2013年08月24日

「今世界は食糧資源は過剰な時代だって!」

 最近発行された「世界史の中の資本主義(エネルギー、食料、国家はどうなるか」の著書に「現在は食料も資源も過剰になっている」と書かれてあり・・・今まで利他村のブログで「人口が70億人を超えた世界で限りある食糧資源は枯渇する」と書いてきたことから少し不安な思いで読みました。

 著書では、生産技術や化学肥料の進化により単位当たりの食料資源の生産高は飛躍的に伸びている・・・石化燃料もメタンハイドレードやシェールガスなどの新たな燃料を手に入れ一昔前のような危機感は無くなっている・・・・著名な大学教授たちが執筆されていることからも、食料資源が枯渇していれば人口増は増えない筈だが世界人口は増え続けている・・・・と言うことは「食料資源は足りている」のは肯定できます。

 もっとも「食糧資源が過剰な時代」という認識はしていなかったものの、利他村のブログでは「地球の食糧資源は潜在的に世界の人々を賄うように準備されている」とも書いてきました。

 地球にあって食糧資源は時間的な流れの中の時点時点で、空間的なばらつきの中の部分部分で「過剰になれば人口が増え、枯渇すれば人口は減る」・・・その結果人口はその生存に応じた数になる・・・現時点は全体として世界人口を許容する量があり、今からの生産技術の進歩や肥料の改良を想定すれば「人口増も許容できる」と言うことだと思っています。

 ただし、「過剰か不足(枯渇)」かは、世界のすべての人々が先進国並の食料資源を求めれば「不足(枯渇)する」・・・・過剰と言うのは「豊かな先進国・新興国・低開発国・世界の約一割の飢餓の人々の存在」の状態が変わらないとすればまだ余裕があるとの前提の上でのことだと思います。

 そもそも「食料資源が過剰時代」であれば人々は食料資源の苦しみからは解放され、紛争もなく平和な世界が誕生する筈ですが、現実の世界は「食糧資源」の獲得競争により利害が衝突し紛争が多発しており、先進国すら明るい未来を見いだせないでいます。

 それは「食糧資源が過剰」にかかわらず世界が「競争原理の社会システム」から抜け出せないでいるからだと思っています。

 「食料が不足(枯渇)する時代」にあっては競争原理が豊かな物社会をつくる要素であったものの「食料が過剰する時代」では「競争原理」は社会を不安定にする要素になる・・・・「食糧資源」を含めてすべてをバーチャルなマネーゲームへの投資対象となり強慾な利益獲得競争が激化する・・・・その結果1%の富者と99%の貧者の格差世界が生まれ固定化する・・・・アメリカを見ても中国を見てもまた日本を見てもその方向に向かっています。

 
 そのような世界が持続する筈がありません・・・・そして「食糧資源が過剰の時代」「競争原理システム」が続けば何かを切っ掛けに一瞬の内に「食糧資源が不足(枯渇」する時代」になるのも予見出来うることです。

 20世紀は「個々の競争原理により物が豊かになった時代」しかし21世紀は「共生による共創原理による新たな豊かさの時代」で、それは「競い合い」ではなく「分かち合い」の世界をどのように創れるのかにかかっていると思います。

 その端境期にあって崩壊が進んでいる現在、それを乗り越えるには残念ながら国は勿論既成組織に依存してもダメで、個々で最低限の自給自足と「共創原理による共生の仲間つくり」の準備をすることしか無いのだろうと思っています。 
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2013年07月31日

「競い合いによる成長神話」から「分かち合いによる共生神話」に!

 参議員選挙はアベノミクスの金融緩和(お金を刷る)により経済が少し好転したことへの期待から与党が圧勝「ねじれ解消」による安倍長期政権の道が開かれ、次なる「成長戦略」に期待感が持たれています。

 しかし日本社会が成熟期に入り、少子高齢化で人口が減少、ましてや企業が安い労働力を求めて生産拠点を海外に移す現状にあっては国内での生産力が落ちるのはしごく当然なことで、過去の成長期とは経済基盤が大きく変化しています。

 人は「一度豊かな暮らしを体験すれば昔に帰りたくない」そして「今より豊かになりたい!」と思うのはしごく当然なことで、それに応えるのは政治の役割ですが、成熟社会で成長力が鈍化したことを踏まえ新たな国の在り方を示すこと無く、与党も野党も「競い合いによる成長神話」の中で「快い成長の言葉」で国民に期待を持たせるのは一種のまやかしのように思えます。

 どちらが勝利したとしても借金(国債発行)をして公共投資で仕事をつくりGNPを維持するだけで終わり、結局は国の借金が増え続け、その返済(税金や社会保険のUP)を子供や孫そしてひ孫・・・に先送りするしかないのが過去の流れからも想像できる筋書きです。

 資源や食料に限りがある地球上で人口が増え続けているのですから「無から有を生み出す科学技術の進歩」がない限り一人当たりの食料・資源が少なくなるのは当たり前で、70億人の世界にあって、新興国や後進国が先進国並みの豊かな生活を求めれば資源は枯渇し、環境汚染が広がるのは明らかで、ましてや限りある食料・資源の競い合いが激しくなればなるほど貧富の格差は拡大し国内は勿論国間での紛争が増えるのも至極当然なことです。

 もはや「競い合いよる成長神話」による豊かな国つくりは20世紀の世界神話で、70億を超えた21世紀で人々が安心安全な世界を創り上げるには「分かち合いによる共生神話」による豊かな国つくりにシフトアップするしかないと思っています。

 とは言うものの先進国はさらなる豊かさを求め、新興国は先進国並みの経済成長を求めて「国益(自己中心な利益)」を大義に人々に「競い合いによる成長神話」の世界の中での「経済成長路線」を示し切磋琢磨をし続けています。

 やはり「競い合いの世界」から「分かち合いの世界」は、世界的大恐慌!世界的規模の自然災害!世界規模の戦争!のような根本的な破壊が起こらないと人々の力では変えようが無いのかもしれません。

 しかし大型船は前方に大氷河を発見しても急に舵どうり船は曲がらず衝突沈没するしかありませんが、小船は舵さえ切れば無事に通り過ごすことが出来ます。

 ただ小船も大型船の後ろで航行すれば舵をきっても大型船の衝突沈没の大波を受け同じ運命になることから、今の時代はリスクはあっても行く先を明確にして進路無き海原を小船で進むしかないと思っています。

 大転換期を迎え端境期の時代にあって、古い時代の「競い合いによる成長神話」の世界を大型船「タイタニック号」と共に進むか、新たな「分かち合いによる共生神話」の世界を目指し小さな船で航海するかの分岐点にあると思っています。

 そのような在り方を願う「若い世代」と共に未来への小さな小さな源流つくりに「利他の花咲く村」がなればと思っています。
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2013年06月17日

「利他村」にとって共同体から共生体つくりの活動がが相応しいのでは!

 利他村のある目高集落を再生(いや新生)出来ればと思い、村が元気に蘇るのは「移住者が増える」ことですからイベント活動を通じて移住促進を呼びかけて来ました。

そのような活動もあって目高集落に住みたいと来られ、何とか実現したいと「住む家」の交渉をしてきました。

 しかし「空き家」がどんどん増えているにもかかわらず「一度貸すと出て貰いにくい」とか「たまに帰った時に人に貸しているとやはり居心地が悪い」などあり中々貸して貰える家がなく、せっかくの移住申込みがダメになっているのです。

 このような傾向はどこでも同じで、行政が積極的に「移住促進」のための受け入れをし、住民に町の再生を啓蒙し住民と共に「町あげての元気つくり」に取り組むようにしないと、もともと「変化を求めたがらないお上に従順な風土」の田舎町にあって「衰退するのが解りながら諦め」の思いに流され田舎町は衰退してゆかざるを得ないだろうと思います。

 「21世紀の新たな共創による共生の村つくり」を目的に法人化して、何とか新生のモデルになるような村を創りたいと「夢を喰うバク」の如き思いでスタートしたのですが、残念ながらそのような雰囲気が感じられないふ中で、過疎化し消滅寸前の「目高集落」に移住者を増やし「新たな共同体」として蘇らせることは「労多くして益なし」の「夢バク」で終わるのが落ちかも知れません。

 そこで目高集落に「移住者を増やし共同体をつくる」ことが夢バクに近いのであれば、一端その思いを頭から外して、移住にこだわらずに「都市部と近隣の元気な人たちでの共生の村つくり」に活動の視点を変えれば、利他村を支援頂いている都市部の方にも一体感をもって参加して頂けるし第二の拠点としての田舎町になる・・・・と思うようになりました。

 「空き家」は借りられないけれども「耕作放棄地」は整備や管理から借りて貰った方が良いことから貸して貰える、と言うことは「懐かしき里山の景観」と「田圃」のある田舎を「第二の心のふる里」として都市部の人との共生の時と場をつくることが出来れば「21世紀の新たな共創による共生の村つくり」の「モデル村」が出来る・・・・それが利他村の活動にとって相応しいのではと思うようになりました。

 と言うことで「移住による共同体」から「都市部の人たちとの共生体」へとシフトアップした形の活動を進めて、そのことによって田舎町の元気創りに貢献して行くのが利他村の進む方向と思うようになりました。
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2013年05月30日

目高集落に移住は難しいが利他村は元気に!

 社会が成長発展するには一つは「人口が増加している」ことでもう一つは「科学技術が進化している」ことだと思います。

 
 約3,000万人の明治維新以降人口は増え続け、西洋の科学技術を取り入れ日本独自の改良改善もあり日本は大きな成長を告げることができました。

 しかし日本が経済大国となり成熟期に入ると人口が減少し出し少子高齢化の流れに入り生産人口が減少するようになり、それを上回るような飛躍的な科学技術の進歩も無いことから成長が止まり徐々に衰退の流れに入りつつあります。

 そんな流れにあっては田舎町はなおさらで、都市集中の産業構造にあって人口は減る一方で、ましてや科学技術の進化を生み出す環境や土壌もないことから激しい衰退の流れに飲み込まれており、国や行政の支援なしには成り立たなくなっています。

そんな中で利他村は「21世紀は田舎町から新生を!」と粋がり「移住無ければ発展無し」と元気な活動を開始していますが、4月に京都から36才の若者が「離れ部屋」を借り移住寸前まで言っていたのですが「離れ部屋でもたまに帰ったときに他人が居ると気が引ける」ので断って欲しいとの話でダメになりガッカリしているのが現状です。

 理由は「お墓参りに帰ったときに人に貸しているとやはり気が重い」「将来もし帰ることがあれば出て行って貰うのが大変」「先祖代々の家屋を自分の代で人に貸すのは忍びない」などですが、おそらく「田舎町には衰退の流れを何とくい止めようというと言う意欲も生まれないほど疲弊している」のが原因だと思っています。

 さりとて都会自体も非正規社員が増え若者にとっては将来的な希望を持てない環境にあり、また競争至上で格差も広がっており決して都会は夢のある場所ではなくなっていますので、しばらくは物が豊かで便利な都会集中の流れが続きますが、成長が止まったことからやがては物だけではない便利さだけではない豊かさを求めるようになり、自然との共生が出来る田舎志向の流れが生まれると思っています。

 そのような流れが生まれれば衰退の流れにあった田舎町にも元気の意欲も生まれ、そうなれば移住希望者の受け入れの意欲も生まれるだろうと思っています。

 現状は衰退の流れにある目高集落では空き家を貸そうという意識が生まれまませんが、ガッカリばかりしないで、利他村では「21世紀は田舎町から新生を!」と粋がりつづけ目高集落にこだわらずに「移住無ければ発展無し」と活動をし続けたいと思っています。
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2013年04月30日

お金を刷って景気回復?・・・そのお金の行く末は!

 「アベノミクス」とは要するに「お金を刷ってインフレを起こし経済を刺激する」・・・お金を刷れば円の信用がなくなるので「円安になる」・・・円安になれば海外に物を安く売れることから「輸出が増える」・・・・そうすると輸出企業が潤い海外からの株式債券投資が増え株が上がり富裕層も潤い安倍さんは人気上昇で支持率も上昇・・・・・

 ??・・・こんな単純で簡単な「お金を刷れば経済が良くなる?」のであれば失われた20年の日本は何だったのでしょうか・・・・20年こんな単純な解決策に気づかなかったのでしょうか・・・・??とても「良かった良かった」とぬか喜びする気持ちにはなれません。

 そもそも少子高齢化で生産人口が減少すると生産力が落るのは当たり前・・・技術力を高めて生産力を上げようとすればますます機械化になり人手がいらなくなるのも当たり前・・・さらにグローバルな流れにあって安い労働力を求め海外に生産拠点が移り国内生産が空洞化するのも当たり前・・・・結局お金を刷って潤うのは海外競争力のある大企業と金融資産をもつ富裕層で大多数の国民が潤うとすれば先の先・・・そもそも生産力以上にお金を大量に刷るとインフレになるのは誰でも解る算式です。

 「経済」とは人が自然に働きかけ知恵を活かし技術を高め生産量を上げて人々の「衣食住」を賄うことが土台で、その上で人の持つ文化的欲求や自然や宇宙への探求欲求を満たす活動、人々を成長させ調和に向かわせる活動、そして不測の事故に備える活動を担う生産やサービスのことで・・・「お金は」それらの活動の潤滑油であって「経済を刺激するためにお金を刷る」のは本末転倒なことなのです。

 EUやアメリカそして日本はその本末転倒な経済の潤滑油を遙かに超える量のお金を刷って需要を喚起し生産を増やし景気の回復をしようとしていますが・・・・一端その手を使うとお金を刷り続けなければ経済が失速する罠に填まり込むしかなく・・・本来の物やサービスの潤滑油を遙かに凌ぐ「お金」は「金融市場」に溜まり続け「実体なきマネーゲーム」が「物の経済」を席巻するように成り・・・・やがては「物の経済」の十何倍の「マネーゲーム」が何かの切っ掛けで弾けると一瞬の間に世界経済はコントロール不能に陥り崩壊に向かわせる・・・・その崩壊をさらにお金を刷ることによって先延ばしにする・・・・これが今の世界経済でやがては何かの切っ掛けで「世界的大恐慌とハイパーインフレ」に突入する・・・・そしてお金を刷る(国の借金は増大)はそのハイパーインフレによって解消・・・・逆に国民の預貯金もご破算に願いまして・・・これが今のアベノミクスの行く末です。

 その前に世界経済の混乱は戦争に進み世界全体をご破算にするのも歴史で経験済み・・・・・

 「使用済み核燃料」の最終処理が見いだせないまま「安全神話」をつくり原発を作り続けた結果の大惨事・・・・・行き場のない「使用済み核燃料」と「溜まり続ける汚染水」で国民の生命の安心安全は消える・・・・・「大量のお金」の行く末を見いだせないままに「発展神話」をつくり「お金を刷り続ける」・・・・その結果の「何の生産も生み出さないお金が溜まり続ける」・・・・その結果国は助かり国民の財産は消える・・・何故か同じ構図に思えてなりません。

 臨界点に来ている今までの経済はもはや「対症療法」では無く「根本療法」を見いだし新たな経済を創り出すしかない時代に入っています。

 それは一端70億人の「衣食住」を賄うために進化発展した科学技術を活かしどのような新たな経済システムに世界に創り変えるかの「原点に帰る」をするしかないように思っています。

 そんな思いもあり、小さな小さな動きですが「利他村」は「原点回帰」をして「食の自給自足と自然再生エネルギの新たな共創による共生の村つくり」の活動に未来を見いだそうと思っています。
 
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2013年03月29日

法人化で何と言っても「共同体つくり」を!

 法人化をして具体的には「自給自足と自然再生エネルギーによる共同体つくり」を第一の旗にして活動したいと思っています。

現在の日本の状況を見ますと

 ・人口減少による少子高齢化で国内経済が衰退するのは自然な流れ

 ・グローバル経済にあって人件費の安い海外に生産拠点が移り国内が空洞化するのは自然な流れ

 ・当然に貿易収支が悪化しやがては経常収支(全体の収支)がマイナスになるのも自然な流れ

 ・潤うのは海外市場を舞台にする大企業と富裕層で貧富の差が拡大し固定化するのも自然な流れ

 ・格差の拡大は社会不安を増幅させ思わぬ事件が日常化するのも自然な流れ

 ・2%のインフレを起こし経済を成長させるアベノミクスは一時の回復はあってもかえって重い症状に陥るのも自然な流れ

 ・実体とかけ離れた架空のお金がコンピューターで動く世界経済は何かを切っ掛けにコントロール不能に陥り破綻の連鎖が起こり崩壊に向うのは経験中で自然な流れ

 ・破綻の連鎖によって日本で起こるのは国債の暴落とハイパーインフレ、国の借金は消えると同時に国民の財産が消えるのも自然な流れ

 グローバルな「競争至上の世界経済」はやがては「ご破算に願いまして」で終焉、それによって時代の振り子の向きが変わり「共創による共生経済」にシフトアップするのが時代の流れと思っています。

 法人化した利他村はそのような流れを前提にして、端境期に生ずる混乱期を乗り越える準備をするための「共同体つくり」を当面の最重点活動にしながら、新たな「共創社会」の一つの雛形となる「共同体つくり」に繋げてゆきたいと思っています。

・・・・・そこで・・・・・

「端境期を乗り越える準備として」

・ 預貯金のある人は自己責任でインフレへの財産防衛を!

・「食糧危機」と「資源危機」が起こることを前提に最低限の「食と水とエネルギー」の生活防衛を!

・「食料と水とエネルギー」は共鳴する仲間で共同体を!そして他の共同体とのネットつくりを!

「新たな流れの雛形になる共同体つくりとして」

・「自立と奉仕をモットーに、物とこころのバランスのとれた、愛ある共創共生の村つくり」を理念に!

・「利他喜働」「百人一歩」「物心調和」「共創共生」を村是に!

利他村は!

・・・・健康で維持可能な生活スタイルとこころ豊かな共生の社会へのシフトアップを目指して!・・・・

「遊歩道散策の集い・ シャンソンと食のフェスティバル・共創の音楽の集い等のイベント」や「移住促進や起業促進」の活動を通じて「共同体つくり」を呼びかけたいと思っています。

posted by コ−エン at 14:33| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記

2013年03月27日

4月から法人としての活動を開始です

 設立登記では10年に一度の良い日とのことで2月26日に念願であった一般社団法人:利他の花咲く村の法人登記をしました。
 
 いよいよ今までのボランティアグループでなく4月から目的を定め法人の事業として新たな利他村活動を開始致します。

 目的を「21世紀の新たな共創による共生の村つくり」として、以前からも今からは「物の競い合い」から「物とこころのバランスのとれた分かち合い」の時代だ!と「個々の競争」から「共創による共生」をスローガンに活動を進めてきました。

 
 そして法人としての事業の一番目に「自給自足と再生エネルギーによる共同体つくり」を掲げることにしました。

 利他村のホームページに「思い」として触れていますが、世界経済の実体は「お金を刷ることで破綻を引き延ばしをしている」に過ぎませんし、グローバルな競争経済市場あって貧富の格差は拡大するばかりで世界はその自浄作用能力を失った状態にあります。

 また地球自体が激動期に入っており、開発という名の自然破壊も伴って世界の至る所で未曾有の天変地異のような甚大な災害が増え続けています。

 このような世界経済や自然環境にあって、何かが切っ掛けになり収拾の付かない状況に追い込まれることは誰もが感じていることで、世界の人々の誰もが明るい未来を描くことが出来なくなっているのもそのような閉塞感からだと思います。

 しかし人類はノアの方舟の時代から何度も何度も地球規模的な困難を乗り越えて来たのですから、臨界点を迎え現代の物質文明が崩壊に向かおうとも必ずそれを乗り越える新たな蘇生(新生)が起こるのも予見できることです。

 ただ、その新たな蘇生(新生)は困難を乗り越える準備をしているかどうかが分かれ道で、何もしないでいると崩壊の流れに飲み込まれるのは確実だと思っています。

 利他村ではここ数年の間に何かが切っ掛けになり食料・資源のない日本で「食糧危機」「資源危機」に遭遇すると想定していますので、最重要課題として「自給自足と自然再生エネルギーによる共同体つくり」を掲げたのはそういう思いがあるからです。

「何を大げさな!」「成るように成るさ!」と言われる人が多いと思いますが「アリとキリギリス」でそのような時代認識をする人たちと共にまたグループとネットをつくり「食と水と再生エネルギー」の自給自足の共同体つくりを進めたいと思っています。

 「原発再稼働」「TPP参加」「消費税アップ」・・・それらは崩壊の流れにあっての足掻きで新たな蘇生(新生)に繋がりません「衣食足りすぎて飽食におぼれる」から「衣食足りて礼節を知る」ブータンの幸せ観を基本にした高度な科学社会が21世紀のような気がします。

利他村はまずは「衣食足りてこころ豊かに!」を基礎にした共同体つくりからスタートします。 
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2013年01月30日

地球がアセンションに入った?そして利他村は!

 マヤの暦が終わり地球がアセンション(次元上昇)に入ったとの話があります。

 地球がアセンションするとは、三次元の地球が五次元の地球になるとのことですが、五次元とは?そうなれば地球や人々はどうなるのか???です。

 地球がアセンションすれば「お金のない世界になる」とか「病気のない世界になる」・・・の類いの話にはスンナリとはついてゆけません。

 確かに地球環境が激変しており、世界経済が大不況に陥り未来が描けなくなっている現在にあって、大いなる意思(他力)によって五次元なる世界がもたらされ、自然環境が穏やかになり世界が調和し平和な地球になればとの思いは解らないことではありませんが・・・他力本願の神頼み話にも組したくはありません。

 さりとて、未知なる世界や目に見えない世界について関心は持っていますし「客観的に証明できないことは受け入れない!」と頭から拒否する態度は取りたくありません。

 と言う訳でアセンションの「トンデモ話」は別にして、現在の地球は三次元と言われていますが、三次元とは縦・横・高さの三次元立方体(空間)のことで、それに過去・現在・未来の四次元(時間)と共に存在していますので「三次元」と言うより「時空間次元」の存在だと思っています。

 宇宙は「時空間次元」の存在でそれ以外に宇宙はないとすれば「アセンション」は「トンデモ話」になりますが、科学の世界では既に「五次元の世界」を予見するようになっていますから地球が五次元へアセンションすると言う話は決して空想話ではありません。

 もっとも「五次元世界・六次元世界・・・・多次元宇宙」は目に見えない世界で客観証明はできませんので「信じる」から入るしかありません・・・「信じる」から入るのですから独断と偏見はつきものでそれはお許を願うしかありません。

 私たちの脳は天才と言われる人たちでも数パーセントしか使っていないと言われています、それはひょっとすれば「時空間次元の世界」のことは数パーセントの脳で充分で、残りの大部分の脳は「アセンション(次元上昇)」後の多次元宇宙で生きる為に用意されているかも知れません。

 「時空間次元の世界」はその数%の脳で、ガリレオの「地球は丸い」からニュートンの「万有引力」へ、そしてアインシュタインの「相対性原理」やボームの「量子力学」へ、そして昨今では「時空間次元の世界」をもたらした「ヒックス素粒子」の発見に至っています。

 しかしそれ以上の「ダークマター・ダークエネルギー」と言われる未知なる世界は「時空間次元脳」では解明不可能で「五次元以上の脳」でないと解明できない領域でないかと想像しています。

 そこで閃くのは、目に見えない世界について般若心経の「空即色是・色即是空」の教えは「科学の粒子と波動」に相通じていますし「無の思想」の教えは「現時空間と多次元宇宙」に相通じるもの・・・とすれば過去の宗教的偉人は「五次元以上脳」で「アセンション」を見通していたのでは・・・

 そして過去の宗教的偉人が見通した・・・・「時空間次元脳」に対応する地球が臨界点にきてこれ以上の地球は「五次元以上脳」でないと進化しない時点に来たのではないか・・・

 そして、この時点にあって、宇宙の意思(宇宙を存在させている法則のようなもの)が共時性として働き人々をして「アセンション」に向かわせようとしているのではないか・・・・。

 と言うことで独断と偏見の要素も持ち合わせる「利他の花咲く村」は「地球がアセンションに入った」と言う話を「現在の福音」と受け入れ、他力本願の神頼みではなく「アセンションに相応しい地球を創る」その小さな小さな一つのモデルとして「自給自足と自然再生エネルギーの新たな共同体つくり」を見える形で創りたいと思っています。

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2012年12月24日

「美しい日本」は改憲からではなく護憲から

 「民主党」の凋落と自公の圧勝は電話での世論調査予想どうり、しかしインターネット上では自民党と未来の党が拮抗していましたので何か不思議な感がありますがその詮索は別にして安倍自公連立政権が誕生します。

 安倍新首相の念願は「美しい日本」を旗にした「憲法改正」で来年の参議員の結果次第では維新とみんなの党の連携で「憲法改正」への道を進みかねません。

 「憲法」については時代と共に改正や追加があるのは至極当然ですが、問題は世界に類のない戦争放棄をうたった「第9条」です。

 「第9条」は人類の理想と言うべき条項でより高い理念への改正はあっても武力をもって海外派遣できるような改正(改悪と思っています)はアメリカは歓迎ですがアジアや中東から脅威をもたれ何よりもそれらの国々からの信頼が薄れるのは明らかです。

 そもそも日本は「第9条」があることによって戦後のあらゆる武力紛争にも加わることなくまた自衛隊の海外派遣で武力の行使をしないでこれた歴史があります。

 そして70億人を超えた人口と限りある資源・食料の現在、先進国・新興国・後進国の競い合いが激化しており各国間においてもまた各国内においても貧富の格差が拡大し貧者の怒りが増幅し国が混乱するようになっています。

 必然的に各国は貧者の怒りを外に向けさせるために意図的に外からの危機をあおったり、武力を背景にして食料資源の獲得のために軍事力を強化しブロックや同盟国との集団的な軍事力の強化に向かっています。

 究極の軍事力は「核」で今のところ「核」の行使は互いの崩壊になることから「核の抑止力」が働いていますが、それも非対称性のテロとの戦いにあっては抑止力は意味を持たなくなり、現在のような貧富の格差が解消しない限りテロ集団による「核」はいずれ行使されるところまで行くのは必然です。

 そのように考えると「第9条」の改訂(改悪)は何ら益無く日本にとってそれは新たな「禁断のリンゴ」の選択になり取り返しようがない「原罪」をつくるだけでしかありません。

 「70億人を超えた世界」にあっては豊かな社会はもはや「競い合い」からではなく「分かち合い」でしか建設はできない時代に入っています。

 安倍新首相の「美しい国」は「第9条」の改正からではなく「和の国」の日本的精神の再生復活によって、また富国強兵につながる教育改革ではなく新たな共創共生の世界につながる教育改革によるしかないと思っています。

 次の参議院選挙で「改憲政党」の自民党、維新の会、みんなの党が3分の2以上にならないことを願うばかりです。

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2012年11月28日

「原発」が最重要な争点にならないと未来が描けない!

 衆議院解散総選挙が始まり覚えきれない政党の乱立があり「原発」が争点で有りながら即廃止から30年代を目処になどなど、消費税にしても廃案から賛成だけど地方税化などなど、TPPにしても反対から参加してから決めるとなどあり、おそらくこのような百花争乱の主張になるのは各政党共に未来に確信が持てなくなっているからだろうと思います。

 それは今までの「個々が競い合うことによって豊かさな社会をつくる」在り方が限界を迎えようとしているにもかかわらず各政党は延命のための対症療法の違いを論じているだけで新たな時代に蘇生する根本療法を見いだせないでいるからだろうと思います。

 今回の選挙の争点も「原発事故」を契機に新たな時代への在り方の「根本治療」を問う選挙であるにもかかわらず、世界的な不況下にあって「経済回復」や「老後の生活」の不安を話題にして「電気が止まれば・・・」「経済がさらに落ち込めば・・・」と旧態然の社会の在り方を前提に「経済優先」の価値観で「原発」についてもその「対症療法」を争点にしているに過ぎないと思います。

 70億人を超えた世界と限られた資源を考えれば70億の人や国が先進国並みの物の豊かさを求め競い合えば「貧富の差」が拡大し続け貧者の怒りが増幅し対立が激化して混乱から破壊に向かうのは冷静に考えれば至極当然なことだと思います。

 「70億人と限りある資源」の現実にあって「個々の競い合いによる優勝劣敗の世界システム」では「戦争のない平和な未来社会」が成り立つ筈はなく「分かち合い」による共創による共生の世界システム」を創り上げることをしない限り成り立たないのも至極当然なことだろうと思います。

 今回の「原発事故」はまさに「競い合いによる豊かな物社会」から「分かち合いによる豊かな人社会」に変える千載一遇のチャンスで、各政党が新たな未来の在り方をそのような観点で争点にしない限り未来は開かれないだろうと思います。

 そもそも「自然との共生」や「物とこころのバランスある社会」も実現できない人類にあって未知なる分野の「放射能」を「経済優先」の価値観で競い合うことは傲慢としか言いようがなく、ましてや今の科学水準では「核のゴミ」を10万年放置するしかない状況にあって「原発」は無用の長物としか言いようがありません。

 「放射能」や「遺伝子」と言った未知の分野のものを探求をし解明することは人類の進歩発展に不可欠であるものの人類を危険にさらすことが明確になった現段階では「原発」を維持し推し進めることは時期早々で許されないことだと思います。

 利他村が描く「共創による共生社会」は「心と物のバランスのとれた中での高度な科学技術」を推し進めながら「自然との共生による低エネルギー」と「循環型の自給自足型の健康で持続可能なライフスタイル」の実現で「原発」によるエネルギーの活用は想定外の代物です。

 選挙後に政権につくと思われる旧態然の価値観の自・民・公・維新の連合による対症療法による政治に未来は見いだせません「原発」を最重要な論争としてこの指とまれと新たに発足した「日本未来の党」に未来の芽生えがあるように思っています。

 「日本未来の党」が新たな未来への根本療法になるか定かではありませんが期待したいと思っています。 
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2012年10月14日

目高集落に待望の[借り家」拠点が出来ました!

 利他村がある目高集落では、コーエンさんが移住した5年前は6軒10名の村人が住んでいましたが、その後年齢から麓の町に下りられたり亡くなられたりして、新たに2名は増えたものの今は4軒5名の消滅近い集落になり、目高で生まれ住んでいる村人は100歳の淺霧さんお一人になっています。

 まさに人口減少に向かう日本の象徴のようで、こんな村が新生すれば田舎まちどころか都市部の人たちにも希望の光になる・・・との夢のような超前向きの思いに駆られ、利他村では「新たな村つくり」と都市部の人たちに田舎まちを知って貰おうと年に数回のイベントを行ってきました。

 しかしイベントで終わってしまうだけでは駄目!村が蘇り元気になるには「移住者を増やすしかない!」そして「若い人に移住して貰うには仕事つくりが大切」と今年の初めから「移住と起業の促進」を目的に近隣に移住した人と都市部の人に参加して貰い「めだか村の会」をつくり活動を始めています。

 そこで、まずは「田舎の新生は田圃の復活」からと前区長の清水さんの田圃を借して貰い、役場に依頼して水を引けるようにして貰い、農作業ができるように準備をしています。

 そしてなんと言っても目高集落内に拠点になる家が欲しいことから、使っていない集会所を拠点にと思いその補修を県や町にお願いして予算の確保も出来たのですが、残念なことに集会所の位置が崖っぷちに有り危険な場所との判断がされ修復が出来なくなり、それではと空き屋を貸して貰おうと元村人に遭うたびにお願いをしてきました。

 しかし空き屋は10軒ほどあるのですが「たまに帰る時に人に貸していれば帰りにくい!」「貸してしまえば万が一将来帰る時に出て行って貰いにくい!」「先祖代々の家を自分の代で人に貸すのは気が引ける!」・・・・などと難しく、また借りれたとしても使えるようにするには多額の改装費が必要な家が多く中々思うようにならないで頭を抱えていました。

 そんな時に昨年下の町に住まいを移された清水さんから、役場からの声かけもあって「年齢から目高での農作業も難しくなったし目高の家に帰る回数も減ったので離れの部屋を集会所代わりに使っても良い!」との嬉しいお話を頂きました。

 離れの部屋は12畳と細長い4畳の部屋があり、日当たりは抜群で景色も良く絶好の位置で、目高集落の集まりは年に1〜2回ほどで、殆どが「めだか村の会」の活動拠点として使えるようになります。

 早速、めだか村の会のメンバーが集い、離れの部屋の家具の移動や前の集会所の机など搬入をして、この離れ部屋をどのように活用しようかと「ワイワイがやがや」と盛り上がっています。

 これで念願の農作業が出来る農地と宿泊可能な拠点が出来ましたので、いよいよ来春を目標に都市部の人への呼びかけ「移住と起業促進」につながる新たな村おこし活動への一歩が踏み出せるようになりました。

 何とか上手く踏み出し、貸して頂いた清水さんに「貸して良かった!」と思われるようになり、空き屋になっている元村人からも「貸しても良いかな〜」との思いにつながってゆくようになればと思っています。

 
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2012年09月05日

「障害者」と言う呼び名の疑問!     「健障共生」から「共創共生」に改めました

 地元と都市の障害を持った仲間が利他村に集い、神戸で音楽活動をしている「虹の輪コンサート」と共催で音楽の集いを開催します(詳細はHP参照)

 そんな取り組みの中で「健障共生」の言葉は差別用語ですよと聞かされ「エッ?」「何で!」利他村の理念の中に「愛ある健障共生の村つくり」と唱っていますのでなおさらビックリ!です

 今は「障害者」を「障がい者」や「ハンディーを持った人」と換えてるんですよ!と教えられ、正直なところ和らいだ表現になっているものの書き方や呼び方を変えれば良いと言うものではないとの思いもあり、地元の「あさぎり」と「はなさきむら」の福祉作業所に出向き伺ったところ「そうなんです」との答えと「自分で障害者です」と言っている人も有り「あまりこだわらないで良いのでは!」との答え頂きました。

 どちらも頷けるものの、確かに「障害」と言う言葉は「害がある」ようなイメージもあり好ましくなく「害」を平かなにするのは良いとしても、また「ハンディーを持つ」も良いとしても何かすっきりしません。

 肉体的に障害を持った人は「障害者」としてパラリンピックでハンディーを乗り越え活躍する姿に感動を与えていますし、「障害者」に自立のための支援や社会的に制度や環境が整えられることに疑問を感じる人はなく「障害をもった人」自身も「書き方や呼び名」に疑問を感じることはないように思えますますからこだわらなくても良いのかもしれません。

 しかし精神的や知的にハンディを持っている人まで同じように「障害者」と書き呼ぶのは少し違うように思えてきました。

「健常者」が「精神的にも知的にも健常者なのか」そもそも精神的には正常・異常の程度、知的には判断能力の高低の程度の区分はあっても健常者・障害者の区分とは次元が異なるように思えて来たのです。

「精神的や知的な福祉作業所」の通所者の人たちは「心を病んだ人ではなくむしろ透明感のある素朴な心をもった人たちが多く」その人たちと接し「心が癒やされた」思いをもたれた人も多いと思わいます。

心の観点からすれば「神様から見れば人はみな心の障害者で」むしろ「精神的や知的にハンディーを待った人の方が神様に近い心を持った人」と言え、健常者の方が心に障害をもつ人が多いように思えます。

 そのような思いもあって「障害者」は肉体的なハンディーを持つ人の区分としては良いとしても精神的や知的なハンディーを持った人を次元の違う「障害者」と書き呼ぶのは相応しくないと思うようになりました。

そのような思いもあって「健障共生の村つくり」の理念は引き継ぎながら、「健障共生」と言う用語を改め「共創共生の村つくり」と改めることにしました。

そして、共生の村つくりですから「障害者」という言葉も和らげ「ハンディーを持つ仲間」に改めたいと思います

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2012年08月30日

「領有権」は競争原理ではなく共創原理で解決を!

尖閣諸島・竹島と中国・韓国との領有権権争いで各国のナショナリズムに火がつき、このまま進めば力による解決の方向に向かうしかありません。

 スポーツや芸術・文学のような分野、そして科学技術の発明発見などで各国が競い合うことは人類の進歩発展に繋がりますが、限られた資源や領土のようなゼロサムの分野について、核を含む近代兵器を持つようになった現代、ナショナリズムを国のリーダーが扇動するような行為はもはや時代の禁じ手です。

 その意味で今回の韓国の大統領による竹島上陸は国の指導者として配慮のない行為、中国活動家の魚釣島上陸を許した中国政府も配慮のないことで、それに対して「不法占拠」と語彙を強め応酬する日本政府もまた日本のナショナリズムの沈静には逆効果と思います。

 宇宙からは丸い地球しか見えません、領土は有史以来のその時代時代の力による支配争いによって定まったもので固定したものではありません、今後も力による解決しかないとなれば、覇権国家アメリカの影響力が低くなり安保依存が難しくなってきた日本にあって、日本のナショナリズムは当然に核保有と軍事力強化をも容認する動きになるのではないかと危惧しています。

 しかし、力による領有権争いは結果として当事者だけではなく世界全体に波及し世界全体の混乱を助長し破壊の方向に進むのは明らかです。

 話し合い解決が出来ない現時点では、国際裁判所において国際法に基づき各国の領土の帰属を明確にしてゆくしかありませんが「国益」を最優先し自国中心になる各国のナショナリズムは判決が出されたとしても納得することはなく、新たな対立の種になるのも明らかです。

 もはや未来は過去の価値観や在り方の延長線上にはなく、力を背景に競争原理により世界を発展させてきた資本主義による発展が限界に近づき、コントロール能力を失い金融崩壊から経済恐慌へ向かっている現在にあって、力の優越で解決する方向は崩壊を早めるだけで未来への発展の方向ではありません。

 限られた資源と領土の中で70億人が生きるには、力による「競争原理」では無く「共創原理」による共生思考によって、科学技術の進歩により新たな技術の発明などで「物の豊かさ」を創造しながら、21世紀は共生に繋がる「心の豊かさ」とのバランスある世界へと向かうしかありません。

 残念ながら慣性の法則があり、領有権も共創原理による共生思考の未来志向での解決しかありませんが、そのような意識にシフトすることはまだまだ先で、慣性の法則の振り子の向きが変わるまでは、ケ小平が言った後の時代の人の知恵(意識)に委ねるしかないのだと思います。

 しかし個々人では意識をシフトすることは可能で、また地方と言う限られた社会にあっても意識をシフトした人たちがネットを広げ活動をすることは可能でその息吹は出ています。

 当然に利他の花咲く村は「競争原理による共生の村つくり」ですから、そのような思いを活動を通じて発信し続けたいと思っています
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2012年07月31日

「世界や日本の民衆によるデモに新たな時代の息吹が!」

3年前の政権交代により民主党に「新たな時代の息吹」を感じ期待と夢を持ってわくわくしたことを覚えています。

 しかし、未曾有の原発事故に「誰が見ても終息などしていない!」のにも関わらず早々と「終息宣言」をし「事故が起これば数十万年間影響が出て責任の取りようのない問題に私が責任を取ります」と「大飯原発の再稼働」を決める・・・・多くの国民が「このまま政治に任せておけない」と思い,やむにやまれずデモに行こうとする動きになるのは至極自然なことだと思います。

 
 そして選挙で大敗が予想されると、政権交代可能な制度として成立つその相手方と大同団結をして国民との約束のない「原発再稼働」「消費税増税」「TPP推進」「オスプレイの沖縄配置」を押し切ろうとする時の政権とそれを容認するが如くの相手方にいる過去の政権政党の見識の無さ・・・・政治不信が蔓延するのもまた至極当然なことと思います。

 先進国のすべてが「財政危機」にあって、市場は「金融危機」のまっただ中、中東では「軍事危機」の状況が続き、世界では若者の失業が恒常化し「貧富の差が拡大し続けている」時代・・・・どの国も解決の糸口どころか対処の術も無く、だたただ世界では国民受けする国益だけで競い合い、日本では目先の事と保身のために党利党略と個利個略でしか動けなくなっている現在のリーダー達・・・・・大阪維新の会や石原新党に期待せざるを得なくなっているのも至極自然ななり行きだと思います。

 国会に集まるデモの声を「大きな音」として単なる雑音「ノイズ」にしか聞こえない、聞こうとしない時の首相・・・庶民的ドジョウのイメージに親しさをもったものの、消費税を上げることに「不退転の決意」を示す姿に新たな未来のリーダー像をダブらせるのは到底無理としか言いようがありません。

 70億人の人が先進国並の豊かさを求めれば食料は30億人分しかない・・・もはや新興国が先進国の豊かさを求め、そして各国が国益だけを考え競争を続ければ貧富の格差が拡大するのは自明の理、そして貧富の差が拡大するだけで未来が見えないのでは貧者の怒りが増すのも自明の理、ジャスミン革命に始まった貧しき若者を中心とする怒りのエネルギーが世界各国に波及するのもまた自然な成り行き、これは「ノイズ」ではなく閉塞感しかなくなった時代を変えようとする民衆の新たな時代への息吹で、この声こそ「不退転の決意」で聞き取り民衆と共に新たな時代つくりに導くリーダーが求められているのだと思います。

 世界や日本の自然発生的なデモは従来型の組織型のデモとは異なり権力で抑止できるものでは無く、人々に明確な未来のビジョンを示し人々にその道筋を示し不退転の決意で導くリーダーやグループでないと収まらないだろうと思います。

 しばらくは世界も日本も民衆による怒りによるデモの広がり、権力を持つ政治家や企業家など過去の延長線上で居たい人たち、そして民衆の怒りをも利用して新たな権力を得ようとする人たち、それらの攻防のによって、世界的な混乱と破壊が進むだろうと思いますが、それを乗り越えた上での新たな時代は確実に今起こっている民衆の息吹とエネルギーが生み出すだろうと思います。
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2012年06月30日

「利他の花咲く村」の「利他」の意味 

 利他の花咲く村の「利他」とは京セラの稲盛和夫さんも著書などに書かれていますので知られるようになっていますが、まだまだ用語としては一般化されていません、そして良く「利他の花」とはどんな花ですか?とか「利他」とはどんな意味ですかと尋ねられます。
そんな時には「利他」とは「人の幸せ」という意味で「人の幸せの花を咲かせる村をつくりたい」との思いで名付けたんですとお答えしています。

 正確には宗教用語で自分の幸せ「自利」と人の幸せは「利他」は別なものではなく、たとえば利他村にも桜の木がありますが、桜の木が美しく咲く(自利)ことによって他の人がその美しさを見て豊かな気持ちになる(利他)ように、自利と利他は表裏一体で「自利即利他」「利他即自利」と言うのが正しい意味だと言われています。

 なるほどと思いながら,しかしぐっとお腹に落ちないと言うか、何となく解ったと言う程度で「利他の生き方」となると何か聖人君子の人のことのように思え縁のないことのように思われています。

 特に「欧米」の人たちには全く解らない用語だろうと思っています、そして日本の人たちも戦後基本的人権なる個人の尊重を土台にした民主主義の考え方を正しいものと受け入れ、自分の幸せに比重を置いて自分の幸せを求め個々が競い合うことよって社会が発展するとの考え方が長く続き経済優先の価値観をつくってきたこともあって「欧米の人たち」と同じく日常では馴染めない用語になったのだろうと思います。

 そして「自利」と言う用語も、どちらかと言えば「自我力」で自分さえ良ければと言う意味にとらえられるようになり「利他」と言う用語も強者が弱者に奉仕するような慈善事業や弱者救済なイメージでとらえられているようなったのではと思います。

 たしかに「利他」には欧米的な奉仕の心という面はありますが、本来日本では欧米の狩猟民族的な自然を克服し個々が競い合う「優勝劣敗」の「競争思想」はなく、農耕民族の自然と共生して皆で共に創り合う「共創思想」があって、強者も弱者も欧米型の縦の関係では無く、横の輪の関係として互いに抱合しながら仲間として存在する土壌があり、また八百万の神々と共にすべてを受入る風土ににあったことから「自利即利他」「利他即自利」は自然な人々の生き方そのものであったように思います。

 このような思いもあって「利他の花咲く村」は、日本人が古くから遺伝子として持ち続けている「自利即利他」のこころへの原点回帰を視野にしながら、科学技術も受入れ新たな21世紀の「共生による共創」による村つくりが出来ればと思っています。

 と言うことで「自利の花咲く村」と名付けても良いのですが「自利」と言う用語のイメージはどうしても「個々の競い合い」の方向でとらえがちになることから、弱者も強者もそれぞれがそれぞれの立ち位置で相互支援「利他の思い」をもって共生しながら共に創り合う村にしたいな〜との思いもあって「利他の花咲く村」と名付けています。
 
 21世紀は確実に狩猟民族の欧米型の「個々の競争」ではなく農耕民族のアジア型の「共生による共創」に移らざるを得なくなってくると思っていますので、そんな新たな時代に「利他}をキーワードにして一つのひな形が出来れば良いな〜思っています
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2012年05月29日

懐かしき未来の村つくり「めだか村の会」がスタートしています

 地域の移住者が中心になって昨年より「移住促進と起業促進」を目的にして創った「21田舎まち新生プロジェクト」で、そろそろ話し合いから具体的な行動として「廃村間近な目高集落を新生のモデル地区として活動の場にしよう」との話が持ち上がり、ちょうど大阪から田舎まちへの移住を希望する若い今井夫婦や三木市で建築関係の仕事をしておられる米林親子が田舎まち再生の事業として「目高集落」を視野にしておられたことから、今年初めからそれらの人たちが集い「懐かしき未来の村つくり」の話し合いを進めていました。

 ちょうど県の小規模元気作戦に参加している目高集落と言うこともあって、県や町の職員さんにもオブザーバーとして参加して貰い「仮称:めだか村の会」として活動を始めるようになっています。

「めだかの村の会」と「目高集落」とはイコールではなく、田舎の象徴は「メダカ」で、田舎まちに未来の夢をもち、田舎まちの原風景を残しながら未来につなげたいとする仲間の会として「めだか村の会」を位置づけ、目高集落はその一つのモデルの村としてみんなで新生しようと言う位置づけにしています。

 そして利他の花咲く村は「めだかの村の会の事務局」として位置づけ。利他村としては目的の一つの村おこし活動の一環としての位置づけです。

 そしてメンバー屈指のアイデアマン右田さんの提案で、目高集落を「本部」としてメンバーの右田さんの右田農園、片岡さんの片岡農園、藤岡さんの藤岡農園、小沼さんの小沼農園を「支部」として、それぞれの有機農法と自然農法で作った農作物を本部で集め販売することを目指そうと言う話で進んでいます

 そのほかに「目高集落だからメダカを放流しよう」「蛍もいいね!」休田地の棚田を花で満たそう=ラベンダーは鹿が食べないそうだからラベンダーを植えよう」「目高の水は昔から美味しい水との評価が高いので、水源地を見つけてブランドにしよう」・・・・とアイデアのオンパレードにはメンバーの顔は自然と笑顔に変わります。

 そしてまずは「田圃を借りよう}と町に降りられている元村人から小さな田圃3枚をかり「田圃再生}からスタートしています

「思いは易し、行いは難し」ですが、60台70台の老春と20台30台の青春のコラボで「懐かしき未来の新た村つくり」が始まっています
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2012年04月22日

文明のパラダイムシフトが起こっている

本当に二つの潮流があるな〜と感じています

 
 一つは物や便利さを失いたくない!経済は一刻たりとも止めたくない!と言う流れ、もう一つは自然や心を失いたくない!少しは生活レベルが落ちるのも良いではないかと言う流れ、原発にしても経済的な発展なくして豊かさはないと再稼働を進める流れと、経済より命が大事!少しは便利さを辛抱すれば良いではないか!その間に原発に変わる自然再生エネルギーの開発をすれば良いと言う原発廃止の流れです。

 言わずもがな!利他村は「健康で持続可能なライフスタイル」による共生の在り方を求めていますから、事故が発生すればお手上げ、放射能汚染が何十年どころか何万年も経たないと収まらない現在の科学技術水準にあっては当然に廃止と思っています

 もともと科学技術が高度に進化しているとしても、遺伝子のような生命科学も未だ数パーセントしか解明されていないのです、原子という素粒子の世界も数パーセントしか解明されていないのです、そんな科学水準のままに経済的な利権を絡めて遺伝子組み換えが行われて、安全神話を作り上げて原発が進められているのです。

 人間の脳は未だ数パーセントしか使われていないと言われており、ノーベル受賞者であっても、たった数パーセントしか使われていない脳の範囲内での思考が生み出す科学的な成果でしかないのです。

 私たちの頭は、始まりと終わりがある世界の中で思考しており、ビッグバンの前や宇宙が終わるその後の宇宙については思考が出来ないでいるのです。

 その思考を超えた未知なる世界について科学は、当然に思考できないのですから証明できないことは対象外として、限られた知的範囲の科学技術でもって、未知なる遺伝子や素粒子といった分野を、人間の欲(経済的な思惑や便利さと物の豊かさの追求)の次元で推し進めるのはまさに現在のバベルの塔と言うしかありません。

 70億人の人口に対して30億人の食料しかない現実にあって、食糧増産やそれを支えるエネルギー増産のために科学技術は進めなくてはなりません

 しかし、もはや資本主義的な競争原理でもって進めることは限界で、そのような進め方は貧富の拡大と民衆の怒りの拡大を増幅することとなり、世界そのものを混乱から崩壊へそして自滅に向かわせるしかありません。

 自然を克服し物の豊かさを追求して発展してきた西欧型の思考の世界が成り立たなくなった今、新たに始めるには原点に帰るしかありません、それはおそらく宇宙の摂理(神の領域)との融合、自然との共生、精神的な存在としての人の豊かさを根底に求める東洋型の思考への回帰の流れにあるように思います。

 おそらく世界を震撼させるような出来事を切っ掛けにして、東洋型の思考を根底に科学技術が抱合され、物と精神のバランスのある世界へと文明のパラダイムシフトが起こるのだろうと思っています。

 そのような新たな世界を想定しながら、利他村は泥臭く、人間臭く、自然と共生しながら、自給自足で健康で持続可能な循環型のライフスタイルを目指して一歩一歩進めてゆきたいと思っています。
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2012年03月25日

21世紀の利他心に基づく共創生の村つくり・・・始まりはじまり

 危機と言われたEUや経済が低迷しているアメリカそして貿易収支が赤字になった日本に回復の兆しが出てきたとのニュースが報道されていますが、それらはすべてがお金をばらまいての急場しのぎと日銀の円安誘導で危機の先延ばしにしか過ぎません。

 お金をばらまく、円の価値を低くして国際競争力をつける・・・それは邪道の道では!

 産業革命以降の欧米型で進んだ文明そのものが限界を迎え、ちょうど大型船が迫ってくる大氷河を目前に方向転換ができないで衝突する状況のように思えてなりません。

 時代は西欧型の利己心に基づく競争による文明が限界点にきて、東洋型の利他心に基づく共創による文明にと大きく転換する文明の転換期に思えてなりません

 となると、そのような文明の大転換期にあっては古い時代の対症療法では対応不可能で、根本的な対応でしか乗り越えられないことは自明の理と言ったところです

 当然に人や社会の在り方そのものを根本から見直し対処する原点回帰から始め、それから造り直す=創造するしかありません

 利他村は小さな小さな動きですが、新たな創造の流れの一つのひな形として目に見える形にしようと活動を、西欧型の文明の象徴である都市からではなく、自然と日本の心が残る田舎町の廃村間近な集落から始めています

 ようやく、懐かしき原風景の中から本当の生き甲斐を創ろう!それを未来につなげよう!と移住者仲間とそれに賛同する都会の人も集い、今年に入り新たな村のひな形つくり活動が開始しています。

 そうだ!田舎の原風景の象徴は「メダカ」だね!・・・田舎まちから新生だから「めだかの村」がいいね!・・・そしてそのひな形の村として原風景が残る目高集落・・・ゴロもぴったり・・・・と皆さんそれぞれの生き甲斐と夢を託しながら利他村のある目高集落を拠点にして活動がはじまりました。

     21世紀の利他心に基づく共創生の村つくり・・・始まりはじまりです
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2012年02月28日

やはり21世紀は田舎町から大きな維新となって生まれ変わるのでは!

 EUの財政危機から崩壊へ、情報の進化からの民主革命による長期独裁国家の崩壊と産業革命以降の西欧型の世界支配体制の時代が終わろうとしています。

 また日本では民主党も今や第二自民党と言われ、歴史的な大災害にあっても原発依存を変えられず、行政改革も出来ないままの増税にと、政治経済は自立調整機能を失っています。

 このような時代は歴史からも明らかなように、下克上の戦国時代への突入、近代国家への脱皮の明治維新と言った時代を根本的に変革する動きが必然的に出てきます。

 その新たな動きは、従来の西欧型の個々の利己心と合理性を求めて創り出した競争原理が限界を迎えたことから、東洋的な自然との調和や人との共生原理に基づくものへと大きく舵を変えるだろうと思います

 当然に従来型の機能的便益性の都市文化が限界を迎えたことから、自然との有機的な関わりによって成り立つ懐かしさが残る田舎町から新たに文化として新生してゆくだろうと思います。

 現実の動きも、資本主義市場経済によって必然的に創り出した都市が一部の勝者と大多数の貧者という構造が固定化するようになったことから都市そのものが疲弊してゆき、次第に人々はお金がなくては住めない都市から、自給自足による生存も可能な田舎へと移動も始まるだろうと思います

 もちろんそれは単に先祖返りではなく、科学技術の進化は宇宙への足がかりを進めながら、一方で科学との共生と自然との共生による新たな共創の秩序を創り出し新たな時代へと進化して行くだろうと思います。

 まさに21世紀は、都市からではなく田舎町から新たな息吹が生まれ、それが大きな維新の渦と成り日本では平成維新と世界では地球維新となって行くだろうと思います

そのように予見をして利他村は新たな田舎創りを泥くさく人間くさく進めています






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2012年01月21日

「懐かしい未来の目高の村つくりプロジェクト」がスタートしました

 コーエンさんが移住した4年前には10名の村人がおられましたが、過疎化の流れは急ピッチで今残っている村人は99才の淺霧さんと区長の中石さんのお二人になっています、訪れる人は「ここは桃源郷ですね!」と言われるように国の美しい村コンテストで表彰された村ですので、利他村にとっても何としてもこの美しい田舎の原風景を残したいと色々な場を通じて移住を呼びかけています

 そのような呼びかけもあり、昨年は念願の福井さんが移住、そして区長の再婚された姫路から奥さんが増え、さらに20代のカップルが借りれる家があればと待機中、さらに三木市で設計施工を経営されている米林さんが息子さんと目高を拠点に都市部と田舎を結ぶ事業をしたいとの有り難いお申し出もあり、さらにさらに一昨年にIターンUターン仲間で立ち上げた「21田舎町新生プロジェクト」が具体的なモデル地区を作ろうと「目高の村つくり支援」との話が持ち上がり、昨年12月24日のクリスマスの日に目高の村つくりについての集いを持ち、若い今井さんカップルの夢「懐かしい未来を創りたい」の言葉をネームつけに「懐かしい未来の目高つくりプロジェクト(仮称)」がスタートしました。

 早速、新たな年の14日に県からオブザーバー参加もあり・・・では何から始めようか・・・まずは目高を訪れる人に休める場所やトイレを作ろう・・・幸い目高が県の小規模元気作戦に参加していることから県と町に補助金の申請をしよう・・・・そして移住を受け入れる前提として空家や休田地・休耕地の所有者とその持ち主の貸家、貸地の意向を調べよう・・・・と具体的準備から取り組むことになりました。

 県と町にアタックしたところ・・・ラッキーなことに、利他村の今までの活動実績もあり即来年度の予算に組み込むとの返事があり・・・・これは春から縁起が良い!と順調な船出なりました。

 プロジェクトに参加して頂いた右田農園の右田さんからも「目高だからメダカを育てよう」・・・鹿はラベンダーを食べないし、目高をラベンダーの花畑にすれば人が集まる!・・・などなどユニークなアイデアも頂き・・・・メンバーそれぞれの夢が目高の村つくりを通して花開くことになればと・・・・夢を膨らませています。
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