候補者自体も新たな価値観をもって未來世界を描がき人々をリードすることができないで、まさに社会全体が未来社会を模索し彷徨しているように思えてなりません。
たしかに世襲議員や利権政治屋議員が多い中で未来社会を描き人々をリ−ドしようと志す議員もありますが、それも長く人々の熱い支持にはなり得ず、古い政界の枠組みの中にあって「出る杭は打たれ」埋もれて行くようで、逆に社会も世界そのものも対立が増幅しているようでますます未来が見えなくなっています。
勿論、混沌とし閉塞した時代がこのまま続くはずはなく、過去の歴史では社会が混乱し一つの時代が終焉に近づくと天変地異などを切っ掛けに大きく変化し新たな時代を生み出したように、現在も何かのきっかけで変わるのでは、そのきっかけが未知のウイルスコロナパンデミックのように思います、それは自浄能力を失い方向を見いだせないでいる人々を「前後裁断」させ言わば「神の見えざる導き」ではないかとも思えなくありません。
すでに「物の豊かさを求める人々の欲望(欲求)を競い合うことで満たすことを良しとし、世界全体を「成長」させてきた現代文明がその結果「自然を破壊しつくすことで異常気象による未曾有の自然災害をもたし、人々を安い労働力コストとしてきたことを許容したことで貧富の格差を増幅させ固定化させ、社会全体に「物だけ、金だけ、自分だけ」の波動が漂よい、物についても人についても「成長の限界」をもたらし、それを自助能力をもって新たに蘇生させることが出来ないで終焉を迎えようとしているように思えてなりません。
確かに世界はSDGs(持続可能な17項目の開発目標)を掲げ、AIやIOTが人類の知能を超える時代(シンギュラリティ)への突入を予見し、本来の人間性解放(新たな新人類)を目指す流れが生まれていますが、それも古い「人々の欲望(欲求)による成長神話」の枠内で推し進められることで成就はしないで、神に似せ人を創った神が人々の欲望(欲求)のままのあり方に失望し大洪水で世界を沈め「ノアの箱舟」を造らせ新たな始まりに導いたように「神の裁きと導き」による新たな世界が開かれるように思えてなりません。
勿論、「現在版ノアの箱舟」に乗り新たな文明に向かうにしても、裁き(大洪水)を乗り越え新たな世界に相応しいあり方を準備する「人事を尽くして天命を待つ」で試行錯誤しながら進むしかなく、少なくと利他村では新たな時代は「自然と融合(共生)しながらまずは自給自足をしながらの縄文時代の人々」の心(意識)にヒントがあると思い、そのような思いの仲間で進化し続ける科学技術を活用した「共同体(コミュニティ−)」のひな形つくりを夢にして進むことで光を見いだそうとしています。
2021年10月29日
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