2024年07月31日

「AI(人工知能)」の驚異的な進化について思う

 一昨年に登場したチャットGPTには驚きましたが、その後のAI(人工知能)の進化は分進秒歩で2045年にはシンギュラリティー(AIが人間の知恵を超える)と言われていましたが、さらにその時期が早まるのは確実で、やがてAI自体が自律し政治・経済はもとより社会のあらゆるシステムを大きく変えるのではと思うと不気味な感もします。

 どのような未来社会が出現するかは予測出来ないにしても、AI搭載の携帯電話になれば解らないことは即回答が得られ解決方法も知ることが出来るようになると社会や個人生活の在り方が大きく変わり、さらにAI搭載のロボットが進化すれば労働集約的な仕事やデスク仕事の殆どAIやロボットが受け持ち人々の働き方も大きく変わるのは確実です。

 そして人間の知恵を遙かに超えるAI社会は必然的に東大卒なども意味を持たなくなり、また高度な知識が必要な医師・弁護士・会計士などの士業やコンサルタント業務の殆どもAIに取って代わられのも確実です。

 しかし、私見ですが人が眼鼻耳口と身体をもって得た「知」がどんどんと増え「知識」となり人生経験を通じて「知恵」になり、その人々が得た「知識・知恵」をデーター化して論理的最適解をもたらすAIには人は手も足も出ないもののAIによって新薬がどんどん生み出され人々の寿命が延び、高度な情報技術や科学技術によって豊かな生活がもたらされることは喜ばしいことです。

 とは言うもののAIはそもそも「人の喜び」を感じることは出来ないのです。
 
 人は「知識・知恵」をさらに「叡智」にまで高めることは可能で「叡智」とは空や悟りの境地に繋がる「智恵で「AIの倫理的最適解」と「人の喜びそのもの」とは異なる次元の世界のことで、そもそもAIの進化によって宇宙の成り立ちを解明出来るとすれば創造神としての「神」の存在も神によって創られた人の存在もまた仏教の「空」や「悟りの境地」も意味がなくなることでそこまでAIが解明できるとは到底思えません
 
 あくまで感性や悟性や霊性を持てないAIは三次元の相対的な物質世界での最適解を導きだす道具でしかなく、その道具を人が「善」に使うか「悪」に使うかで「善」に使えば「人の喜び」となり「悪」に使えば「人の苦しみ」となる、現実にAIを戦争の道具にしつつある現状を思うとまさにAIは「人の苦しみ」を創りだします、AIを国家権力行使の道具に使うか人々の豊かさを生み出す道具に使うかによて未来が決まるのであってあくまでAIは道具で人々の使い方に未來がかかっています。

 若者のように器用には道具として使えませんのでせめて高齢者である私は叡智に繋がる智恵を導く道具に使うような工夫をしたいと思っています。

 また「人の喜び」を感じられないAI社会にあってAIを使い活かし「人の喜び」に繋がる仕事や活動が最も相応しい在り方と思っています。
posted by コ−エン at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/191002933
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック