2016年09月27日

「現在は文明の大転換にあると意識して活動を進めます」

 村山節氏の「800年周期説(西洋が興隆する時代と東洋が興隆する時代が800年周期で入れ替わっている)」に興味を待っていましたが最近読んだ千賀一生氏の「ガイヤの法則」にも文明の中心地が1,611年周期で経度22.5度ずつ東周りと西回りに移動して、西周りはインダス=メソポタミア=ギリシャ=ローマ=ロンドンへと移動し、東周りはシュメール=インダス=ガンジス=唐へと移動し、それぞれの文明は1,611年の800年間は興隆期で800年間は衰退期になり、西周りの800年間の衰退期には東回りの800年間が興隆期になっている・・・・現在は西回りのロンドン(グリニッチ)が中心になった800年間の興隆期が終わり停滞期の800年間に入り、逆に今からの800年は唐(中国)から22.5度東周りの日本(東緯135度の明石・淡路ライン)が文明の興隆の中心になる・・・・・しかも今回は1,611年の4倍の6,444年の大きな周期の大転換期と重なり、それは既に1995年から始まっている・・・・・・・と文明の800年周期説が符合しています。

 現在が文明の転換期にあることはスピリチャル系の著書などで「マヤ暦が終わり新たな暦の時代に入った」とか「地球の波動が5次元にシフトアップした」とか「地球がフォトンベルト帯に入った」とか・・・・・また利他村の活動を支援して頂いている「太陽の会」の中丸薫氏の著書や講演でそのような話を聞いていましたので、「物と知に比重を置いて競争原理での発展を良しとした文明」が終焉しつつあると思っていますし、1972年にローマクラブが出した報告書「成長の限界」にも資本主義への警告がされており、資本主義が「グローバルな金融資本主義」にと変貌するに至って自浄作用能力を失い世界全体がコントロール不能になっているように思えることからも文明の転換期にあることは確かだと思っています。

 勿論、世界や日本の指導的リーダーも世界の混乱に対してコントロール不能であることを感じながらも、過去の流れの延長線上で「力による競争原理」を推し進めるしかなく「物と知の文明」の流れの枠内から抜け出せないで新たな文明への展望を示すことができないでいるように思われます。

 そのような文明の大転換期にあることを意識して、利他村は少なくとも過去の延長線上での流れから抜け出す方向で進みたいと思っていますし、転換期に必然的に生ずる自然環境の変動や経済環境の混乱への準備と新たな文明でのライフスタイルを模索しながらの準備はしたいと思っています。

 そして自然災害や経済的な混乱と破綻が激しくなりつつある中で少なくとも「健康で持続可能なライフスタイル」が保てる「共同体つくり」をしたい、そして食料の自給自足を視野に「休日は田舎で農園暮らし」をテーマに始めた活動に共鳴する仲間も集い始めています。

 このたび「自然農法による自給自足」を夢に利他村の共同体つくりに共鳴して若い女性が利他村に移住をはじめ、何か新たな始まりではないかと思っています。
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2016年08月23日

若い人たちで賑わい新たな展望が開けた夏の利他村でした

 今年も海外学生ボランティアの利他村でのワークキャンプを8月1日〜10日まで受け入れ、ロシア(リザさん)・ウクライナ(ディマ君)・イタリア(アレ君)と日本人リーダー岡本君が来村し、猛暑の炎天下の下で熱中症をも跳ねつけながらカントリーハウスのゲイトやテラスのペンキ塗りから草刈り、そして遊歩道周辺の森林整備の活動や目高の借り農地(耕作放棄地)の草刈りなどのハードなワークをしながら、仕事を終えての近くの温泉巡りや夏祭り参加と精力的に日本の田舎の生活と文化に触れ楽しい賑やかな国際交流の日々が続きました。

 そして、利他村にとってもっとも嬉しい出来事は、自然農法による自給自足をしたいと利他村の活動に共鳴して神奈川在住の24歳の女性が8月から利他村に移住をしたことです。

 彼女は以前にも紹介したシベリアの自然の中で原野を住まいに自給自足で過ごす聖女(アナスタシア)を描いて出版された(世界中で1,100万部)本の読者で、その日本の翻訳家が主宰する「お茶会」に参加し、その主宰者から利他村の共同体つくりを紹介され興味をもって6月終わりに利他村に訪れ、運転免許が何よりも大切な田舎暮らしのために7月に運転免許を取得して8月に利他村に移住を決めた利他村第一号の移住者です。
 
 しかしながら利他村で自給自足でアナスタシアのように自然を住まいにすることは難しく、最低限の収入を見つけないとと探したところ、幸運にも地元で一番人気の喫茶店が募集を始めるタイミングにぴったり合い務めることが出来、利他村での無農薬で腐葉土を集めての自然農業を開始しています。

 さらに、昨年「限界集落」をテーマ卒業論文にしたいと取材に来た関西大学の学生2人が就職も決まり社会人になったので表敬訪問にと突然来村し、今後機会をつくって来ますとのこと、この夏はまさに若い人が集い賑わう夏の利他村になりました。

 21世紀に入り十数年になり、地球自体の活動期も相まって世界的な天変地変と重なり、20世紀までの「知」と「物」に比重を置いて発展した文明も「競争による成長の限界」を迎えダッチロールしながら壊れつつある現在、新たな21世紀を創るのは「若い人たちのエネルギーと想像力」だと思っています。

 そして「個々の競争」ではなく健康で維持可能な「共創による共生」の新たな21世紀のライフスタイルのひな形を創りたいと思っている利他村にとって「若いエネルギー」が参加しにぎわう夏の利他村であったことは本当にうれしいことでした。
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2016年07月31日

「物の世界」と「心の世界」

私たちは「物の世界」と同時に「心の世界」を生きています

「物の世界」は空間と時間のある目に見える有限で相対的で自分を全体の中で客観的に判断して生きる世界です。

「心の世界」は空間と時間の制約がなく主観的に思い描くと心の中で即実現する唯我独尊の世界です。

 したがって「心の世界」は主観的で自由自在に思いが即実現する世界ですから本来「苦悩」など起こりようがないのです。

 ところが私たちが誰もが「苦悩」するのは「物の世界」に生きているからで、いくら自由自在に「心の世界」で思い描いても空間と時間の枠の中で社会や他の人との葛藤もあり即実現しませんし、もう一つは「物の世界」では「肉体」を維持しなければ生きてゆくことが出来ないことでで肉体の生存欲求も「物の世界」の制約の中では思いどうりにはならず生きる過程では誰もが「苦悩」するのです。

 このように「苦悩」は「心の世界」発ではなく「肉体を持って物の世界」を生きていることに「原因」があり「物の世界」では誰もが「苦悩の罠」から逃れようがありません。

 とは言うものの私たちは決して「苦悩」する為に生まれているのではなく「苦悩の罠」から逃れる方法がある筈で、幸いなことにその方法を教えてくれているお釈迦さんやキリストなどの預言者(神の言葉を預かる聖者)がいます。

 それらの聖者は「苦悩」は「肉体や物の世界」の中で解決しようとしても「ミラ取りがミイラになる」だけだ!・・・「苦悩」から逃れには「物の世界」に生ずる苦悩に心奪われて生きるのではなく、「心の世界」を出発にして心の法則を気づき「物と心のバランス」をとって「物の世界」で生きれば「苦悩の罠」から逃れることが出来ると教えています。

 残念ながら、現在の世界や日本はそのようになっているとは言えません「自由・平等・博愛」や「民主主義・基本的人権・平和」と言った「物と心のバランス」の願いがある一方で「物の世界」での「生存欲求」を原因とした「競い合い」の流れがますます激しくなり、今や国連も各国もその流れにブレーキがかけられない状況になっおり、日本でも海外に武器を持って戦うことが出来るようにするなど「ミイラ取りがミイラになる」ようなで状況を創りつつあります。

「心の世界」には本来「調和・愛」の波動ががあり、そこからは必然的に「分かち合い」「共生や平和」の思いが生まれます、その思いを出発にして「物の世界」で「肉体」を維持する生き方が「苦悩の罠」から逃れる方法で、そのような世界を創る為に私たちが生きているのが本来の目的のように思います。

 今の世界や日本の在り方からは「物と心のバランスのとれた物の世界」を作るのは難しいと思いますが、さりとて「苦悩ではなく夢のある世界」を創りたいと思っていますので、まずはそのような思いの人たちと一歩一歩利他村の共生の村つくり活動が出来ればなと思っています。
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2016年06月20日

やはり田舎は共生の場

 利他村では限界集落でほとんどが耕作放棄地になっている約一反半ほどの農地を借り都市部の田舎願望の人に呼びかけ「利他村ダーチャの里づくり」と称し「休日は田舎で農園暮らし」を呼びかけ毎月第一土曜日の農作業をしています。

 そして今年は初めて長年使っていなかった農地を耕し水を引き「米つくり」に挑戦しています。

 何せ農業の「の」も知らないで7年前に田舎に移住してすでに田んぼを作っている松田さんに教えてもらいながらの「米つくり」で田んぼつくりの「た」からの初体験、苗つくりから水引きなど戸惑いながら見様見真似で進めています。

 今月は初めての「田植え」でこれも苗を方眼条に真直ぐに均等に植えようとしても目線だけではむつかしく松田さん手つくりの線入れ用具に「なるほどこんな工夫がいるのだな!」と感心したり、長靴で田に入ると長靴を抜くのに一苦労で「裸足が一番」と覚えるなど土と共に自然の中でする作業の新鮮さに事務仕事や機械仕事では味わえない感覚を楽しく体験しています。

 そして何よりも「米つくり」をはじめとする農作業は効率や能率重視で個々が競い合う「競争の世界」の中での仕事ではなく、農作物もその年の気象条件に左右されるなどで皆で自然の水を分け合い作業は助け合いながら雑談をしならのまさに共に創る「共創の世界」の共生の場そのものだとつくづく感じています。

 「競い合い」によって成長をすることを良しとして成り立っている都市中心の資本主義経済が貧富の格差や自然破壊を増幅させ成長の限界を迎えバランスを失い統制不能になりつつある世界や日本にあって、今からは自然と共に格差の少ない助け合いと分かち合いの共生の時代をどのように創てゆくのかにかっかており、それはやはり「田舎」からしか蘇らないのではないかと思います。

 少子高齢化の時代は「成長」ではなく「調和」漂う「共生」の社会つくりだろうと思います。

 利他村ではこれからも「休日は田舎で農園暮らし」を啓蒙しながら「共創による共生の村つくり」の活動を進めてゆきます
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2016年05月29日

広島でのオバマ大統領のスピーチと今回のサミットに思う

 オバマ米大統領の広島訪問に対して被爆された人は勿論、非人道的な殺戮兵器である「原爆」を投下された被爆国として米国に対して「謝罪」を求める人も多かったと思いますが、その思いを越えて世界のリーダーであるアメリカ大統領の広島訪問を歓迎し「原爆」がもたらした苦悩の歴史と悲惨な事実を見せることによって「戦争のない世界」「核のない世界」への一条になればとの思いを優先させた日本人の精神性の高さは世界に誇るべきことだと思います。

 そして訪問されたオバマ大統領がアメリカ国内の「謝罪すべきでない」との世論を乗り越えて勇気を持って世界に向けての格調高く「戦争のない世界」と「核なき世界」への心のこもったメッセージを話されたことは感動的でまた歴史的な出来事であったと思います。

 しかし「核なき世界」を提唱し「ノーベル平和賞」を授与されたオバマ大統領であっても、核を抑止力として大量の核の保有を容認するアメリカやソ連は新たな核兵器技術の開発を進めており、また抑止力と言う大義で核保有国が増続けている現実があり、今回のオバマ大統領のメッセージによって世界が「戦争のない世界」や「核なき世界」に進む環境にはありません。

 しかし、この環境が続けば核技術の開発や小型化が進みやがては「テロ集団」が核をもつのは確実で、そこには「抑止力」は有名無実となって何かのきっかけで核の行使へと進むことも確実で、またリトアニア紛争でプーチン大統領が「核の使用を考えた」との発言も有り「抑止力神話」が核開発を推し進め核廃絶を妨げている原動力になっています。

 そのような観点いえば、今回のサミットはオバマ大統領の広島訪問という歴史的出来事が予定されたのですから被爆国日本の首相として7ヶ国のリーダーにも核廃絶を訴え広島訪問を示唆し、世界に類にない「戦争放棄」を憲法に持つ日本として「戦争のない世界」を訴えオバマ大統領の精神性の高いスピーチを少しでも具現化するような提案をしリードする絶好の機会にしてほしかったと思います。

 残念ながら今回のサミットでは安倍首相の「消費税再延長による参議員選挙対策」を視野に議長国という立場での「世界はリーマンショック前夜」だとの強引なリードしか伝わらず、現在世界を不安定にしている「貧富の格差」や民主主義そのものの信頼を失わせている「パナマ文章」によって暴露された多国籍企業や富裕層の「タックスヘイブン」を利用した税金逃れなどの緊急重要課題への7か国のリーダーの対応が伝わってこなかったことは物々しい警備をしてまで開催したサミットにしては拍子抜けであったと思います。
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2016年04月30日

「パナマ文章」などの機密情報の公開は新たな社会への始まりのような気がします

「租税回避地」を利用した「課税逃れ」が「パナマ文章」で一部公開され5月には日本の企業や個人の名前も公表されるようで貧富の格差が拡大固定化する世界にあって今後大きなうねりとなって世界を震撼させ続けると思います。

 秘密情報の暴露については既に元CIAのスノーデン氏による米政府の機密暴露やウィキリークスによる膨大な機密情報の公開などIT(高度情報化)社会にあっては国家情報や企業情報の「秘密を守る」こと自体ますます難しくなってゆくだろうと思います。

 そもそも国家でも企業でも個人でも秘密が無ければ互いに疑心暗鬼が起こることはなく「安心」と「信頼」が生まれるのですから「秘密を保護」するよりも「秘密を公開」することに焦点を当てるのが民主主義の社会だと言えます。

 とは言うものの私たちは時間のある世界に生きていますので一定の期間秘密にすることで安心安全が守られ不利益を被らないことから秘密を保護するのも仕方の無いことだと思います。

 しかし民主主義は「民が主権」をもつ社会ですから民が持っている個人的な情報を保護することは当然のことですが、国家権力が持っている秘密の保護はあくまで「民の同意」が必要で、国家が持つ機密情報は一定期間が過ぎれば必ず公開することで民主主義社会そのものが成り立つのだと思います。

 先に国家の秘密保護を前提に制定された「特定秘密保護法」も一定期間秘密を保護することで国民の生命財産を守ることを理由に作られましたが一定期間過ぎても公開されないようではそれは悪法と言えますし、また他国から攻められた時や未曾有の自然災害に遭遇した時には即対応が必要なことから「緊急事態法」の制定が予定されていますが、この法律は緊急時に「憲法」を越えてすべての権限を内閣総理大臣に委ねることになりかねないことから一つ間違えると独裁政治も可能にする法律と言えます。

 したがって秘密を守る「特定秘密保護法」や情報統制も可能とする「緊急事態法」の行使については「民の同意」と「民の監視」の制度を確立しておかないと民主主義の破壊にもなり、もっとも優れた民主主義憲法と言われたワイマール憲法下で生まれたヒットラーになりかねません

 今後は秘密を知られたくない多国籍企業や富裕権力機構は権力側に圧力をかけ「秘密保護」と「秘密を暴露する民への監視」を強めるだろうと思いますが、進化し続けるIT(高度情報化)社会にあっては権力機構が力でもって秘密を保護し続けるのは難しく、大多数の人々の機密公開要求は激しくなり、またそのような人々の怒りを背景にした過激なテロも激しくなるだろうと思います。

 このようにIT(高度情報化)社会にあっては方向は結局は「秘密のない世界」をどのように創るしかなく今回のような「パナマ文章」など機密情報の暴露は、競い合いを前提に成り立つ物質文明が限界を迎えて秘密のない新たな民主主義文明への端境期に生じる古いシステムの破壊過程の現象のような気がします
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2016年03月15日

4月からは「共同体つくり」に焦点を合わせて活動します

 春が待ち遠しく春からの活動入りを今か今かと心待ちにしています。

 4月からの今年度は「都市部との交流イベント」は続けるとして利他村が目的にしている「共同体つくり」の活動に力を入れて取り組もうと思っています。

 その「共同体つくり」ですが、田舎願望の人に参加してもらうことが何よりですが、何よりも大切なのは参加する仲間の意識が同じ方向を向いていることと思っています。

 利他村は理念として「自立と奉仕をモットーに、こころと物のバランスのとれた、愛ある共創共生の村つくり」を掲げています。

 ですから参加される仲間像は依存心の強い方や自己中心の思いの強い人ではなく主体性をもってそしてみんなのために役立つことをしたいと思える人であって欲しいと思っています。

 また、物も大切ですが心を大切にしたバランスのある共同体ですから、だからといって宗教的な世界に浸り込むのではなくて、宗教が描く理想的な在り方を現実の生活や仕事に具現化しようとする現実にしっかり足を置いた人であって欲しいと思っています。
 
 現在はグローバルな「競い合い」の世界で、勝者である多国籍企業が「産軍複合組織」を背景に世界を席巻しており各国の政府をも影響下の置くようになり、そのこともあって貧富の格差が拡大固定化して過激なテロ集団が生み出され、世界全体が先の見えない混沌とした状態に入っています。

 そのような世界情勢にあって日本の時の政権も司法・行政・立法・マスコミへの影響力を強め戦争放棄(第9条)の改訂を視野に憲法改正を旗に、武器の輸出や集団的自衛権の容認など富国強兵の国つくりを目指すようになっています。

 人や国が進歩発展を目指し競い合いによって豊かになることは正しいことです、しかし優勝劣敗の結果、貧しき人への所得の再配分が十分に行われなくなると当然に国内的にも国外的にも社会全体が不安定になり、ましてや為政者が強権をもって秩序を維持するようになったり他の国に国民の意識を向けさせるような傾向がでてくると危険で、それは紛争や戦争につながり道で、近代兵器を持ち合う時代にあっては一端「戦争」になるとそれこそ全体が崩壊するしかありません。

 「利他村の共同体つくり」はそれとはまったく逆で、今からの時代は競い合いよる豊かな国つくりではなく、分かち合いによるみんなで創る共生の国つくりで、難しい挑戦になりますが平和を目指し民が主体になる社会を描き、同じような意識の人々と共生・連帯・参加を念頭にしながらの地道に共同体を創りたいと思っています。

 ・・・と思いながら今年は自給自足を視野に「田圃つくり」から始まりです

 
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2016年01月10日

今年は大きな変化が生まれる年になれば!

 新年早々にイランとサウジアラビアの国交断絶そして世界の株価の大幅な下落、リビアやイエメンでのテロ、北朝鮮での水爆実験など今年は世界の混乱からはじまりました。

 そして、日本でも年初からの株価下落が続き、強権的に進めて来た安保法案や原発再稼働・TPPそして消費税UPなどに国民の批判もあり、安定多数の政権与党であるものの世界の厳しい情勢もあり不安定な年になるだろうと思います。

 そしてこのまま株価下落が続き7月の参議員選挙で野党の統一候補が出来れば、日本の流れは大きく変わるだろうと思います

 しかし、たとえ野党が勝利したとしても、世界情勢はますます激しさを増し、中国経済の低迷やアメリカの衰退による世界的不況が進み、日本においても貧富の格差が拡大固定化しトリクルダウン理論が破綻し、しかも人口減少による少子高齢化により成長力が低下し成熟経済に入った中で新たな経済の舵取りは正に至難の業で、それが出来ない政権であればまたもや国民の支持を失うばかりか日本の未来をも見失うだろうと思います。

 そして、このような大きな転換期に生ずる混迷と閉塞感漂う時代にあって何よりも危険なことは、アメリカでは荒唐無稽な発言をする大統領候補トランプ氏が支持され、日本でも強権的な安倍首相に高い支持があり、機敏で過激な発言をする大阪維新の橋下氏に期待が集まるが如く、人々の強いリーダー願望が知性なき感情となってヒトラーのようなファシズムを生み出し兼ねないことです。

 今年は、世界中に混迷と不況が漂い、人々の知性を薄れ、力による競い合いと対立が激しくなる中で、日本が世界の流れに流され「力による競う合いの道」を進むのか、それとも野党勢力が7月総選挙に勝利し「力によらない平和と共生の道」を切り開き国民に新たな未来を示すことが出来るかどうかの大きな別れ道の年のように思います。

 そもそも日本は国内では借金国であるものの対外的には世界一の債権国であり、先の戦争を忘れることなく「平和と民主主義」を願い発言され行動をされている万世一系の天皇を持つ「和と共生」の精神性を持つ国であるのです。

 そして、何よりも技術力を潜在的に持ち集団になって分かち育み合いながら豊かな物を創り出す共生の国であるのです。

 そのような世界にない豊かな人々の日本から新たな21世紀の在り方の芽が生まれる年に成ればと期待しています。
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2015年11月28日

アナスタシアの「共同の創造」による村つくり(祖国創り)を読む

ロシアのウラジミール・メグレ著で、既に世界に1,100万冊発行されている「アナスタシア」の本を紹介され興味をもって読んでいます。

 内容はシベリアのタイガで自然の中で家も持たず動物と共生しながら自然の野草や果実を食として妖精のように生きる女性「アナスタシア」の世界を描いたもので、ロシアでは既に10巻が発行され、日本では5巻目が発行されています。

 「アナスタシア」の生き方や思考は、科学万能の物の世界で生きている私たちには即座に受け入れがたいメルヘンの世界と言えますが、さりとて閉塞感と未来が見い出せなくなっている現代にあって、次に生まれる新たな世界を示唆するようで、長い歴史の中で培われた哲学や宗教の次元とは異なる宇宙や自然の真理が感じられ、何かウキウキした気持ちで楽しみながら読んでいます。

 その第4巻目の本の題目「共同の創造」で、その中に実現は難しいが新たな世界の人々の在り方が提案されており、それはロシアで日常的なライフスタイルのダーチャのより進化した在り方でもあり、また「週末田舎暮らし」を進めようとしている利他村にとっても明確な方向を示唆されているようで心をときめかしています。

 その提案は、国がそれぞれの家族に1ヘクタール(約3,000坪)を貸与し、それぞれの家族は与えられた土地に我が祖国を創る思いを持って、木々を植え、畑を創り、家を立て、自然との共生の中で自給自足と少しばかりの収入の道をつくり、それを子供から孫へと子々孫々に引き継いで、競い合うこともなく貧富の格差・差別もなく、それぞれの家族が時代を超えて「共同の創造」による村つくり(祖国創り)をする新たな人の生き方や国の在り方の提案なのです。

 それは正に利他村が目指す「新たな共創による共生による村つくり」でもあり、試行錯誤で彷徨しがちな利他村にとってそれは勇気の原理になっており、良い本に巡り会ったと感激しています。

 たしかに、テロとの戦いがあり、経済的な混迷があり、各国共に財政破綻に陥り、世界共通に「今だけ、金だけ、自分だけ」の価値観が漂う現実世界にあって、「アナスタシア」の提案する世界の実現は不可能に近い絵空事とも思えますが、そのような思いを持つ人たちがそれぞれの環境と立ち位置の中で行動することによって、やがては「101匹めの猿」のごとくある一定点を超えると一斉に世界の人々の意識変革が起こり得るのではと夢を膨らませています。

 そして、現実に利他村には2ヘクタール(約6.000坪)の土地があり、そこを「アナスタシア」の世界や「共同の創造」による新たなライフスタイルに共鳴する仲間が集えば、やがてはシフトアップした新たな世界が出来るのではとメルヘンぶっています。
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2015年10月29日

平和で幸せとは!

「衣食足りて礼節を知る」との諺がありますが人間の欲というものはどうもそうならないようでバブルの時はむしろ「衣食足りて飽食に溺れる」であったように思います、そしてバブルが弾け失われた20年の時代にあっては人々は再び衣食足りる豊かな暮らしを求めて経済優先の世界を求めるようになっています。

 確かに人々の幸せにとって経済が豊かになることは大切なことですが、それは幸せになるための手段であって目的ではない筈です。

 人の幸せにとって最低限の衣食住が必要不可欠なものですが、人は肉体と同時に心という精神的なものを持っていますので幾ら衣食住が満たされても心の豊かさが得られないと幸せだと言えないと思います。

 もし経済的な豊かさだけが幸せであるとすれば、低開発国の人は先進国のように経済的に恵まれないことからその国のすべての人々は幸せでないことになります、また経済が発達した今の時代の人々に比べれば比較にならない過去の例えば江戸の時代の人々やそれまでの時代の人々はすべて「幸せでなかった」ことになります。

 経済的に満たされなかった低開発国の人々や過去の時代の人々と先進国の仲間入りが出来た私たちとどちらが幸せかと言うと一概に私たちが幸せであるとは言えません

 と言うことは「衣食足りて礼節を知る」ではなく、むしろ礼節という心の豊かさがあって始めて「幸せである」と言えることで、そのような心の豊かさによって衣食住の豊かさを有り難いと思えるようになり、奪い合いではなく分かち合いの思いが生まれてくるのだと思います。

 今、日本は競争至上のグローバルな市場経済にあって軍事力と言う力を背景にした国つくりに舵をきり「食や資源」の確保をすることを「積極的平和主義」と言う言葉で専守防衛という枠を超えて海外に武器を持って出かけようとしていますがそれは国の在り方としても未来志向の「幸せな国つくり」ではなく「不幸な国へ」の時代逆行のように思います

 物や経済の豊かさは手段であって、心の豊かさのないところに幾ら「衣食住」が豊かになっても平穏で幸せな社会が生まれなかったように、人口増に比例しない食料生産の食糧不足の時代にあっては、単に国も力でもって「食や資源」を確保する方向ではなく、礼節と言う心を持って世界各国の人々が知恵を出し「食や資源」の増産のための技術の開発をし合い「奪い合いで」ではなく「分かち合い」の「心の豊かさ」を高め合う方向で人々には勿論国としての世界に呼びかけるのが「積極的平和主義」だと思います。
 
 「何を青臭い」と言われるかも知れませんが21世紀は「競争(競い合い)から共創(共に創る)」への転換によってしか未来が開かれないように思います。
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