時代(文明)を大きく変えた14世紀の黒死病や20世紀初頭のスペイン風邪のように新型コロナ後は古い世界に戻ることはないとの思いをもって新たな時代(文明)を創る思いをもつことが大切だと思っています。
浅い知識ですが私なりに俯瞰して見ると、物の豊かさを競い合い、科学技術を進化させ自然を破壊をすることで成長を続けて辿り着いた資本主義経済は、一方で地球温暖化をもたらし成長にブレーキがかかり、貧富の格差を解消できないで、気づいてみれば平和で幸な社会を生みだせないばかりか、未来そのものを示せない閉塞感漂う世界を創り出したとも言えるのではと思っています。
新型コロナは正にこのような閉塞した世界を終焉させる言わば現在の大洪水で、人々に意識変化をうながし「現在のノアの箱舟」を創らせ新たな世界に導こうとする「神の見えざる手」ではないかとも思っています。
「利他の花咲く村」はそのような思いを頭の中に置きながら、現在を時代(文明)の転換期であるとの思いをもつ個人やグループと連携しながら、古い時代が崩壊する課程で生ずる危機への準備をしながら新たに始まる世界を試行錯誤し模索しながら準備をしてゆこうとしています。
とは言え、現実に生じている危機への準備はある程度思いつくものの、新たなに始まる世界についてはどのような価値観をもってどのような「現在のノアの箱舟」を創れば良いかには中々確信のあるイメージを持つことが出来ないでいました。
そして以前から科学が示す未来像については理解は出来るもののそれは「人間を中心にした未来社会」で、また宗教が示す未来像も「人間中心の救い」のようでどちらも「人間が中心」で何かすっきりしないで「そうだ!」と言える未来像を描けないでいました。
ところが最近「そうではないか!」と思えたのが大阪市立大学 准教授 斉藤孝平氏が提唱する「コモン」と言う考え方です。
「コモンとは、水や森林、文化、知識といった根源的な富のこと」でその根源的な富までも利潤追求のために商品化することで自然を破壊し貧富の格差を生み出してきた競争社会ではなく、根源的な富は人々が自主管理して分かち合うことで成り立つ共創社会を創りだす考え方で、それは、利他村が回帰したいと思っている1万年平和な世界を創った縄文時代の人々の世界ではないのか、そこには「人間中心の世界」ではなく「宇宙や自然と人々が一体となって共生する世界」で人はピラピッド世界の支配者ではなく、人はフラットな共生世界を維持管理するために「思考する能力」を与えられ造られた生き物ではとの思いをもつようになりました。
まだ「コモン社会」については深く学んでいませんので正鵠を得ているとは言えませんが、利他村が目指している共同体(コミュニティー)つくりはまさに「コモン社会」だとのとの思いを強く持つと同時に、コロナ後(アフターコロナ)に始まる新たな世界は「コモン」の考えをもった人々によって創られるのではないかと思いいたりました。
2021年04月28日
2021年03月31日
利他村が目指す共同体(コミュニティー)は!
AI(人工知能)と高度な通信技術とロボットで進化する未来社会は、日本政府が想定している2050年を目標にしたムーンショット計画をはじめ、あの鉄腕アトムが活躍するような社会が生まれるようになればなと夢を膨らませています。
しかし、進化し続ける科学技術により生み出されている現実の姿は、そのような夢の社会ではなく1%の超富裕権力層と99%の民と言った1:99の格差社会と超監視社会にのように思えてなりません。
それは「ワクチンを打たない」とか「チップを体内に入れない」と社会生活ができなくなるとか今では「顔認証ですべての人が監視できる」までも可能になっていることから、科学技術の進化はまさに諸刃の剣で人々に夢のような生活をもたらすとは限らず逆に人々を人間家畜化として監視するようなことにもなり得ると思っています。
勿論、陰謀論や都市伝説にむやみに振り回されることなく、また科学的根拠も定かでない地球磁場(次元)が上昇したとか、キリスト再臨による千年王国から新天新地への精神論的な願望に委ねすぎるのも好ましくはないと思っています。
ただ、たとえ超格差社会での超監視社会に進むとしても、それは人為的な強制社会であるために必ずバランスを失い、まさにノアの大洪水やバベルの塔のように人知を超えた浄化作用により、世界そのものが精算されすべてが前後裁断され新たな始まりを迎えるだろうと思っています。
しかし、科学技術の進化によって鉄腕アトムのような輝かしい未来社会が創れないで人知を超えた審判により精算されるとしても、なだ成り行きに流されるのではなく、生きてゆく限り危機の時期を乗り越え新たな世界に相応しい準備をしないと、新たな未来社会には入れないのではないかと思っています。
「利他の花咲く村」は世界も日本も出口を見いだせないまま危機が生じる時代に入っていることを前提にして、同じような思いを持つ仲間が集い、危機への準備と共創共生による共同体(コミュニティー)つくりで新たなあり方を試行錯誤し合いながら準備をしてゆきたいと思っています。
そしてまずは、具体的な危機の準備としては「食の自給自足」で、食の一丁目一番地の「米つくり」と備蓄用の根野菜を中心に無農薬栽培を始めてます。
そして、目指す共同体(コミュニティ−)のイメージは、約16,000年前から約10,000年の間争いのない調和の時代を続けたと言われる縄文時代の人々の生き様を探求し近づければと思っています、それを土台に進化し続ける科学技術を上手く活用しながらの共同体(コミュニティー)のひな形を創ることができれば最高だと夢見ています
しかし、進化し続ける科学技術により生み出されている現実の姿は、そのような夢の社会ではなく1%の超富裕権力層と99%の民と言った1:99の格差社会と超監視社会にのように思えてなりません。
それは「ワクチンを打たない」とか「チップを体内に入れない」と社会生活ができなくなるとか今では「顔認証ですべての人が監視できる」までも可能になっていることから、科学技術の進化はまさに諸刃の剣で人々に夢のような生活をもたらすとは限らず逆に人々を人間家畜化として監視するようなことにもなり得ると思っています。
勿論、陰謀論や都市伝説にむやみに振り回されることなく、また科学的根拠も定かでない地球磁場(次元)が上昇したとか、キリスト再臨による千年王国から新天新地への精神論的な願望に委ねすぎるのも好ましくはないと思っています。
ただ、たとえ超格差社会での超監視社会に進むとしても、それは人為的な強制社会であるために必ずバランスを失い、まさにノアの大洪水やバベルの塔のように人知を超えた浄化作用により、世界そのものが精算されすべてが前後裁断され新たな始まりを迎えるだろうと思っています。
しかし、科学技術の進化によって鉄腕アトムのような輝かしい未来社会が創れないで人知を超えた審判により精算されるとしても、なだ成り行きに流されるのではなく、生きてゆく限り危機の時期を乗り越え新たな世界に相応しい準備をしないと、新たな未来社会には入れないのではないかと思っています。
「利他の花咲く村」は世界も日本も出口を見いだせないまま危機が生じる時代に入っていることを前提にして、同じような思いを持つ仲間が集い、危機への準備と共創共生による共同体(コミュニティー)つくりで新たなあり方を試行錯誤し合いながら準備をしてゆきたいと思っています。
そしてまずは、具体的な危機の準備としては「食の自給自足」で、食の一丁目一番地の「米つくり」と備蓄用の根野菜を中心に無農薬栽培を始めてます。
そして、目指す共同体(コミュニティ−)のイメージは、約16,000年前から約10,000年の間争いのない調和の時代を続けたと言われる縄文時代の人々の生き様を探求し近づければと思っています、それを土台に進化し続ける科学技術を上手く活用しながらの共同体(コミュニティー)のひな形を創ることができれば最高だと夢見ています
2021年03月18日
「危機の時代」から「新たな時代」は「他力信仰」の世界では!
毎月一回の「聖書を読む会」で牧師さんに「明日ハルマゲドンが起こると知った時あなたは何をしますか?」と名指しで尋ねられ一瞬戸惑ったものの「何もしないです!」と答えました。
牧師さんは「尊敬する牧師さん」の話として「その牧師さんはリンゴの苗を植えます」と答えられた話をされ「ハルマゲドンを迎えてもただただ日常の生活を続けることですね!」とのお話でした。
真の深い意味は解りませんが頷けるものを感じ、とっさに出た「何もしない!」のもそれほど間違っていなかったのではと思っています。
今までは仏教の教えに関心があり、どちらか言えば「原始仏教」の「人が仏に至る論理的な自力修行の教え」に納得するものがあり、キリスト教の「信じよさらば救われん!」の他力信仰にあまり関心を抱いていませんでした。
しかし、天変地異などが多発し飢餓(大恐慌のような)が生じ、その日の食べ物に困り果てるような状態になった時に人々を救うのは「自力修行」で極一部の修行者は救えても大多数の人々は救えないのではとの思いも抱いていました。
そのような思いもあって「聖書を読む会」に参加して学ぶようになって、文明の転換期とも言われ自然災害が多発しするような危機の時期にあっては、食料危機を乗り越えるには「信じる」だけでは無理で「自力による自給自足」が大切になりますが「不安心配など心の苦しみ」を持つ人々を救うのは「「自力修行」ではなく、平安時代の飢餓の時期に広まった仏教の「南無阿弥陀仏を唱えれば救われる」大乗仏教(他力信仰)や自然環境が厳しい砂漠の地から始まったユダヤ教・キリスト教の「信じよさらば救われん」の「他力信仰」ではないかと思うようになっています。
「他力信仰」の大乗仏教やユダヤ教やキリスト教の深い意味は良く分かっていませんが危機の時代は「人が解脱して仏になった仏陀」の教えを説く「自力修行」ではなく「仏陀(人)そのものを創った天地創造の存在(神)」を信じ委ねる教えの「他力信仰」ではないかと思うようになっています。
そして危機の時代後の聖書にあるキリスト再誕により創られる永遠の新天新地新は、まさに「他力あっての自力」の世界では無いか、そして思いつくのがそのような世界の原型の一つが既に16,000年間調和と平和の大調和が続いた「縄文時代」ではないかと思っています。
おそらく、大調和の世界は争いのない世界で争いがないのは人々の心に自己中心の思いも村や集落中心で排他の思いもなく、ただただ人知を超えた存在(神)を自然に受け入れ神と共に自然と共にあることに感謝し「神の愛」を実感しながら過ごす人々であったから生まれた世界で、現実の食をや住まいも「愛(利他)の思いで助け合い、分かち合うことで維持されている世界では無いかと思っています。
そのような世界の原型の「縄文時代の人々のあり方」を聖書を通じてさらに学び「懐かしい未来」としての未来世界を描くことができればと思っています。
ちなみに私はクリスチャンではなく、さりとて仏教徒でも無く、ただただ「真理(神理)」を学びたい1人です
牧師さんは「尊敬する牧師さん」の話として「その牧師さんはリンゴの苗を植えます」と答えられた話をされ「ハルマゲドンを迎えてもただただ日常の生活を続けることですね!」とのお話でした。
真の深い意味は解りませんが頷けるものを感じ、とっさに出た「何もしない!」のもそれほど間違っていなかったのではと思っています。
今までは仏教の教えに関心があり、どちらか言えば「原始仏教」の「人が仏に至る論理的な自力修行の教え」に納得するものがあり、キリスト教の「信じよさらば救われん!」の他力信仰にあまり関心を抱いていませんでした。
しかし、天変地異などが多発し飢餓(大恐慌のような)が生じ、その日の食べ物に困り果てるような状態になった時に人々を救うのは「自力修行」で極一部の修行者は救えても大多数の人々は救えないのではとの思いも抱いていました。
そのような思いもあって「聖書を読む会」に参加して学ぶようになって、文明の転換期とも言われ自然災害が多発しするような危機の時期にあっては、食料危機を乗り越えるには「信じる」だけでは無理で「自力による自給自足」が大切になりますが「不安心配など心の苦しみ」を持つ人々を救うのは「「自力修行」ではなく、平安時代の飢餓の時期に広まった仏教の「南無阿弥陀仏を唱えれば救われる」大乗仏教(他力信仰)や自然環境が厳しい砂漠の地から始まったユダヤ教・キリスト教の「信じよさらば救われん」の「他力信仰」ではないかと思うようになっています。
「他力信仰」の大乗仏教やユダヤ教やキリスト教の深い意味は良く分かっていませんが危機の時代は「人が解脱して仏になった仏陀」の教えを説く「自力修行」ではなく「仏陀(人)そのものを創った天地創造の存在(神)」を信じ委ねる教えの「他力信仰」ではないかと思うようになっています。
そして危機の時代後の聖書にあるキリスト再誕により創られる永遠の新天新地新は、まさに「他力あっての自力」の世界では無いか、そして思いつくのがそのような世界の原型の一つが既に16,000年間調和と平和の大調和が続いた「縄文時代」ではないかと思っています。
おそらく、大調和の世界は争いのない世界で争いがないのは人々の心に自己中心の思いも村や集落中心で排他の思いもなく、ただただ人知を超えた存在(神)を自然に受け入れ神と共に自然と共にあることに感謝し「神の愛」を実感しながら過ごす人々であったから生まれた世界で、現実の食をや住まいも「愛(利他)の思いで助け合い、分かち合うことで維持されている世界では無いかと思っています。
そのような世界の原型の「縄文時代の人々のあり方」を聖書を通じてさらに学び「懐かしい未来」としての未来世界を描くことができればと思っています。
ちなみに私はクリスチャンではなく、さりとて仏教徒でも無く、ただただ「真理(神理)」を学びたい1人です
2021年03月02日
「懐かしい未来」を目指して
10年前に聞いた「懐かしい未来」その時は面白い言葉と思っていましたが、今頃になって「そうだ未来社会はまさにそのような世界ではないか?}と思うようになっています。
AI(人工知能)の進化は目を見張るようで、政府ではディジタル庁が新設され2050年達成目標に「ムーンショット」計画を公表するなど今までとはまったく次元の違う高度な情報科学技術世界に突入するのは明らかです
現在でも殆どの人は「スマホ」を持ち、知りたい情報をいとも簡単に知ることができ「スマホ」は衣食住と同様に生活必需品となっています。
このような情報科学技術の進化はまだまだ序の口で、今後さらに人々に便利な生活をもたらすばかりかAI(人工知能)や進化するロボット技術により働き方も一変し政治経済のあり方を根本的に変え、外交や防衛のあり方も全く異なるあり方に変え社会や人々の生き方をまさに前後裁断するだろうと思います。
しかしそのような高度な科学技術社会は輝かしい未来社会を作り人々の豊かで幸せな暮らしをもたらすかと言えば、必ずしも「そうだ!」と頷くことが出来ないのではないでしょうか。
それは、輝かしい高度な科学技術社会が今までのピラミッド型社会システムのままに進むとすれば確実に格差社会をますます増幅させピラピッドの頂点の支配層の道具として下位の人々への管理支配の用具に使われることは自明の理で、さらに各階層間の格差からくる分断と差別を蔓延させ暗黒の未来世界をもたらすだろうと思います。
シュメール文明以降の約6,000年の「知による物の豊かさをもとめた文明」が「成長」を旗印に自然を破壊し宇宙をも視野に発展をもたらしているものの、、決して人が持つ心の豊かさをもたらしたとは言えず精神性は逆に停滞から退化しているようにも思えることです。
そのように思うと「懐かしき未来」はまさに「知による物の豊かさによる成長」の延長線上ではない次元の異なる新たな未来の言葉のように思えてなりません。
そこで「懐かしき」とはと思い巡らすと、それは「縄文時代」の人々の世界とその精神性への回帰の思いのように思えてきます。
12,000年とも16,000年とも言われる長い縄文時代の人々の精神性を推し量ることは出来ませんが、縄文時代の人々の人骨には全く争いによる損傷がないと言われていますので私たちにとっては想像すら出来ない超不思議世界そのものですが「懐かしき」とはそのような潜在的な記憶がもたらした言葉のように思えてなりません
「人々の中で争いが生じない」と言うのは人類の歴史からは想像だにできなことですがあえて想像するとすれば、まさに「人々が自然と一体共生の心を持ち宇宙(天)と共にあると実感して日々暮らしていること、そして1人1人が宇宙(天)の分子として互いが個性を尊重しながら生きていた」からこそ争う要素が生まれる余地すら生まれなかったのではないのだろうと思えてなりません
「懐かしき未来」とはそのような縄文時代の人々豊かな精神性に回帰した上で高度な情報科学技術により自然と宇宙の中で共生する未来社会ではないかと思えてなりません。
難しいことですが利他村はそのような村つくりを目指してゆきたいなと思っています
AI(人工知能)の進化は目を見張るようで、政府ではディジタル庁が新設され2050年達成目標に「ムーンショット」計画を公表するなど今までとはまったく次元の違う高度な情報科学技術世界に突入するのは明らかです
現在でも殆どの人は「スマホ」を持ち、知りたい情報をいとも簡単に知ることができ「スマホ」は衣食住と同様に生活必需品となっています。
このような情報科学技術の進化はまだまだ序の口で、今後さらに人々に便利な生活をもたらすばかりかAI(人工知能)や進化するロボット技術により働き方も一変し政治経済のあり方を根本的に変え、外交や防衛のあり方も全く異なるあり方に変え社会や人々の生き方をまさに前後裁断するだろうと思います。
しかしそのような高度な科学技術社会は輝かしい未来社会を作り人々の豊かで幸せな暮らしをもたらすかと言えば、必ずしも「そうだ!」と頷くことが出来ないのではないでしょうか。
それは、輝かしい高度な科学技術社会が今までのピラミッド型社会システムのままに進むとすれば確実に格差社会をますます増幅させピラピッドの頂点の支配層の道具として下位の人々への管理支配の用具に使われることは自明の理で、さらに各階層間の格差からくる分断と差別を蔓延させ暗黒の未来世界をもたらすだろうと思います。
シュメール文明以降の約6,000年の「知による物の豊かさをもとめた文明」が「成長」を旗印に自然を破壊し宇宙をも視野に発展をもたらしているものの、、決して人が持つ心の豊かさをもたらしたとは言えず精神性は逆に停滞から退化しているようにも思えることです。
そのように思うと「懐かしき未来」はまさに「知による物の豊かさによる成長」の延長線上ではない次元の異なる新たな未来の言葉のように思えてなりません。
そこで「懐かしき」とはと思い巡らすと、それは「縄文時代」の人々の世界とその精神性への回帰の思いのように思えてきます。
12,000年とも16,000年とも言われる長い縄文時代の人々の精神性を推し量ることは出来ませんが、縄文時代の人々の人骨には全く争いによる損傷がないと言われていますので私たちにとっては想像すら出来ない超不思議世界そのものですが「懐かしき」とはそのような潜在的な記憶がもたらした言葉のように思えてなりません
「人々の中で争いが生じない」と言うのは人類の歴史からは想像だにできなことですがあえて想像するとすれば、まさに「人々が自然と一体共生の心を持ち宇宙(天)と共にあると実感して日々暮らしていること、そして1人1人が宇宙(天)の分子として互いが個性を尊重しながら生きていた」からこそ争う要素が生まれる余地すら生まれなかったのではないのだろうと思えてなりません
「懐かしき未来」とはそのような縄文時代の人々豊かな精神性に回帰した上で高度な情報科学技術により自然と宇宙の中で共生する未来社会ではないかと思えてなりません。
難しいことですが利他村はそのような村つくりを目指してゆきたいなと思っています
2021年01月26日
食料危機に備えて新たに「自前の米を作ろうかい」を始めます!
特異なトランプ氏の登場で表に出ていなかった裏側の世界の仕組みが人々にも垣間見れるようになり、グローバル世界は裏の一部の富裕権力層(ディープステイト)により支配されていると思う人々の台頭があり、ディ−プステイトは今以上に情報管理を強め金融支配と軍事支配を背景に各国の政治経済への支配を強めようとする一方でデープステートにより貧富の格差の固定化(1:99)した世界がもたらされたとする人々(民衆)の不満や批判も激しくなり、ディープステイトの支援によって誕生したと思われているバイデン大統領でもあることからアメリカ国内の分断が進み、その影響もあり世界の不安定さも増し、戦争経済により利権を得ているディープステイトの思惑もあって各地で紛争や戦争の危機が増すだろうと思っています
さらに、以前からいつ金融破綻が生じても不思議でないと言われていたところに今回の新型コロナパンデミックで、各国は紙幣を増刷すことで破綻を乗り越えようとしていますが、それにも限界があり何かの切っ掛けで金融破綻から世界恐慌に向かうのは必至だろうと思っています。。
さらに、そのような人為的なこと以外に地球環境の変動で世界の至る所で自然災害が多発しており、それが切っ掛になることもありうることです。
またガイヤの法則(1,600年周期で文明が西洋と東洋とに変わる)や村山節氏の800年周期説(800年周期で西洋と東洋の発展の周期が変わる)で現在は文明の転換期にあって西洋(欧米)が衰退期に入り東洋が成長期に入ると唱えられていますので、まさに現在がその時代(文明)の転換期にあたり、崩壊する課程で生ずる崩壊の危機は避けられないと思っています。
ネガティブな予測をしていますが、危機の時期を乗り越えるには、何はともあれ大切なのが「食」で「食の確保」をすることで命と心をポジティブに転換するに限ると思っています。
「利他の花咲く村」は「自給自足の共創共生の村つくり」をテーマにして、都市部の人が参加し週末は田舎で農園暮らし(ダーチャ)の集いとして現在5カ所の農地を借り月に1度か2度集い農作物を作っています。
しかし、都市部の人が月に数度集って自給自足ができる農作物を作れるほどなま易しいことでは無く、まだまだ一歩踏み出した程度で危機の時代を前提に自給自足が出来るにはほど遠く「一種の農野菜つくりサークル」の段階と言えます。
危機を想定して「自給自足による共同体」をつくるにはどうしても「自給自足できる食料」と「半農半X」の生活スタイルをつくろうとする仲間が集わないと絵に描いた餅になってしまいます。
そのような反省もあって今年からサークルとしての「週末は田舎で農園暮らし(ダーチャ)」は仲間の楽しみの場として続けながら、新たに「自前の米をりつくろうかい!」をテーマにメンバーを集い「半農半X」のライフスタイルつくりと「自給自足」を目標にして、メンバーがどれほど集えるかどうか解りませんが「危機への準備」を頭に置きながら「挑戦し行動」を始めます。
危機を予感している人は多いと思いますが、どうしても昨日の続きに今日があり今日の続きに明日が来るとの思いに流され、危機への準備行動を起こすのは本当に難しいことですが、危機が生じた時に「茹でガエル」になることは避けたいと思いますので「挑戦し行動」する仲間と楽しみながら「米作り」を進めることが出来ればと願っています
さらに、以前からいつ金融破綻が生じても不思議でないと言われていたところに今回の新型コロナパンデミックで、各国は紙幣を増刷すことで破綻を乗り越えようとしていますが、それにも限界があり何かの切っ掛けで金融破綻から世界恐慌に向かうのは必至だろうと思っています。。
さらに、そのような人為的なこと以外に地球環境の変動で世界の至る所で自然災害が多発しており、それが切っ掛になることもありうることです。
またガイヤの法則(1,600年周期で文明が西洋と東洋とに変わる)や村山節氏の800年周期説(800年周期で西洋と東洋の発展の周期が変わる)で現在は文明の転換期にあって西洋(欧米)が衰退期に入り東洋が成長期に入ると唱えられていますので、まさに現在がその時代(文明)の転換期にあたり、崩壊する課程で生ずる崩壊の危機は避けられないと思っています。
ネガティブな予測をしていますが、危機の時期を乗り越えるには、何はともあれ大切なのが「食」で「食の確保」をすることで命と心をポジティブに転換するに限ると思っています。
「利他の花咲く村」は「自給自足の共創共生の村つくり」をテーマにして、都市部の人が参加し週末は田舎で農園暮らし(ダーチャ)の集いとして現在5カ所の農地を借り月に1度か2度集い農作物を作っています。
しかし、都市部の人が月に数度集って自給自足ができる農作物を作れるほどなま易しいことでは無く、まだまだ一歩踏み出した程度で危機の時代を前提に自給自足が出来るにはほど遠く「一種の農野菜つくりサークル」の段階と言えます。
危機を想定して「自給自足による共同体」をつくるにはどうしても「自給自足できる食料」と「半農半X」の生活スタイルをつくろうとする仲間が集わないと絵に描いた餅になってしまいます。
そのような反省もあって今年からサークルとしての「週末は田舎で農園暮らし(ダーチャ)」は仲間の楽しみの場として続けながら、新たに「自前の米をりつくろうかい!」をテーマにメンバーを集い「半農半X」のライフスタイルつくりと「自給自足」を目標にして、メンバーがどれほど集えるかどうか解りませんが「危機への準備」を頭に置きながら「挑戦し行動」を始めます。
危機を予感している人は多いと思いますが、どうしても昨日の続きに今日があり今日の続きに明日が来るとの思いに流され、危機への準備行動を起こすのは本当に難しいことですが、危機が生じた時に「茹でガエル」になることは避けたいと思いますので「挑戦し行動」する仲間と楽しみながら「米作り」を進めることが出来ればと願っています
2020年11月30日
新型コロナで始まった今からの10年は未来を決めるお試しの期間!
未知なる新型コロナも少しずつ明らかになり、ワクチンの開発も急ピッチで進んでいますがまだまだ収束の目途がたたないままで感染拡大が続いています、おそらく収束には2〜3年はかかるだろうと大半の人も思っているのだろうと思います。
そして殆どの人は新型コロナによって社会が大きく変わるものの収束後の世界について変化はあるものの過去の延長線上の世界が再生されると思う人が殆どだろうと思っています。
しかし、どうも今回の新型コロナ感染症は14世紀のペスト(黒死病)や20世紀初頭のスペイン風邪で世界が大きく変わったのとは比べようのない過去の文明そのものを前後裁断させるような大転換起爆剤になるのではないかと思っています
すでに世界はコロナ以前から何らかの切っ掛けで金融破綻から経済恐慌に入る状態だと言われ、温暖化と地球自体の変動期もあって未曾有の自然災害も多発しており、物の豊かさを求め成長した物質世界そのものの「限界」が明らかになりつつあったところに生じた新型コロナは、まさしくシュメール文明より始まった「知の文明」そのものの終演を後ろ押しする見えざる神の手のように思えてなりません。
穿った予測と言われることは承知で続けますが、今回の新型コロナを俯瞰的に文明の転換期に生ずるものと捉えた時に、今からしばらくは(おそらく最低10年は!)崩壊の危機を乗り越え新たな文明に相応しい世界入るためにそれぞれが過去のあり方を前後裁断する覚悟と決断をした上で試行錯誤しながらも能動的に進むしかないように思っています。
さらに続けますと、新型コロナで生ずる崩壊の危機によって、戦後の働く場もなく食料もななく国にも依存出来ない状況に陥いるのは確実で、可能な限り個々での「食糧の確保」のための「自給自足」と社会の世相も大きりく変わることから「信頼し合え分かち合える利他の心を持ち合う仲間」を持つことが生き抜くための必須の要件になると思っています。
そして危機を乗り越えた後に始まる新たな世界は、高度な科学や通信技術がさらに発展してグローバル化していますが、それはの物の豊かさを競い合うグローバル世界での一部の富裕権力層の道具としてではなく、民の豊かさのためのグローバル世界の道具として、また人々の価値観も自然破壊を伴う物の豊かさではなく自然の一員としての自然と共生する豊かな精神性を持った高い文明世界だろうと思っています。
そのような予測をした上で今からの最低10年の期間は「食料の自給」の準備と「分かち合いの利他の心を持つ仲間」を創り合いながら、「自然との共生」「宇宙との共生」そして人々との「共創共生」への価値観に意識変革するお試し期間で、その期間のあり方でそれぞれの未来が決まるのだと思っています。
利他村はそのような危機への準備と未来志向の仲間のコミュニティーつくりを目標に試行錯誤しながら取り組んでいます。
そして殆どの人は新型コロナによって社会が大きく変わるものの収束後の世界について変化はあるものの過去の延長線上の世界が再生されると思う人が殆どだろうと思っています。
しかし、どうも今回の新型コロナ感染症は14世紀のペスト(黒死病)や20世紀初頭のスペイン風邪で世界が大きく変わったのとは比べようのない過去の文明そのものを前後裁断させるような大転換起爆剤になるのではないかと思っています
すでに世界はコロナ以前から何らかの切っ掛けで金融破綻から経済恐慌に入る状態だと言われ、温暖化と地球自体の変動期もあって未曾有の自然災害も多発しており、物の豊かさを求め成長した物質世界そのものの「限界」が明らかになりつつあったところに生じた新型コロナは、まさしくシュメール文明より始まった「知の文明」そのものの終演を後ろ押しする見えざる神の手のように思えてなりません。
穿った予測と言われることは承知で続けますが、今回の新型コロナを俯瞰的に文明の転換期に生ずるものと捉えた時に、今からしばらくは(おそらく最低10年は!)崩壊の危機を乗り越え新たな文明に相応しい世界入るためにそれぞれが過去のあり方を前後裁断する覚悟と決断をした上で試行錯誤しながらも能動的に進むしかないように思っています。
さらに続けますと、新型コロナで生ずる崩壊の危機によって、戦後の働く場もなく食料もななく国にも依存出来ない状況に陥いるのは確実で、可能な限り個々での「食糧の確保」のための「自給自足」と社会の世相も大きりく変わることから「信頼し合え分かち合える利他の心を持ち合う仲間」を持つことが生き抜くための必須の要件になると思っています。
そして危機を乗り越えた後に始まる新たな世界は、高度な科学や通信技術がさらに発展してグローバル化していますが、それはの物の豊かさを競い合うグローバル世界での一部の富裕権力層の道具としてではなく、民の豊かさのためのグローバル世界の道具として、また人々の価値観も自然破壊を伴う物の豊かさではなく自然の一員としての自然と共生する豊かな精神性を持った高い文明世界だろうと思っています。
そのような予測をした上で今からの最低10年の期間は「食料の自給」の準備と「分かち合いの利他の心を持つ仲間」を創り合いながら、「自然との共生」「宇宙との共生」そして人々との「共創共生」への価値観に意識変革するお試し期間で、その期間のあり方でそれぞれの未来が決まるのだと思っています。
利他村はそのような危機への準備と未来志向の仲間のコミュニティーつくりを目標に試行錯誤しながら取り組んでいます。
2020年11月01日
アメリカ大統領選挙とコロナ後に生ずる危機に対して!
アメリカ大統領選挙は民主党のバイデン氏が優勢とのことですが、期日前投票や郵便投票の検証に時間がかかり最終的には共和党判事が多数を占める最高裁判所に委ねられトランプの再選もあり得るとの報道もあり、どちらが選ばれてもアメリカ国内の分裂はさらに激しくなり、また増え続けるコロナ感染による不況と中国との経済対立もあってアメリカによる世界への影響力は確実に低下し、コロナによって生じる世界的不況(恐慌)もあって何らかの突発的な切っ掛けで「戦争」もあり得るのではと思っています
さらに陰謀説には振り回されたくはありませんが、現実のグローバル世界にあって国際金融資本や戦争を起こすことで利権を得て世界を支配してきたいわゆるディープステイトと言われている存在があり、ナショナリズムの一国主義を掲げ登場したトランプ氏によって力はそがれているものの朝鮮半島や中東を始め至るところで紛争を煽り続けていることからも「戦争」の種は至る所ありおおいにあり得ることだと思っています。
もちろん核や化学や生物による近代兵器の戦争は一度起これば敵味方無くすべてが破壊されることから昔ながらの陸海空軍による戦争は出来なくなっているもののAIによるサイバーや無人兵器で一瞬に決まる兵器による戦争はあると言われていますが、さりとてそのような戦争後の展開は未知なることで、どの国も「戦争は起こせない」との共通認識はあると思っています。
しかし、グローバル化した資本主義による新自由主義経済によって世界全体が弱肉強食の競争至上主義に陥り一握りの多国籍の国際金融資本の富裕権力層が「戦争」をも手段にして国をも支配している現状にあって、冷静な人知をもって「戦争の無い平和な世界」を創るのは難しく、貧富の格差の固定化した世界が続くと差別と対立が激しくなる一方で大半の人々は「長いものに忖度し」「今だけ金だけ自分だけ」の意識に埋没して、新たな戦争の無い平和な世界を創るエネルギ−になることなく人知による自浄作用が働かなくなっているように思えてなりません。
人知では世界を変えられないとすれば、終末預言にあるキリスト再臨や日本での大本教や日月神示の「お立て直し」のように人知を超えた他力に頼るしかないのかもしれません。
しかし、たとえ他力により光ある未来世界に導かれるとしても、世界を混乱させ崩壊に至る原因そのものは人類が創り出したことで、当然にそれに伴う苦難は人類が負うことですから、キリストが人々の罪をあがない、人類を救うために、十字架にかかり贖罪により許されるのに委ねるのは、まさに「本願ぼこり」で、それこそ「今だけ金だけ自分だけ」の得手勝手な思いを助長するだけで許されないことだと思っています。
やはり今回の大統領選挙やコロナ後に生じる危機にあって明るい未来が見いだせないとしても、それは人類の自業自得と覚悟して、まずは危機を乗り越える「天は自ら足すくる者を助く」の思いをもって手探りでの自助努力に勤め、その上で「人事を尽くして天命を待つ」の「他力」に委ねるのしかないのだろうと思っています。
利他村の手探りでの「自助努力」は「食料の自給と確保」と「未来を夢見る仲間をつくる」ことです、あとはケセラセラで「天命」を待つことだと思っています。
さらに陰謀説には振り回されたくはありませんが、現実のグローバル世界にあって国際金融資本や戦争を起こすことで利権を得て世界を支配してきたいわゆるディープステイトと言われている存在があり、ナショナリズムの一国主義を掲げ登場したトランプ氏によって力はそがれているものの朝鮮半島や中東を始め至るところで紛争を煽り続けていることからも「戦争」の種は至る所ありおおいにあり得ることだと思っています。
もちろん核や化学や生物による近代兵器の戦争は一度起これば敵味方無くすべてが破壊されることから昔ながらの陸海空軍による戦争は出来なくなっているもののAIによるサイバーや無人兵器で一瞬に決まる兵器による戦争はあると言われていますが、さりとてそのような戦争後の展開は未知なることで、どの国も「戦争は起こせない」との共通認識はあると思っています。
しかし、グローバル化した資本主義による新自由主義経済によって世界全体が弱肉強食の競争至上主義に陥り一握りの多国籍の国際金融資本の富裕権力層が「戦争」をも手段にして国をも支配している現状にあって、冷静な人知をもって「戦争の無い平和な世界」を創るのは難しく、貧富の格差の固定化した世界が続くと差別と対立が激しくなる一方で大半の人々は「長いものに忖度し」「今だけ金だけ自分だけ」の意識に埋没して、新たな戦争の無い平和な世界を創るエネルギ−になることなく人知による自浄作用が働かなくなっているように思えてなりません。
人知では世界を変えられないとすれば、終末預言にあるキリスト再臨や日本での大本教や日月神示の「お立て直し」のように人知を超えた他力に頼るしかないのかもしれません。
しかし、たとえ他力により光ある未来世界に導かれるとしても、世界を混乱させ崩壊に至る原因そのものは人類が創り出したことで、当然にそれに伴う苦難は人類が負うことですから、キリストが人々の罪をあがない、人類を救うために、十字架にかかり贖罪により許されるのに委ねるのは、まさに「本願ぼこり」で、それこそ「今だけ金だけ自分だけ」の得手勝手な思いを助長するだけで許されないことだと思っています。
やはり今回の大統領選挙やコロナ後に生じる危機にあって明るい未来が見いだせないとしても、それは人類の自業自得と覚悟して、まずは危機を乗り越える「天は自ら足すくる者を助く」の思いをもって手探りでの自助努力に勤め、その上で「人事を尽くして天命を待つ」の「他力」に委ねるのしかないのだろうと思っています。
利他村の手探りでの「自助努力」は「食料の自給と確保」と「未来を夢見る仲間をつくる」ことです、あとはケセラセラで「天命」を待つことだと思っています。
2020年09月30日
管新首相が掲げた「自助・共助・公助」について思う
支持率が下がっていた安部前首相の退任を歓迎している1人ですが首相としての実績も無く安倍政権の政策を引き継ぐとした管新首相が国民の高い支持を得ているのに首をかしげている1人です。
安部政権の政策を引き継ぐのであれば説明がされないままになっている「森友・加計・桜を見る会」についても「公文書の破棄・改ざん・隠蔽」と言った民主主義政治そのものの根底を覆した安部政権の責任と政権としての国民への謝罪がないとダメでそれを過去の話であると言い話す姿勢には期待どころかうんざりするばかりです。
そして新首相として掲げたのが「自助・共助・公助」の誰もが頷ける言葉です。
しかし「民主主義の国」として民の1人1人の成長も国の成長も民の「自助努力」なくしてないことは充分承知していることで上から「国」が示めさなくても解りきったことです。
国が示すことは民が「自助努力」してゆける環境を示し国が責任をもって実行する「公助」を具体的に説明して知らしめることです。
当然「共助」も国民1人1人の「自助努力」だけでは困難なことを互いに助け合うことも解り合ったことで「共助」も国が示すことでは無く「共助」しやすい環境つくりすなわち「公助」として実行することで「公助」だけを示すだけで良いのです。
それを国の首相が「公助」の実行を具体的に示しすことなく大上段に「自助・共助・公助」を掲げるのは責任転換としかしか言いようがなく、またそれを良しとする与党の見識の無さに首をかしげざるをえません。
コロナ前から金融破綻から経済破綻の危惧が言われていたところにコロナパンデミックそして昨今の未曾有の自然災害の多発なども相まってコロナ後の世界は確実に世界の政治・経済・社会の混乱が予測されます。
そのような時期は過去の歴史から戦争にと繋がっていますので再び戦前のような風潮が社会に漂いはじめるのを危惧していますし、そのようになると国はマスコミをも支配下にした中央集権的なあり方に変わり人々は次第にそのような流れに流されるようになってゆきます。
そのような時代の流れが予測できる現在、安部首相が遺産のように残した「積極平和主義」も菅首相の「「自助・共助・公助」も言葉の響きは良く頷ける言葉ですが理由も定かで無く高い支持を与えていることに危惧を感じると共に誤った方向に進める一歩のようにも思っているひとりです。
安部政権の政策を引き継ぐのであれば説明がされないままになっている「森友・加計・桜を見る会」についても「公文書の破棄・改ざん・隠蔽」と言った民主主義政治そのものの根底を覆した安部政権の責任と政権としての国民への謝罪がないとダメでそれを過去の話であると言い話す姿勢には期待どころかうんざりするばかりです。
そして新首相として掲げたのが「自助・共助・公助」の誰もが頷ける言葉です。
しかし「民主主義の国」として民の1人1人の成長も国の成長も民の「自助努力」なくしてないことは充分承知していることで上から「国」が示めさなくても解りきったことです。
国が示すことは民が「自助努力」してゆける環境を示し国が責任をもって実行する「公助」を具体的に説明して知らしめることです。
当然「共助」も国民1人1人の「自助努力」だけでは困難なことを互いに助け合うことも解り合ったことで「共助」も国が示すことでは無く「共助」しやすい環境つくりすなわち「公助」として実行することで「公助」だけを示すだけで良いのです。
それを国の首相が「公助」の実行を具体的に示しすことなく大上段に「自助・共助・公助」を掲げるのは責任転換としかしか言いようがなく、またそれを良しとする与党の見識の無さに首をかしげざるをえません。
コロナ前から金融破綻から経済破綻の危惧が言われていたところにコロナパンデミックそして昨今の未曾有の自然災害の多発なども相まってコロナ後の世界は確実に世界の政治・経済・社会の混乱が予測されます。
そのような時期は過去の歴史から戦争にと繋がっていますので再び戦前のような風潮が社会に漂いはじめるのを危惧していますし、そのようになると国はマスコミをも支配下にした中央集権的なあり方に変わり人々は次第にそのような流れに流されるようになってゆきます。
そのような時代の流れが予測できる現在、安部首相が遺産のように残した「積極平和主義」も菅首相の「「自助・共助・公助」も言葉の響きは良く頷ける言葉ですが理由も定かで無く高い支持を与えていることに危惧を感じると共に誤った方向に進める一歩のようにも思っているひとりです。
2020年08月31日
安部首相の辞任を歓迎「平和をリーとする」新たな首相が誕生することを願います
安部首相がようやく辞任することになり、安部首相については戦後最悪の総理と思っていましたので「良かった!」と思う人の中の1人です
「美しい日本」を訴え「戦後レジームからの脱却」とのスローガンに新たな未来を導く若いリーダーとの期待を持っていましたが、それはまさに幻想で「戦後レジームからの脱却」というのは「戦後の民主主義と平和国家」からの脱却で「美しい国」と言うのは戦前のような力を背景にした強い国つくりのことでまさしく戦前回帰のノスタルジアであったと思っています。
そして「憲法改正」を旗に過去の自民党政権が踏み込めなかった「特定秘密保護法」「武器輸出解禁につながる法案」「共謀法に近い法案」「新安保や集団的自衛権を認める」などそれも充分な説明のない強行採決で、さらに現在も「専守防衛の範疇」とは言いがたい「先制攻撃論」が議論され、それが行使すれば即反撃は必至で戦争に突入し一旦戦闘が始まると近代兵器戦争は双方に破壊が生ずるのは明らかだと思っています。
まさに安部首相は戦後「平和憲法」の下に戦争もせず戦争にも巻き込まれなかった日本を「抑止力」という名目で「戦争の出来る国」に導いた首相としか言いようがないと思っています
さらに「弱小化した野党」にも「選挙制度」にも原因がありますが「内閣人事局」を手中に収め「他に変わるべき対抗馬が出にくい」状況をつく出すことで強権な長期政権が続き、その結果「国会私物化」と「忖度政治」をもたらし、「森友・加計学園・桜を見る会」などの倫理なき国会をあらわにすることによって「今だけ金だけ自分だけ」倫理無き社会を許し誘導したように思っています。
確かにバブル崩壊後の経済にあって新自由主義経済の下に「アベノミクス」を旗に「異次元の金融政策」と「財政支出」により円安を誘導し雇用の増加などに一定の成果は上がったものの実体は大企業優遇を進めコスト削減による非正規社員を増加させ全体の勤労者所得を年々減少させトリクルダウンはなく「貧富の格差」が増大固定化するバランス無き社会を増幅させたと思っています。
そして成果と自認していた「アベノミクス」も今回のコロナで元の木阿弥として消えているのです。
また念願の「憲法改正」「北方領土の返還」「拉致の解決」は長期政権にもかかわらず達成することが出来なかったのです。
世界も日本も「成長の限界」と言われ、自然を破壊し続け物の豊かさを競い合い成長を続けた結果が、自然の自浄作用による未曾有の「自然災害」の多発をもたらし、経済も実体を遙かに超える金融が経済を支配しその歪な経済によって何時金融崩壊が生じても不思議でない状況にあって、今回の世界的コロナパンデミックがダメ押しとなって、それがが2波3波と続くけば確実に世界大恐慌に突入するように思っています。
当然にそうなると「紛争や戦争」に繋がるのが歴史の常で、しかし「戦争」を起こせば勝者敗者無くすべてが終わりの時代に入っていますので、もはや力(軍備)ではなく外交努力で「平和」な世界を創り上げるしか未来は無いのではと思っています。
まさに日本は「戦後世界では紛争や戦争をしなかった唯一の国」として「世界平和」をリードできる国で、新たな首相は「憲法改正では無く」「平和憲法」の下に「戦争を前提にした競い合いでの強国日本」ではなく「平和を前提にした共創共生をリードする日本」として世界をリードすると共に国内では「自然と共生する国つくり」を旗に「未来を示し導き国民から信頼される徳のある首相」として誕生することを願っています。
「美しい日本」を訴え「戦後レジームからの脱却」とのスローガンに新たな未来を導く若いリーダーとの期待を持っていましたが、それはまさに幻想で「戦後レジームからの脱却」というのは「戦後の民主主義と平和国家」からの脱却で「美しい国」と言うのは戦前のような力を背景にした強い国つくりのことでまさしく戦前回帰のノスタルジアであったと思っています。
そして「憲法改正」を旗に過去の自民党政権が踏み込めなかった「特定秘密保護法」「武器輸出解禁につながる法案」「共謀法に近い法案」「新安保や集団的自衛権を認める」などそれも充分な説明のない強行採決で、さらに現在も「専守防衛の範疇」とは言いがたい「先制攻撃論」が議論され、それが行使すれば即反撃は必至で戦争に突入し一旦戦闘が始まると近代兵器戦争は双方に破壊が生ずるのは明らかだと思っています。
まさに安部首相は戦後「平和憲法」の下に戦争もせず戦争にも巻き込まれなかった日本を「抑止力」という名目で「戦争の出来る国」に導いた首相としか言いようがないと思っています
さらに「弱小化した野党」にも「選挙制度」にも原因がありますが「内閣人事局」を手中に収め「他に変わるべき対抗馬が出にくい」状況をつく出すことで強権な長期政権が続き、その結果「国会私物化」と「忖度政治」をもたらし、「森友・加計学園・桜を見る会」などの倫理なき国会をあらわにすることによって「今だけ金だけ自分だけ」倫理無き社会を許し誘導したように思っています。
確かにバブル崩壊後の経済にあって新自由主義経済の下に「アベノミクス」を旗に「異次元の金融政策」と「財政支出」により円安を誘導し雇用の増加などに一定の成果は上がったものの実体は大企業優遇を進めコスト削減による非正規社員を増加させ全体の勤労者所得を年々減少させトリクルダウンはなく「貧富の格差」が増大固定化するバランス無き社会を増幅させたと思っています。
そして成果と自認していた「アベノミクス」も今回のコロナで元の木阿弥として消えているのです。
また念願の「憲法改正」「北方領土の返還」「拉致の解決」は長期政権にもかかわらず達成することが出来なかったのです。
世界も日本も「成長の限界」と言われ、自然を破壊し続け物の豊かさを競い合い成長を続けた結果が、自然の自浄作用による未曾有の「自然災害」の多発をもたらし、経済も実体を遙かに超える金融が経済を支配しその歪な経済によって何時金融崩壊が生じても不思議でない状況にあって、今回の世界的コロナパンデミックがダメ押しとなって、それがが2波3波と続くけば確実に世界大恐慌に突入するように思っています。
当然にそうなると「紛争や戦争」に繋がるのが歴史の常で、しかし「戦争」を起こせば勝者敗者無くすべてが終わりの時代に入っていますので、もはや力(軍備)ではなく外交努力で「平和」な世界を創り上げるしか未来は無いのではと思っています。
まさに日本は「戦後世界では紛争や戦争をしなかった唯一の国」として「世界平和」をリードできる国で、新たな首相は「憲法改正では無く」「平和憲法」の下に「戦争を前提にした競い合いでの強国日本」ではなく「平和を前提にした共創共生をリードする日本」として世界をリードすると共に国内では「自然と共生する国つくり」を旗に「未来を示し導き国民から信頼される徳のある首相」として誕生することを願っています。
2020年04月30日
「コロナ」後に生まれる新たな世界が楽しみです!
新型コロナウィルスは次々と変化し続けると言われていますのでワクチンや治療薬の開発とイタチごっこになりかねないことから収拾には少なくとも約2年はかかると思われ、そうなると世界の経済は1929年の世界大恐慌を超える混乱となり世界は形を大きく変えるだろうと思っています。
利他村ではそのような大恐慌は食糧危機を生み出すことから自給自足可能な農産物をつくり命と生活を守った上で、無機質な都市ではなく自然があり微生物のある土と共生する「田舎町から新生する」との思いをもって「共創共生のコミュニティ(ビレッジ)」」のひな型を創ろうと思っています。
その「共創共生のコミュニティ(ビレッジ)」は「心」を大切に、16,000年の間争いのない平和で自然と共生していた「縄文時代の人々」のような豊かな心を取り戻もどすことを土台にして、知の文明がつくりだした「AI(人工知能)・IOT(もののインターネット)・ロボット技術」と「管理者を必要にしないフラットな横型社会が可能なブロックチェーン」を活用した貧富の格差のない豊かなライフスタイルつくりだこと思っています。
まさにコロナ後に生まれる世界をそのような「ものと心のバランスのとれた愛ある共創共生の世界」と描いています。
5月から利他村では集落の「古民家」を借り「シェアーハウス」に活用するようになり、また新たに「平地に約1反の田」を借り、秋には念願の「仲間で作ったお米を仲間の家族が食べれる」が実現します。
そのようなこともあり、まずは「土地と共に微生物と共に大自然と共に」「農薬や化学肥料を使わない農産物」を目指して取り組んでいる「週末は田舎で農園ぐらし(ダーチャ)」をさらに仲間一人一人の個性を生かし合いながらより充実したものにすることだと思っています。
そして今回のコロナには新たな世界を生み出すためにもたらされた人知を超えた計らいのようにも思い、危機を思え乗り越えた後に生まれる世界を楽しみしながら前を向いて進めたいと思っています。
利他村ではそのような大恐慌は食糧危機を生み出すことから自給自足可能な農産物をつくり命と生活を守った上で、無機質な都市ではなく自然があり微生物のある土と共生する「田舎町から新生する」との思いをもって「共創共生のコミュニティ(ビレッジ)」」のひな型を創ろうと思っています。
その「共創共生のコミュニティ(ビレッジ)」は「心」を大切に、16,000年の間争いのない平和で自然と共生していた「縄文時代の人々」のような豊かな心を取り戻もどすことを土台にして、知の文明がつくりだした「AI(人工知能)・IOT(もののインターネット)・ロボット技術」と「管理者を必要にしないフラットな横型社会が可能なブロックチェーン」を活用した貧富の格差のない豊かなライフスタイルつくりだこと思っています。
まさにコロナ後に生まれる世界をそのような「ものと心のバランスのとれた愛ある共創共生の世界」と描いています。
5月から利他村では集落の「古民家」を借り「シェアーハウス」に活用するようになり、また新たに「平地に約1反の田」を借り、秋には念願の「仲間で作ったお米を仲間の家族が食べれる」が実現します。
そのようなこともあり、まずは「土地と共に微生物と共に大自然と共に」「農薬や化学肥料を使わない農産物」を目指して取り組んでいる「週末は田舎で農園ぐらし(ダーチャ)」をさらに仲間一人一人の個性を生かし合いながらより充実したものにすることだと思っています。
そして今回のコロナには新たな世界を生み出すためにもたらされた人知を超えた計らいのようにも思い、危機を思え乗り越えた後に生まれる世界を楽しみしながら前を向いて進めたいと思っています。
2020年04月01日
新型コロナウィルスで思うこと!
新型コロナウィルスはパンデミック(世界的な蔓延)となり、各国はクラスター(集団感染)からオーバーシュート(感染爆発)へ、そして医療崩壊を食い止めるため外出禁止令やロックダウン(都市封鎖)へと進んでいます。
ワクチンもなく治療薬もない今回の未知のウィルスが以前世界の人口の3分の1の死者を出した黒死病(ペスト)や5,000万人の死者を出したスペイン風邪のような展開になるかどうか定かではありませんが、今からの社会システムや人々の意識を大きく変えるようになると思います。
特にSNS上で行き交っている人工削減計画の人造細菌のような陰謀論やアメリカが中国に仕掛けた生物兵器とか中国武漢にある細菌研究所から漏れたとかの話はそもそも細菌をもって特定の目的に使うとなると必ず使った側にも蔓延してくることからトンデモ話として聞き流すに限ると思っています。
むしろトンデモ話になるかもしれませんが、今回の新型ウィルスは過去パンデミックを起こしたウィルスとは次元の違う現代文明そのものの終焉期に生じるものとして、または旧約聖書が預言する終末期に現れることの一つとしてとらえた方が良いと思っています。
すでに現代文明については1975年にローマクラブが「成長の限界」と公表しており、現にグローバル化した資本主義そのものが世界的に貧富の格差の増大固定化の世界を創りつつあり、また世界を実質的に左右している国際金融資本が次第に金融そのものをコントロールできなくなり自浄能力を失い金融破綻も始まっているような状況にあって、シュメール文明以降「物の豊かさ」に比重をおいて人類が創り上げたてきた現代文明そのものが終焉期にある今新型ウィルスは文明の転換期に生じる人知を超える予兆のようなもののように思えないことではありません。
もし人知を超える予兆としての新型コロナウィルスであれば人類が創り上げた科学や知識を総結集して人事を尽くしたとしても収めることは不可能で「天の計らい(天命)」の赴くままに委ね祈るしかありません。
しかし「天命」は「人事を尽くす」こと無くして降ろされることはないことから、やはり人類は叡智を尽くし国は対症療法と医療体制に最大限の努力をして全精力でワクチンと治療薬の開発に人事を尽くし、民は自らが感染源にならないための配慮と食事と健康に留意し自己免疫力を高めることに人事を尽くし「天命」に委ねることしかないのだろうと思います。
このように今回の新型コロナウィルスが「一つの文明が崩壊し新たな文明が生まれる転換期に生じる」現れとした時に私たちがすることは「崩壊に伴う危機への準備」と「新たな時代への準備」でただ単に恐怖におののくことではなく、平易なたとえですが「災い転じて福となる」との思いをもって新たな福を創ることだと思っています。
そして利他村としての「福創り」は、まず個々人が「自己免疫力を高める」だと思っています「自己免疫力を高める」には人の成り立ちの原点とも言える「土地と共に微生物と共に大自然と共にあるあり方」に立ち返り「農薬や化学肥料を使わない自然の原理にしたがった農野菜をつくり食する」ことに努めあとは天命に委ねることだと思っています。
そして新たな文明の始まりは終焉する都市文明ではなく「田舎町から新生する」と思い新たなコミュニティーをつくることだと思っています。
ワクチンもなく治療薬もない今回の未知のウィルスが以前世界の人口の3分の1の死者を出した黒死病(ペスト)や5,000万人の死者を出したスペイン風邪のような展開になるかどうか定かではありませんが、今からの社会システムや人々の意識を大きく変えるようになると思います。
特にSNS上で行き交っている人工削減計画の人造細菌のような陰謀論やアメリカが中国に仕掛けた生物兵器とか中国武漢にある細菌研究所から漏れたとかの話はそもそも細菌をもって特定の目的に使うとなると必ず使った側にも蔓延してくることからトンデモ話として聞き流すに限ると思っています。
むしろトンデモ話になるかもしれませんが、今回の新型ウィルスは過去パンデミックを起こしたウィルスとは次元の違う現代文明そのものの終焉期に生じるものとして、または旧約聖書が預言する終末期に現れることの一つとしてとらえた方が良いと思っています。
すでに現代文明については1975年にローマクラブが「成長の限界」と公表しており、現にグローバル化した資本主義そのものが世界的に貧富の格差の増大固定化の世界を創りつつあり、また世界を実質的に左右している国際金融資本が次第に金融そのものをコントロールできなくなり自浄能力を失い金融破綻も始まっているような状況にあって、シュメール文明以降「物の豊かさ」に比重をおいて人類が創り上げたてきた現代文明そのものが終焉期にある今新型ウィルスは文明の転換期に生じる人知を超える予兆のようなもののように思えないことではありません。
もし人知を超える予兆としての新型コロナウィルスであれば人類が創り上げた科学や知識を総結集して人事を尽くしたとしても収めることは不可能で「天の計らい(天命)」の赴くままに委ね祈るしかありません。
しかし「天命」は「人事を尽くす」こと無くして降ろされることはないことから、やはり人類は叡智を尽くし国は対症療法と医療体制に最大限の努力をして全精力でワクチンと治療薬の開発に人事を尽くし、民は自らが感染源にならないための配慮と食事と健康に留意し自己免疫力を高めることに人事を尽くし「天命」に委ねることしかないのだろうと思います。
このように今回の新型コロナウィルスが「一つの文明が崩壊し新たな文明が生まれる転換期に生じる」現れとした時に私たちがすることは「崩壊に伴う危機への準備」と「新たな時代への準備」でただ単に恐怖におののくことではなく、平易なたとえですが「災い転じて福となる」との思いをもって新たな福を創ることだと思っています。
そして利他村としての「福創り」は、まず個々人が「自己免疫力を高める」だと思っています「自己免疫力を高める」には人の成り立ちの原点とも言える「土地と共に微生物と共に大自然と共にあるあり方」に立ち返り「農薬や化学肥料を使わない自然の原理にしたがった農野菜をつくり食する」ことに努めあとは天命に委ねることだと思っています。
そして新たな文明の始まりは終焉する都市文明ではなく「田舎町から新生する」と思い新たなコミュニティーをつくることだと思っています。
2020年01月01日
利他村の「年頭所感」
あけましておめでとうございます。
零和2年目は東京オリンピックに人々の関心が集まり、メディアではアメリカ経済の好調、日本も高級マンションや高級自動車の販売の好調、株価も好調と報道されていますが、大多数の民にはどうもそのような好調の実感はなく、イギリスのEU離脱・アメリカと中国の経済対立などあり世界が不況期に入ったと言われているSNSで飛び交っている情報が正しいと思っています。
そして気になるのはジンクスのように年号が変わる時期には大正初期は第一次世界大戦、昭和初期は金融恐慌から世界恐慌、昭和初期はバブル崩壊とあり、令和の初期の現在専門的になりますが短期金利が長期金利を超える異常な様相を呈しており金の相場も急騰しかかっていますので何時始まっても不思議でないと言われている金融破綻がすでに始まっているのではと思えることす。
もしジンクスどおりに危機が生じ困難な時期が始まっているとすれば国民に信頼される強いリーダーの誕生が求められますが、歴代最長になった安倍首相の「身内優先公私混同の忖度政治」や「欺瞞と言い逃れ答弁」や「公文書の改ざんや破棄」が平然と行われ「それに対する野党の追及を逃れるために国会を早々に閉鎖」するなど「民のため民主主義」をないがしろに「自己の思い(憲法改正)を良しとして推し進める「安倍強権政治」は逆の「富国強兵」の戦前回帰で、それに司法・行政・立法やメディアが「長いものには巻かれよ!」の「忖度」がまかり通っている現状、また多くの民も「ゆでガエル」に甘んじている現状を見ると危機の上塗りはあっても危機の回避は望めないと思っています。
そもそも「資本(お金)主義」が持つ競い合いが行き過ぎ、格差が拡大固定化するようになったにも関わらず為政者も各業界リーダーも「今だけ金だけ自分だけ」に陥って自浄作用をなくしており、もはや「経世済民」の精神を基にした「健全な資本主義的な成長経済」に立ち戻るのは到底無理と言うしかなく、自然破壊のない自然との共生と貧富の格差のない「共創共生の調和経済」にシフトアップするのはまさに夢の夢で、それは「古い世界が崩壊しないと新たな世界は生まれない」これこそ「神の見えざる手」に委ねるしかないのかも知れません。
そのような人知を超えた危機のジンクスの零和初期だとすれば、すでに「金融危機」から「経済破綻」そして「恐慌から戦争」に向かっていることを前提にまずは我が身の問題として切実に捉え一人一人が出来うる「自立の準備」の取り組みをすることだと思っています。
そして利他村の「利他の準備」としては時代認識を共有し合えるダーチャ(週末は田舎で農園ぐらし)の仲間の「自給できる農野菜の栽培つくり」を仲間と共に確実なものにすることだと思っています。
そのうえで仲間と新たにな未来を語り合い、また新たな未来つくりの取り組みをする全国のグループとのネットつくりへと広げることだと思っています。
本年もどうかよろしくご指導ご支援いただきますようお願いいたします。
零和2年目は東京オリンピックに人々の関心が集まり、メディアではアメリカ経済の好調、日本も高級マンションや高級自動車の販売の好調、株価も好調と報道されていますが、大多数の民にはどうもそのような好調の実感はなく、イギリスのEU離脱・アメリカと中国の経済対立などあり世界が不況期に入ったと言われているSNSで飛び交っている情報が正しいと思っています。
そして気になるのはジンクスのように年号が変わる時期には大正初期は第一次世界大戦、昭和初期は金融恐慌から世界恐慌、昭和初期はバブル崩壊とあり、令和の初期の現在専門的になりますが短期金利が長期金利を超える異常な様相を呈しており金の相場も急騰しかかっていますので何時始まっても不思議でないと言われている金融破綻がすでに始まっているのではと思えることす。
もしジンクスどおりに危機が生じ困難な時期が始まっているとすれば国民に信頼される強いリーダーの誕生が求められますが、歴代最長になった安倍首相の「身内優先公私混同の忖度政治」や「欺瞞と言い逃れ答弁」や「公文書の改ざんや破棄」が平然と行われ「それに対する野党の追及を逃れるために国会を早々に閉鎖」するなど「民のため民主主義」をないがしろに「自己の思い(憲法改正)を良しとして推し進める「安倍強権政治」は逆の「富国強兵」の戦前回帰で、それに司法・行政・立法やメディアが「長いものには巻かれよ!」の「忖度」がまかり通っている現状、また多くの民も「ゆでガエル」に甘んじている現状を見ると危機の上塗りはあっても危機の回避は望めないと思っています。
そもそも「資本(お金)主義」が持つ競い合いが行き過ぎ、格差が拡大固定化するようになったにも関わらず為政者も各業界リーダーも「今だけ金だけ自分だけ」に陥って自浄作用をなくしており、もはや「経世済民」の精神を基にした「健全な資本主義的な成長経済」に立ち戻るのは到底無理と言うしかなく、自然破壊のない自然との共生と貧富の格差のない「共創共生の調和経済」にシフトアップするのはまさに夢の夢で、それは「古い世界が崩壊しないと新たな世界は生まれない」これこそ「神の見えざる手」に委ねるしかないのかも知れません。
そのような人知を超えた危機のジンクスの零和初期だとすれば、すでに「金融危機」から「経済破綻」そして「恐慌から戦争」に向かっていることを前提にまずは我が身の問題として切実に捉え一人一人が出来うる「自立の準備」の取り組みをすることだと思っています。
そして利他村の「利他の準備」としては時代認識を共有し合えるダーチャ(週末は田舎で農園ぐらし)の仲間の「自給できる農野菜の栽培つくり」を仲間と共に確実なものにすることだと思っています。
そのうえで仲間と新たにな未来を語り合い、また新たな未来つくりの取り組みをする全国のグループとのネットつくりへと広げることだと思っています。
本年もどうかよろしくご指導ご支援いただきますようお願いいたします。
2019年12月13日
安倍政権の「桜を見る会」の対応には「うんざり」を通りこして「怒り」さえ覚えます。
森友・加計問題では「国民に充分な説明をします」の発言は果たさず、不都合な資料は各省の忖度による「書き換え(改ざん)」や「破棄」のまま参議院選挙で勝てば「禊ぎがあった」とし、今回の「桜を見る会」も誰が見ても「問題あり」が明らかにも関わらず資料は「シュレッターで破棄」復元可能な「電子データーも消去」さらに「バックデーターは行政文書でない」など答えにならない答弁を繰り返すばかり、野党の国会の会期延長要求は拒否し「ほとぼりが冷める」のを待つ安倍政権の「モラルもなき政権運営」には腹立たしさを感じています。
そもそも国政や行政の記録は歴史的記録として国家財産であり「紙媒体」しかない時代は保管面で重要度に応じて廃棄も仕方がないとは思うものの「電子媒体のデータ」の時代にあっては「行政上の政策の失敗や好ましくない言動」もすべてを永久保存にすることは基本中の基本でもあり常識中の常識でもあり、それを権力を預かる与党や首相が「権力への保身と維持」のために「虚偽や言い逃れ」を繰り返し不利になる記録は「平然と破棄した」と言い放すのは「民主主義」の原点に反するばかりか、そのような「モラルなき醜態政治」は「民のモラルも著しく低下させ」「世界からの評価の低下をもたらし」あってはならないことです。
残念なことにこのような重大局面に関わらず与党の中には正面切って首相交代を迫るリーダーはなく、野党に至っても大同団結をし民から安心し信頼される政策を掲げて民と共に政権交代に導く絶好の機会に関わらず問題追及に終止するばかり「れいわ新選組」の右翼や左翼とか保守や革新と言った固定観念を乗り越え民の側からの新たに時代の息吹と流れが生まれているにも関わらず大半の民は「ゆでカエル」を甘んじているようで新たな令和の時代が開かれるのはまだまだ先になるのではと危惧しています。
しかも最長になった安倍長期政権の間「人口減少」と「少子高齢化」は進みつづけ、失敗したのか「アベノミクス」の言葉さえ言われなくなくなり、国際的に優位であった「教育水準」「技術水準」はどんどんと下がり、国内的には貧富の格差の拡大固定化が続き「美しい日本」の訴えは時代逆行の「新安保と軍事力強化」しか目立たず「成長から成熟」に入った時代にあって未来志向の新たな豊かさをもたらす政策は何ら見当たらないように思っています。
ただ昭和の初めには昭和大恐慌、平成の初めにはバブル崩壊とあり、経済破綻(金融危機)が何時生じても不思議でない現在令和大恐慌もあり得ることで、安倍政権への不信と怒りに終わるだけで何もしないのはそれこそダメで、少なからず個々人で出来る「危機への準備」と「新たな時代への準備」を意識的に心がけ行動しないとと強く思っています。
そのような思いもあって利他村はまずは危機を前提に「自給自足可能なライフスタイル」を目標に新たな時代の「コミュニティーつくり」の取り組みをしています。
そもそも国政や行政の記録は歴史的記録として国家財産であり「紙媒体」しかない時代は保管面で重要度に応じて廃棄も仕方がないとは思うものの「電子媒体のデータ」の時代にあっては「行政上の政策の失敗や好ましくない言動」もすべてを永久保存にすることは基本中の基本でもあり常識中の常識でもあり、それを権力を預かる与党や首相が「権力への保身と維持」のために「虚偽や言い逃れ」を繰り返し不利になる記録は「平然と破棄した」と言い放すのは「民主主義」の原点に反するばかりか、そのような「モラルなき醜態政治」は「民のモラルも著しく低下させ」「世界からの評価の低下をもたらし」あってはならないことです。
残念なことにこのような重大局面に関わらず与党の中には正面切って首相交代を迫るリーダーはなく、野党に至っても大同団結をし民から安心し信頼される政策を掲げて民と共に政権交代に導く絶好の機会に関わらず問題追及に終止するばかり「れいわ新選組」の右翼や左翼とか保守や革新と言った固定観念を乗り越え民の側からの新たに時代の息吹と流れが生まれているにも関わらず大半の民は「ゆでカエル」を甘んじているようで新たな令和の時代が開かれるのはまだまだ先になるのではと危惧しています。
しかも最長になった安倍長期政権の間「人口減少」と「少子高齢化」は進みつづけ、失敗したのか「アベノミクス」の言葉さえ言われなくなくなり、国際的に優位であった「教育水準」「技術水準」はどんどんと下がり、国内的には貧富の格差の拡大固定化が続き「美しい日本」の訴えは時代逆行の「新安保と軍事力強化」しか目立たず「成長から成熟」に入った時代にあって未来志向の新たな豊かさをもたらす政策は何ら見当たらないように思っています。
ただ昭和の初めには昭和大恐慌、平成の初めにはバブル崩壊とあり、経済破綻(金融危機)が何時生じても不思議でない現在令和大恐慌もあり得ることで、安倍政権への不信と怒りに終わるだけで何もしないのはそれこそダメで、少なからず個々人で出来る「危機への準備」と「新たな時代への準備」を意識的に心がけ行動しないとと強く思っています。
そのような思いもあって利他村はまずは危機を前提に「自給自足可能なライフスタイル」を目標に新たな時代の「コミュニティーつくり」の取り組みをしています。
2019年11月27日
フランシスコ教皇と今生天皇の「平和の願い」に思う
フランシス教皇が来日し広島・長崎で「核兵器廃止」を全世界に訴えましたが、唯一の核被爆国の日本は「核兵器禁止条約」に署名しないままで「核廃絶に向かって世界をリードする」との安倍首相の発言にはむなしさを感じるばかりです
そしてフランシスコ教皇の平和へ訴えに即位礼で内外に向かっての三度「国民の幸せと世界の平和」を言われた新天皇はさぞかし心強くされたのではと思います。
さらにフランシスコ教皇は真の平和は「非武装の平和」で防衛用の核も許容しない旨の力強いメッセージをされ、その高尚な理想を「政教分離」の厳守は言うまでもありませんが世界の為政者が現実に具現化する取り組みを国連などで話し合い力強く行動することを願ってやみません。
そもそも現在は過去の戦争とは比較にならない高度な無差別な殺戮兵器の「核兵器」「生物兵器」「化学兵器」「レーザー兵器」などをしかもAI搭載のドローンやロボットを机上操作できる戦争で、小国もそのような兵器を持つことで、一旦戦争が始まると勝者も敗者もなく世界全体を崩壊させかねないのは明らかです。
したがって「戦争は起こしてはならない」どころか「戦争は起こせない」時代に入っており、フランシスコ教皇が訴えるように「核兵器」をはじめ「戦争のための兵器」は無用の長物で「抑止力」や「防御」の名の下に兵器競争をするなどは愚行そのもので「力による平和」などはおとぎ話で何処かでバランスを失うのは明らかです。
残念なことに強い国を目指し軍事力強化と自衛隊の海外派兵をも視野に「憲法改正」を最重要課題とする安倍政権やそれを支持する勢力がメディアを利用し敵国からの危険を煽り「力による平和」を推し進める日本はフランシスコ教皇や今生天皇の「平和への願い」とは全く逆の方向で危険思想そのもので未来志向では決してないと思っています。
現状は世界経済も不況に入っており金融危機がいつ生じても不思議でない状況を迎え、昭和の初めには渡辺銀行の破綻を契機にあった大不況、平成の初めにはバブル崩壊による大不況に見まわれたように令和の初めにあたる現在もまったくよく似た状況にあります。
また大不況が戦争に繋がることも歴史が明らかですから来年は大きな危機へを前提に準備をすることと為政者による戦争への世論つくりに惑わされることなく「平和への思い」を大切に民の側から盛り上げる活動が何よりも大切な時代に入ったなと思っています。
そしてフランシスコ教皇の平和へ訴えに即位礼で内外に向かっての三度「国民の幸せと世界の平和」を言われた新天皇はさぞかし心強くされたのではと思います。
さらにフランシスコ教皇は真の平和は「非武装の平和」で防衛用の核も許容しない旨の力強いメッセージをされ、その高尚な理想を「政教分離」の厳守は言うまでもありませんが世界の為政者が現実に具現化する取り組みを国連などで話し合い力強く行動することを願ってやみません。
そもそも現在は過去の戦争とは比較にならない高度な無差別な殺戮兵器の「核兵器」「生物兵器」「化学兵器」「レーザー兵器」などをしかもAI搭載のドローンやロボットを机上操作できる戦争で、小国もそのような兵器を持つことで、一旦戦争が始まると勝者も敗者もなく世界全体を崩壊させかねないのは明らかです。
したがって「戦争は起こしてはならない」どころか「戦争は起こせない」時代に入っており、フランシスコ教皇が訴えるように「核兵器」をはじめ「戦争のための兵器」は無用の長物で「抑止力」や「防御」の名の下に兵器競争をするなどは愚行そのもので「力による平和」などはおとぎ話で何処かでバランスを失うのは明らかです。
残念なことに強い国を目指し軍事力強化と自衛隊の海外派兵をも視野に「憲法改正」を最重要課題とする安倍政権やそれを支持する勢力がメディアを利用し敵国からの危険を煽り「力による平和」を推し進める日本はフランシスコ教皇や今生天皇の「平和への願い」とは全く逆の方向で危険思想そのもので未来志向では決してないと思っています。
現状は世界経済も不況に入っており金融危機がいつ生じても不思議でない状況を迎え、昭和の初めには渡辺銀行の破綻を契機にあった大不況、平成の初めにはバブル崩壊による大不況に見まわれたように令和の初めにあたる現在もまったくよく似た状況にあります。
また大不況が戦争に繋がることも歴史が明らかですから来年は大きな危機へを前提に準備をすることと為政者による戦争への世論つくりに惑わされることなく「平和への思い」を大切に民の側から盛り上げる活動が何よりも大切な時代に入ったなと思っています。
2019年10月30日
キリストと釈迦の教えとエデンの園と解脱の世界に思う
朝の散歩の途中でキリスト教会にあったチラシ「月に一度の聖書を読む会」の案内があり今までキリスト教には縁が無かったのですが参加することにしました。
もともとキリスト教は「信じよさらば救われん」の他力信仰の教えと思っていましたので「アーメンと言えば救われる」には抵抗感もあり「天は自ら助くるものを助く」と言う自力あってこその他力が良いと思っていました。
しかし、昨今の世界的な気象変動による異常な自然災害や資本主義経済が行き詰まり何時金融破綻が起こっても不思議で無い状況や、中東では終わり無き紛争が続きながら世界全体の自浄能力(自力能力)が失しなわれ「自力」ではもはや難しいのではないか、人知を超えた天の導き「他力」でしか救えないのではないかとの思いもあって聖書の預言やキリスト教を学んでみたいと思うようになったのだと思います。
キリスト教については旧約聖書で預言され神の御子として誕生し、神に似せて創られたたアダムとイブがサタン(堕落した大天使ルシファー)の誘惑に負け禁断のリンゴ(善悪の知恵の果実)を食べたことにより原罪を背負い地上に追放され、その子孫の人間を救済するためにキリストが肉体をもって人類が背負う原罪を一身に受けて過酷な十字架の刑に処せられることによって贖罪され人類の罪が許される他力信仰だと思っていました。
それに対して釈迦はこの世の人々の「四苦八苦」からの解脱の道を、人には「仏性(仏になる性)」が備わっていることを前提に、四苦八苦の原因を縁起(十二縁起)で解き三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)の仏の世界を示し、それに至るための八正道(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)の修行を示し自力による解脱(理想世界)に至る道を説いたのだと思っています。
しかしキリストの十字架により人類が背負う原罪が贖罪されたとしてもに直ぐにエデンの園(神が意図した愛と義のユートピア)に他力で導かれるのではなく、キリストへの信仰を通して神近く純なる心に至らないと救われないことは、お釈迦さんの修行によって解脱の世界に至ることと同じで究極的には「天は自ら助くる者を助く」で「自力なくしては他力がない」ことで、信仰を教えるキリスト教も自力修行を教える仏教も至るところは同じであるように思っています。
キリスト教では終末の時期、仏教では末法の時期にあると言われいるように現実の世界は人類自が自浄能力(自力)を見失い崩壊の時期に進むように思えることから、人知を超えた危機の時代に現在があるとすれば人知を超えた他力による救済しかないことから、縁の無かった「旧約聖書・新約聖書」とキリスト教を学び「エデンの園と解脱」に至る道を見いだせればと月に一度の「聖書を学ぶ会」に参加します。
もともとキリスト教は「信じよさらば救われん」の他力信仰の教えと思っていましたので「アーメンと言えば救われる」には抵抗感もあり「天は自ら助くるものを助く」と言う自力あってこその他力が良いと思っていました。
しかし、昨今の世界的な気象変動による異常な自然災害や資本主義経済が行き詰まり何時金融破綻が起こっても不思議で無い状況や、中東では終わり無き紛争が続きながら世界全体の自浄能力(自力能力)が失しなわれ「自力」ではもはや難しいのではないか、人知を超えた天の導き「他力」でしか救えないのではないかとの思いもあって聖書の預言やキリスト教を学んでみたいと思うようになったのだと思います。
キリスト教については旧約聖書で預言され神の御子として誕生し、神に似せて創られたたアダムとイブがサタン(堕落した大天使ルシファー)の誘惑に負け禁断のリンゴ(善悪の知恵の果実)を食べたことにより原罪を背負い地上に追放され、その子孫の人間を救済するためにキリストが肉体をもって人類が背負う原罪を一身に受けて過酷な十字架の刑に処せられることによって贖罪され人類の罪が許される他力信仰だと思っていました。
それに対して釈迦はこの世の人々の「四苦八苦」からの解脱の道を、人には「仏性(仏になる性)」が備わっていることを前提に、四苦八苦の原因を縁起(十二縁起)で解き三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)の仏の世界を示し、それに至るための八正道(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)の修行を示し自力による解脱(理想世界)に至る道を説いたのだと思っています。
しかしキリストの十字架により人類が背負う原罪が贖罪されたとしてもに直ぐにエデンの園(神が意図した愛と義のユートピア)に他力で導かれるのではなく、キリストへの信仰を通して神近く純なる心に至らないと救われないことは、お釈迦さんの修行によって解脱の世界に至ることと同じで究極的には「天は自ら助くる者を助く」で「自力なくしては他力がない」ことで、信仰を教えるキリスト教も自力修行を教える仏教も至るところは同じであるように思っています。
キリスト教では終末の時期、仏教では末法の時期にあると言われいるように現実の世界は人類自が自浄能力(自力)を見失い崩壊の時期に進むように思えることから、人知を超えた危機の時代に現在があるとすれば人知を超えた他力による救済しかないことから、縁の無かった「旧約聖書・新約聖書」とキリスト教を学び「エデンの園と解脱」に至る道を見いだせればと月に一度の「聖書を学ぶ会」に参加します。
2019年09月22日
憲法改正と第9条と自衛隊について思う
第四次安倍内閣は本腰を入れて「憲法改正」に取り組むとのことですが,そもそも時代に即したものに憲法を改正するのは至極当然でそのこと自体は問題はないはずです。
しかし世論調査で過半数の人が反対するのは「平和憲法と言われる第9条の改正」を危惧するからで、国民の多くは敗戦後連合軍の統治下で制定されたとは言え現憲法(第9条の「戦力不保持と戦争放棄」」)があったからこそ戦後74年の間戦争を起こすことも巻き込まれることも無かったとの思いがあるだと思います。
確かに世界の情勢は戦後大きく変化して、昨今では経済的な不況や自然災害の増加での避難民の移動(移民)によりEU諸国では国内秩序が壊れ不安定が生じており、又低開発国では対立が増え至る所で紛争が多発して世界全体に世界的戦争も危惧されるような状況に陥りつつあります。
このような世界状況にあって「第9条の戦争放棄を掲げた平和憲法」を守る護憲を主張するだけでは国際的な要請に答えられないことから、安倍首相が主張する戦後レジーム(憲法を頂点とした日本の基本的枠組み)を変更し「武力の行使と海外派兵」可能な憲法に改正して国際貢献しようするのも解らないことではありません。
しかし現在の戦争は近代最終兵器(核・生物・化学)とAI掲載の無人ロボット兵器による過去の戦争と全く異なり「起これば勝者も敗者も無くすべてが終わる」時代に入っており「戦争は起こせない」し未来を開くには「戦争を起こさないようにする」しか道がないことから安倍政権の「武力の行使と海外派兵」を可能にする「憲法改正」はまさに崩壊に繋がる時代逆行としか言いようがないと思っています。
勿論、各地で生じている紛争の解決のための国際貢献や、近隣諸国(中国や北朝鮮・韓国)からの先制攻撃などは考えられないものの偶発的な衝突はあり得ることから「専守防衛」に限定した上での有効な防衛戦力の保持は必要だと思います。
ただ安倍一強政権の下では十分な説明をしないで強行採決した「安保法制」や「閣議での集団的自衛権の容認」「特別秘密保護法」「共謀法」などやメディアを利用しながら近隣諸国からの危機を煽り国民を洗脳的に誘導するようなあり方を見ると「安倍政権の下での憲法改正」は「専守防衛」を超える武力保持と海外派兵の意図が推し量られることから許してはいけないと強く思っています。
そして安部首相は「第9条に自衛隊の存在の明記」を主張していますが、自衛隊の災害時での救護や復旧行動には国民は高い評価をしているものの憲法の改正まで求めているとは思えません。
また国際貢献に応じるために「戦力を持つ自衛隊」が必要であるとしても「有志連合」での派遣要請は問題外で許されるものではありませんが「国連」の決議と指揮下での限定した「自衛隊派遣」についてはそれこそ「憲法の解釈改憲」で国民に十分説明をし国民の納得を得た上で進めることは現実的なあり方だろうと思います。
このような時代的な変化による国際的な要請には現実的な対応は必要になるものの「戦力不保持と戦争放棄を掲げる平和憲法」は戦勝国の連合軍の下に創られた憲法であるからこそ世界の理想であり目標となる条項であると言えますから「押しつけ憲法」ではなく逆に日本が率先して守る使命があるように思っています。
しかし世論調査で過半数の人が反対するのは「平和憲法と言われる第9条の改正」を危惧するからで、国民の多くは敗戦後連合軍の統治下で制定されたとは言え現憲法(第9条の「戦力不保持と戦争放棄」」)があったからこそ戦後74年の間戦争を起こすことも巻き込まれることも無かったとの思いがあるだと思います。
確かに世界の情勢は戦後大きく変化して、昨今では経済的な不況や自然災害の増加での避難民の移動(移民)によりEU諸国では国内秩序が壊れ不安定が生じており、又低開発国では対立が増え至る所で紛争が多発して世界全体に世界的戦争も危惧されるような状況に陥りつつあります。
このような世界状況にあって「第9条の戦争放棄を掲げた平和憲法」を守る護憲を主張するだけでは国際的な要請に答えられないことから、安倍首相が主張する戦後レジーム(憲法を頂点とした日本の基本的枠組み)を変更し「武力の行使と海外派兵」可能な憲法に改正して国際貢献しようするのも解らないことではありません。
しかし現在の戦争は近代最終兵器(核・生物・化学)とAI掲載の無人ロボット兵器による過去の戦争と全く異なり「起これば勝者も敗者も無くすべてが終わる」時代に入っており「戦争は起こせない」し未来を開くには「戦争を起こさないようにする」しか道がないことから安倍政権の「武力の行使と海外派兵」を可能にする「憲法改正」はまさに崩壊に繋がる時代逆行としか言いようがないと思っています。
勿論、各地で生じている紛争の解決のための国際貢献や、近隣諸国(中国や北朝鮮・韓国)からの先制攻撃などは考えられないものの偶発的な衝突はあり得ることから「専守防衛」に限定した上での有効な防衛戦力の保持は必要だと思います。
ただ安倍一強政権の下では十分な説明をしないで強行採決した「安保法制」や「閣議での集団的自衛権の容認」「特別秘密保護法」「共謀法」などやメディアを利用しながら近隣諸国からの危機を煽り国民を洗脳的に誘導するようなあり方を見ると「安倍政権の下での憲法改正」は「専守防衛」を超える武力保持と海外派兵の意図が推し量られることから許してはいけないと強く思っています。
そして安部首相は「第9条に自衛隊の存在の明記」を主張していますが、自衛隊の災害時での救護や復旧行動には国民は高い評価をしているものの憲法の改正まで求めているとは思えません。
また国際貢献に応じるために「戦力を持つ自衛隊」が必要であるとしても「有志連合」での派遣要請は問題外で許されるものではありませんが「国連」の決議と指揮下での限定した「自衛隊派遣」についてはそれこそ「憲法の解釈改憲」で国民に十分説明をし国民の納得を得た上で進めることは現実的なあり方だろうと思います。
このような時代的な変化による国際的な要請には現実的な対応は必要になるものの「戦力不保持と戦争放棄を掲げる平和憲法」は戦勝国の連合軍の下に創られた憲法であるからこそ世界の理想であり目標となる条項であると言えますから「押しつけ憲法」ではなく逆に日本が率先して守る使命があるように思っています。
2019年08月19日
加害者の立場で韓国の人々の国民感情を思いやり関係改善をする日本を願う!
最も近隣の韓国と最悪の関係になっています、その原因は戦前の朝鮮併合の時代の慰安婦問題もありますが直近の悪化は徴用工への賠償問題について日韓両国政府の見解に相違があるからです。
それは1965年に締結した日韓基本条約で「国家間の賠償」の決着はついているものの「個人の賠償請求権」について日本は「個人の請求権も国家間の賠償で決着がついた」と言い韓国側は「個人的請求権は国家間の賠償とは別で決着がついていない」と言うのが表面的な相違でそれはたとえ国際司法裁判に委ねて法的に決着がついたとしても根本的な相違である韓国の人々の根強い国民感情までは解消できないと思えてなりません。
韓国の人々の「国民感情」は日本の植民地時代の日本名への改名や日本語の強要さらに強制労働と朝鮮の人々に与えた苦痛と苦悩の深さは加害者である日本の私や人々にはわかり得ないことで、それを法的な「国家間の賠償」としてお金で決着がついたと割り切るのは加害者の傲慢そのもので日本はただただ言葉ではなく「反省と謝罪の思いを誠意を持って示す」ことしかないように思います、そのような態度は必ず韓国の人々の心を癒やすだろうと思います。
確かに多額の賠償により韓国経済を飛躍的に成長させことや経済破綻に陥った時に多額の援助をしたなどあるもののそれでもって免罪されたとして「被害者の感情」を「堪忍袋の緒が切れた」と「加害者の感情」で非難し思いやらなくなるのも加害者の傲慢のように思っています。
朝鮮半島は古くは文化・技術の伝承国であり、百済と共に白村江で新羅・高句と闘うなど親密な関係があった時代、秀吉の朝鮮出兵・そして戦前の植民地政策による統治などで苦難与えた時代そして日韓会談後はスポーツ交流や経済交流などで友好な関係を築くなど隣人国として良き時悪しき時はあったものの近隣の国として密接な関係を創ってきました。
今回の関係悪化を招いているのは、それは民間の人々同士の悪化ではなく文在寅氏の日本への潜在的な反日感情を大統領選の支持に繋げようとの思惑と安部首相の執念とも言える「憲法改正と自主防衛」を推し進めるために近隣の中国・北朝鮮・韓国からの危機を煽ることで互いにナショナリズムを為政者の思いに利用していることが最大の原因に思えてなりません。
歴史の中で特に韓国併合以降「不信が不信を生み増幅する」好ましくない関係を創ってきた事実がありますが、互いの国が両国の立場で主張し合うのは止め、互いの国にとって先の大戦や朝鮮戦争を正しく総括し国民に説明した上で両国が客観的な共通認識を創り出す努力をすると同時に、それらの時代を知らない人々が過去のわだかまりに影響されないで未来志向をもって仲良く交流することで良好な関係を積み重ねることが解決への道だろうと思います。
新たな21世紀の東アジアは南北統一のコーリアが誕生し民主的な中国に変貌し戦争放棄の平和憲法をもつ日本が近隣諸国との平和共同体をつくるリーダーになることを願ってやみません。
それは1965年に締結した日韓基本条約で「国家間の賠償」の決着はついているものの「個人の賠償請求権」について日本は「個人の請求権も国家間の賠償で決着がついた」と言い韓国側は「個人的請求権は国家間の賠償とは別で決着がついていない」と言うのが表面的な相違でそれはたとえ国際司法裁判に委ねて法的に決着がついたとしても根本的な相違である韓国の人々の根強い国民感情までは解消できないと思えてなりません。
韓国の人々の「国民感情」は日本の植民地時代の日本名への改名や日本語の強要さらに強制労働と朝鮮の人々に与えた苦痛と苦悩の深さは加害者である日本の私や人々にはわかり得ないことで、それを法的な「国家間の賠償」としてお金で決着がついたと割り切るのは加害者の傲慢そのもので日本はただただ言葉ではなく「反省と謝罪の思いを誠意を持って示す」ことしかないように思います、そのような態度は必ず韓国の人々の心を癒やすだろうと思います。
確かに多額の賠償により韓国経済を飛躍的に成長させことや経済破綻に陥った時に多額の援助をしたなどあるもののそれでもって免罪されたとして「被害者の感情」を「堪忍袋の緒が切れた」と「加害者の感情」で非難し思いやらなくなるのも加害者の傲慢のように思っています。
朝鮮半島は古くは文化・技術の伝承国であり、百済と共に白村江で新羅・高句と闘うなど親密な関係があった時代、秀吉の朝鮮出兵・そして戦前の植民地政策による統治などで苦難与えた時代そして日韓会談後はスポーツ交流や経済交流などで友好な関係を築くなど隣人国として良き時悪しき時はあったものの近隣の国として密接な関係を創ってきました。
今回の関係悪化を招いているのは、それは民間の人々同士の悪化ではなく文在寅氏の日本への潜在的な反日感情を大統領選の支持に繋げようとの思惑と安部首相の執念とも言える「憲法改正と自主防衛」を推し進めるために近隣の中国・北朝鮮・韓国からの危機を煽ることで互いにナショナリズムを為政者の思いに利用していることが最大の原因に思えてなりません。
歴史の中で特に韓国併合以降「不信が不信を生み増幅する」好ましくない関係を創ってきた事実がありますが、互いの国が両国の立場で主張し合うのは止め、互いの国にとって先の大戦や朝鮮戦争を正しく総括し国民に説明した上で両国が客観的な共通認識を創り出す努力をすると同時に、それらの時代を知らない人々が過去のわだかまりに影響されないで未来志向をもって仲良く交流することで良好な関係を積み重ねることが解決への道だろうと思います。
新たな21世紀の東アジアは南北統一のコーリアが誕生し民主的な中国に変貌し戦争放棄の平和憲法をもつ日本が近隣諸国との平和共同体をつくるリーダーになることを願ってやみません。
2019年07月31日
「れいわ新選組」に新しい息吹と流れが!
参議員選挙では自民党.公明党共に投票者数を減らし野党も投票者数を減らし投票率48,8パ−セントと言うのは明らかに民の政治不信の表れのように思います。
そのような結果にかかわらず安倍政権が与党で安定多数を維持したとして憲法改正を強行に推し進めるのには民の過半数は疑問に感じるだろうと思いますし第9条の改正については大半が否定すると思います。
そもそも現在のような高度な技術とAIによる自動兵器やロボットが戦闘するような時代で、しかも使われれば敵味方を超えて人類そのものを滅ぼしかねない核や化学や生物兵器の時代に「抑止力」とか「力による平和」を正当化し軍事力を増強するなど全くのナンセンスで、未来は「相互信頼による平和」でしか開かれないとしか言いようがないと思っています。
しかし残念ながら安倍政権は近隣諸国との信頼を築くことをしないで危機を煽り、安保法政や共謀法や特定秘密保護法を強行採決をし自衛隊の海外派兵に道を開き、アメリカから兵器を購入し軍事力増強を進めていることから、なりふり構わずにあと4議席の確保を目指して憲法改正を強行に推し進めるのではないかと危惧しています。
民が望まない軍事力強化と憲法9条改正に対して、自浄作用が働かない与党と支持が増えない野党もあって「選挙で政治は変わらない」との民の諦め感があるのは何とも恐ろしいことです。
ところが、その閉塞感を破ってくれたのが4月に誕生した「れいわ新選組」で、メディアに取り上げられないにもかかわらずSNSと街頭演説で熱狂的な支持を受け4、5パ−セントの支持を受けたのは大いなる光明で「れいわ新選組」が野党と与党も含めてキャスティングボートになって新たな次元の政治へとシフトアップさせるようになればと願っています。
おそらく過去の新党の新自由クラブや日本新党とは異なり全く組織を持たいない山本太郎氏の主張に共鳴した政治に素人の候補者で立ち上げた新党が熱狂的な支持を受けたのですからポピリズム的な熱狂で終わることなく今後は政党要件を満たし党首討論に登場できメディアに登場することから燎原の火のごとく多くの民の支持を得てゆくだろうと思っています。
勿論、古い時代の流れの中にある与党からは公約に伴う財政をどうするのかの反論や野党からは連携にあたっての条件などで困難な場面が予想されますが、民と一体となったエネルギーはそれを撥ね除け新たな流れを創り出すと思っています。
まさに「れいわ新撰組」の誕生は新たな次元への息吹であり未來を開くのろしのように思っていますので、少し持ち上げ過ぎかと思いますが、明るい未来が開かれるかどうかにかかっていますので大いなる期待と共に支援・支持をしたいと思っています。
そのような結果にかかわらず安倍政権が与党で安定多数を維持したとして憲法改正を強行に推し進めるのには民の過半数は疑問に感じるだろうと思いますし第9条の改正については大半が否定すると思います。
そもそも現在のような高度な技術とAIによる自動兵器やロボットが戦闘するような時代で、しかも使われれば敵味方を超えて人類そのものを滅ぼしかねない核や化学や生物兵器の時代に「抑止力」とか「力による平和」を正当化し軍事力を増強するなど全くのナンセンスで、未来は「相互信頼による平和」でしか開かれないとしか言いようがないと思っています。
しかし残念ながら安倍政権は近隣諸国との信頼を築くことをしないで危機を煽り、安保法政や共謀法や特定秘密保護法を強行採決をし自衛隊の海外派兵に道を開き、アメリカから兵器を購入し軍事力増強を進めていることから、なりふり構わずにあと4議席の確保を目指して憲法改正を強行に推し進めるのではないかと危惧しています。
民が望まない軍事力強化と憲法9条改正に対して、自浄作用が働かない与党と支持が増えない野党もあって「選挙で政治は変わらない」との民の諦め感があるのは何とも恐ろしいことです。
ところが、その閉塞感を破ってくれたのが4月に誕生した「れいわ新選組」で、メディアに取り上げられないにもかかわらずSNSと街頭演説で熱狂的な支持を受け4、5パ−セントの支持を受けたのは大いなる光明で「れいわ新選組」が野党と与党も含めてキャスティングボートになって新たな次元の政治へとシフトアップさせるようになればと願っています。
おそらく過去の新党の新自由クラブや日本新党とは異なり全く組織を持たいない山本太郎氏の主張に共鳴した政治に素人の候補者で立ち上げた新党が熱狂的な支持を受けたのですからポピリズム的な熱狂で終わることなく今後は政党要件を満たし党首討論に登場できメディアに登場することから燎原の火のごとく多くの民の支持を得てゆくだろうと思っています。
勿論、古い時代の流れの中にある与党からは公約に伴う財政をどうするのかの反論や野党からは連携にあたっての条件などで困難な場面が予想されますが、民と一体となったエネルギーはそれを撥ね除け新たな流れを創り出すと思っています。
まさに「れいわ新撰組」の誕生は新たな次元への息吹であり未來を開くのろしのように思っていますので、少し持ち上げ過ぎかと思いますが、明るい未来が開かれるかどうかにかかっていますので大いなる期待と共に支援・支持をしたいと思っています。
2019年06月30日
参議員選挙で少なくとも期待し願うこと!
衆参同時選挙は年金2,000万円問題での国民の怒りを考慮したのか同時は断念され、逆に消費税10%への延期が出来なくなったことから10月以降の経済は消費が落ち込み悪化するのは確実です。
ちなみに安倍長期政権について「アベノミクス」は円安と株価買い支えで名目の経済数値は上がったものの税制優遇などの恩恵で大企業の留保金が増えた一方庶民の給料は下がり続け貧富の格差の拡大し、自慢の世界を俯瞰する外交も結局は資金をばらまいただけで近隣の中国・韓国・北朝鮮との関係悪化が進みロシアとの領土交渉は思うように行かず唯一の拉致問題も膠着したまま、国内政治に至っては森友・加計学園問題での特定者への私的優遇やそれに関わる公文書破棄と不都合なことは逃げとごまかしで乗り越え、本来であれば何回政権交代があっても良さそうな局面も強権による忖度政治で与党からの自浄作用も働かず、さりとて対峙する野党にあっては党利党略が優先し新たな国創りの旗を示せずに辛うじて出来た一人区の統一候補も国民からは選挙目当てと見過ごされ、ただ「他に変わるべきリーダーがない」ことで政権を維持するようになるのにはやるせない思いをもっています。
このような状況は最も良い民主主義憲法と言われていたワイマール憲法下でドイツ国民が独裁者ヒトラーを生んだ状態に近いものが現在の日本に漂っているのではないかと思えてなりません。
確かに世界の先進諸国はおしなべて人口減少にあり、新たな資源を求め軍事力を背景に植民地を求め成長する時代ではなく、世界経済は確実に「成長の限界」を迎えているにも関わらず未来が開けない状況のまま進んでおり、資本主義そのものも実体のない金融資本主義に変貌し旧態依然と力を背景にする軍産複合体と相まって世界の国々を実質的に動かしており刻々と1:99の格差世界が固定化しつつある現状にあって人々の不安と不満がつのり、この閉塞感を打ち破ってくれる「強いリーダー」を願望する思いが潜在化するのは致し方ありません。
しかし、単に「強いリーダー」を願望するのは「戦争への危機」を創ることによって世界を支配してきた「戦争屋」と言われる金融資本と軍産複合体の描く世界の「強いリーダー」のあり方であって、その果ては破壊と崩壊しかないことを歴史は証明しています。
まさに安倍政権の「富国強兵・殖産興業」を推し進める国つくりは「戦争屋」の罠にはまった延長線上での「強いリーダー像」で破壊と崩壊のシナリオを繰り返すことは明らかだろうと思っています。
確かに新たな未来を描き導くには「強いリーダー」が必要なのかも知れませんが、それは力を背景にした「競い合い」による「成長神話」の「強いリーダー」ではなく安部首相が目指す「時代逆行の国創り」に基づく「強いリーダー像」ではありません。
「成長の限界」にある世界が新たに求める「強いリーダー」は「自然と共生し共に創り出す中で生まれるリーダー」であり「個々の能力を統合し共生をつくりだすリーダー」で「トップダウンではなくボトムアップから生まれるリーダー」だと思っています。
そしてそれは「平和憲法」と「世界に類のない万世一系と言われ世界からも尊敬されている象徴天皇」を持つ日本だからこそ「新たな旗を立て」世界に示せるのではないかと思っています。
そのような思いをもっていますので7月の参議員選挙で安倍退陣に繋がる与党の議席減をもたらすのが願いですが、少なくとも未来社会の旗の一つにもなり得る「平和憲法」の改正を断念せざるを得ない議席減少をもたらすようになればと願うばかりです。
そして一日でも早く「競い合いによる成長の限界を迎えている世界」にあって「共に創る共生を掲げる強いリーダーと民の下に平和で共存共栄の世界を示し導き合う議員が生まれることを願っています
ちなみに安倍長期政権について「アベノミクス」は円安と株価買い支えで名目の経済数値は上がったものの税制優遇などの恩恵で大企業の留保金が増えた一方庶民の給料は下がり続け貧富の格差の拡大し、自慢の世界を俯瞰する外交も結局は資金をばらまいただけで近隣の中国・韓国・北朝鮮との関係悪化が進みロシアとの領土交渉は思うように行かず唯一の拉致問題も膠着したまま、国内政治に至っては森友・加計学園問題での特定者への私的優遇やそれに関わる公文書破棄と不都合なことは逃げとごまかしで乗り越え、本来であれば何回政権交代があっても良さそうな局面も強権による忖度政治で与党からの自浄作用も働かず、さりとて対峙する野党にあっては党利党略が優先し新たな国創りの旗を示せずに辛うじて出来た一人区の統一候補も国民からは選挙目当てと見過ごされ、ただ「他に変わるべきリーダーがない」ことで政権を維持するようになるのにはやるせない思いをもっています。
このような状況は最も良い民主主義憲法と言われていたワイマール憲法下でドイツ国民が独裁者ヒトラーを生んだ状態に近いものが現在の日本に漂っているのではないかと思えてなりません。
確かに世界の先進諸国はおしなべて人口減少にあり、新たな資源を求め軍事力を背景に植民地を求め成長する時代ではなく、世界経済は確実に「成長の限界」を迎えているにも関わらず未来が開けない状況のまま進んでおり、資本主義そのものも実体のない金融資本主義に変貌し旧態依然と力を背景にする軍産複合体と相まって世界の国々を実質的に動かしており刻々と1:99の格差世界が固定化しつつある現状にあって人々の不安と不満がつのり、この閉塞感を打ち破ってくれる「強いリーダー」を願望する思いが潜在化するのは致し方ありません。
しかし、単に「強いリーダー」を願望するのは「戦争への危機」を創ることによって世界を支配してきた「戦争屋」と言われる金融資本と軍産複合体の描く世界の「強いリーダー」のあり方であって、その果ては破壊と崩壊しかないことを歴史は証明しています。
まさに安倍政権の「富国強兵・殖産興業」を推し進める国つくりは「戦争屋」の罠にはまった延長線上での「強いリーダー像」で破壊と崩壊のシナリオを繰り返すことは明らかだろうと思っています。
確かに新たな未来を描き導くには「強いリーダー」が必要なのかも知れませんが、それは力を背景にした「競い合い」による「成長神話」の「強いリーダー」ではなく安部首相が目指す「時代逆行の国創り」に基づく「強いリーダー像」ではありません。
「成長の限界」にある世界が新たに求める「強いリーダー」は「自然と共生し共に創り出す中で生まれるリーダー」であり「個々の能力を統合し共生をつくりだすリーダー」で「トップダウンではなくボトムアップから生まれるリーダー」だと思っています。
そしてそれは「平和憲法」と「世界に類のない万世一系と言われ世界からも尊敬されている象徴天皇」を持つ日本だからこそ「新たな旗を立て」世界に示せるのではないかと思っています。
そのような思いをもっていますので7月の参議員選挙で安倍退陣に繋がる与党の議席減をもたらすのが願いですが、少なくとも未来社会の旗の一つにもなり得る「平和憲法」の改正を断念せざるを得ない議席減少をもたらすようになればと願うばかりです。
そして一日でも早く「競い合いによる成長の限界を迎えている世界」にあって「共に創る共生を掲げる強いリーダーと民の下に平和で共存共栄の世界を示し導き合う議員が生まれることを願っています
2019年05月30日
「令和」のスタート月は残念でしたがそれも新たな始まりの前触れでは!
平成天皇の生前退位による新天皇の即位と言うことで「令和元年」のスタートはお祝い月ととして始まりるのではと心躍らせながら持っていました。
そして世界で最も古いエンペラーでもあり日本の民にとってお祝いと共に心深く静かに敬い迎えながらの「令和」のスタートになれば良いなとの思いをもっていました。
しかし、そのスタートは残念ながら最初に国賓として迎えたのがアメリカのトランプ大統領で別にトランプ大統領が相応しくないのではなく、その仰々しい迎え方が相応しくないように思え、おそらくそのような思いを持った国民も多かったのではないかと思っています。
平成天皇の最初の国賓はジンバブエの大統領であったようで仰々しい迎え方は記憶に残っていませんので、今回のように今までの天皇の大相撲観戦とは異なり枡席に特別席を作ってまでの歓迎や今まで見たこともない晩餐会の実況報道まで許し国民を乗せる仰々しさは、まさに安倍首相の人気取りのためのものに思えてなりません。
日本の民にとって天皇は開かれた象徴天皇として民の心の中に深く静かに敬うシンボルであってその精神的風土はこれからも民が守り育て続けることこそが日本的精神そのものと思っています。
新たな年号の「令和」の「令」の語源は神の前に膝をつき敬う姿を表し「和」の語源は軍事を蔓延らせるのではなく平和をもたらすことを表しているとの解説もあり、それはまさに日本的精神を表し新たに世界に誇りを持って示せるに相応しい元号だと思っています。
そのような希望のある始まりを「令和天皇」を頂きスタートになることを期待していましたがこの度の「安倍政権」の対応は国際的にも評価を高めることは決してなく、選挙目当ての売名行為のように思え「それは違う!」と言わざるを得ません。
安部首相が「美しい日本」を取りもどすと言うのも、今回の天皇利用とも思えるあり方を見ると、天皇を現人神に祭り上げ天皇元首として強権をもって富国強兵と殖産興業の戦前の軍国主義の国作りとオーバーラップするようで、本来日本の民が潜在的に持っている自由で平和な「美しい日本」とは逆に思えて仕方がありません。
「美しい国」とは世界最古の文明とも言われる1万2千年続いた縄文時代の「自由で平和な共存共栄の文化」の遺伝子を持ち、八百万の神々として自然を敬い自然と共にある中で生まれたシンボルとして天皇との君民共生のあり方が日本の民が潜在的に思い描く「美しい国」のように思っています。
「令和天皇」と共に創る「美しい国」つくりのスタートは残念な月になりましたが、トランプ大統領も安部首相も新たな時代の前に生じる古い時代を壊すための役割で登場したのではないか、そして崩壊の出来事は今後も生じるものの、新たな時代は令和天皇と共に民の中からどんどんと湧き出て日本の民が本来持つ「美しい村」つくりがスタートするのだと思っています
そして世界で最も古いエンペラーでもあり日本の民にとってお祝いと共に心深く静かに敬い迎えながらの「令和」のスタートになれば良いなとの思いをもっていました。
しかし、そのスタートは残念ながら最初に国賓として迎えたのがアメリカのトランプ大統領で別にトランプ大統領が相応しくないのではなく、その仰々しい迎え方が相応しくないように思え、おそらくそのような思いを持った国民も多かったのではないかと思っています。
平成天皇の最初の国賓はジンバブエの大統領であったようで仰々しい迎え方は記憶に残っていませんので、今回のように今までの天皇の大相撲観戦とは異なり枡席に特別席を作ってまでの歓迎や今まで見たこともない晩餐会の実況報道まで許し国民を乗せる仰々しさは、まさに安倍首相の人気取りのためのものに思えてなりません。
日本の民にとって天皇は開かれた象徴天皇として民の心の中に深く静かに敬うシンボルであってその精神的風土はこれからも民が守り育て続けることこそが日本的精神そのものと思っています。
新たな年号の「令和」の「令」の語源は神の前に膝をつき敬う姿を表し「和」の語源は軍事を蔓延らせるのではなく平和をもたらすことを表しているとの解説もあり、それはまさに日本的精神を表し新たに世界に誇りを持って示せるに相応しい元号だと思っています。
そのような希望のある始まりを「令和天皇」を頂きスタートになることを期待していましたがこの度の「安倍政権」の対応は国際的にも評価を高めることは決してなく、選挙目当ての売名行為のように思え「それは違う!」と言わざるを得ません。
安部首相が「美しい日本」を取りもどすと言うのも、今回の天皇利用とも思えるあり方を見ると、天皇を現人神に祭り上げ天皇元首として強権をもって富国強兵と殖産興業の戦前の軍国主義の国作りとオーバーラップするようで、本来日本の民が潜在的に持っている自由で平和な「美しい日本」とは逆に思えて仕方がありません。
「美しい国」とは世界最古の文明とも言われる1万2千年続いた縄文時代の「自由で平和な共存共栄の文化」の遺伝子を持ち、八百万の神々として自然を敬い自然と共にある中で生まれたシンボルとして天皇との君民共生のあり方が日本の民が潜在的に思い描く「美しい国」のように思っています。
「令和天皇」と共に創る「美しい国」つくりのスタートは残念な月になりましたが、トランプ大統領も安部首相も新たな時代の前に生じる古い時代を壊すための役割で登場したのではないか、そして崩壊の出来事は今後も生じるものの、新たな時代は令和天皇と共に民の中からどんどんと湧き出て日本の民が本来持つ「美しい村」つくりがスタートするのだと思っています