2016年06月20日

やはり田舎は共生の場

 利他村では限界集落でほとんどが耕作放棄地になっている約一反半ほどの農地を借り都市部の田舎願望の人に呼びかけ「利他村ダーチャの里づくり」と称し「休日は田舎で農園暮らし」を呼びかけ毎月第一土曜日の農作業をしています。

 そして今年は初めて長年使っていなかった農地を耕し水を引き「米つくり」に挑戦しています。

 何せ農業の「の」も知らないで7年前に田舎に移住してすでに田んぼを作っている松田さんに教えてもらいながらの「米つくり」で田んぼつくりの「た」からの初体験、苗つくりから水引きなど戸惑いながら見様見真似で進めています。

 今月は初めての「田植え」でこれも苗を方眼条に真直ぐに均等に植えようとしても目線だけではむつかしく松田さん手つくりの線入れ用具に「なるほどこんな工夫がいるのだな!」と感心したり、長靴で田に入ると長靴を抜くのに一苦労で「裸足が一番」と覚えるなど土と共に自然の中でする作業の新鮮さに事務仕事や機械仕事では味わえない感覚を楽しく体験しています。

 そして何よりも「米つくり」をはじめとする農作業は効率や能率重視で個々が競い合う「競争の世界」の中での仕事ではなく、農作物もその年の気象条件に左右されるなどで皆で自然の水を分け合い作業は助け合いながら雑談をしならのまさに共に創る「共創の世界」の共生の場そのものだとつくづく感じています。

 「競い合い」によって成長をすることを良しとして成り立っている都市中心の資本主義経済が貧富の格差や自然破壊を増幅させ成長の限界を迎えバランスを失い統制不能になりつつある世界や日本にあって、今からは自然と共に格差の少ない助け合いと分かち合いの共生の時代をどのように創てゆくのかにかっかており、それはやはり「田舎」からしか蘇らないのではないかと思います。

 少子高齢化の時代は「成長」ではなく「調和」漂う「共生」の社会つくりだろうと思います。

 利他村ではこれからも「休日は田舎で農園暮らし」を啓蒙しながら「共創による共生の村つくり」の活動を進めてゆきます
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2016年05月29日

広島でのオバマ大統領のスピーチと今回のサミットに思う

 オバマ米大統領の広島訪問に対して被爆された人は勿論、非人道的な殺戮兵器である「原爆」を投下された被爆国として米国に対して「謝罪」を求める人も多かったと思いますが、その思いを越えて世界のリーダーであるアメリカ大統領の広島訪問を歓迎し「原爆」がもたらした苦悩の歴史と悲惨な事実を見せることによって「戦争のない世界」「核のない世界」への一条になればとの思いを優先させた日本人の精神性の高さは世界に誇るべきことだと思います。

 そして訪問されたオバマ大統領がアメリカ国内の「謝罪すべきでない」との世論を乗り越えて勇気を持って世界に向けての格調高く「戦争のない世界」と「核なき世界」への心のこもったメッセージを話されたことは感動的でまた歴史的な出来事であったと思います。

 しかし「核なき世界」を提唱し「ノーベル平和賞」を授与されたオバマ大統領であっても、核を抑止力として大量の核の保有を容認するアメリカやソ連は新たな核兵器技術の開発を進めており、また抑止力と言う大義で核保有国が増続けている現実があり、今回のオバマ大統領のメッセージによって世界が「戦争のない世界」や「核なき世界」に進む環境にはありません。

 しかし、この環境が続けば核技術の開発や小型化が進みやがては「テロ集団」が核をもつのは確実で、そこには「抑止力」は有名無実となって何かのきっかけで核の行使へと進むことも確実で、またリトアニア紛争でプーチン大統領が「核の使用を考えた」との発言も有り「抑止力神話」が核開発を推し進め核廃絶を妨げている原動力になっています。

 そのような観点いえば、今回のサミットはオバマ大統領の広島訪問という歴史的出来事が予定されたのですから被爆国日本の首相として7ヶ国のリーダーにも核廃絶を訴え広島訪問を示唆し、世界に類にない「戦争放棄」を憲法に持つ日本として「戦争のない世界」を訴えオバマ大統領の精神性の高いスピーチを少しでも具現化するような提案をしリードする絶好の機会にしてほしかったと思います。

 残念ながら今回のサミットでは安倍首相の「消費税再延長による参議員選挙対策」を視野に議長国という立場での「世界はリーマンショック前夜」だとの強引なリードしか伝わらず、現在世界を不安定にしている「貧富の格差」や民主主義そのものの信頼を失わせている「パナマ文章」によって暴露された多国籍企業や富裕層の「タックスヘイブン」を利用した税金逃れなどの緊急重要課題への7か国のリーダーの対応が伝わってこなかったことは物々しい警備をしてまで開催したサミットにしては拍子抜けであったと思います。
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2016年04月30日

「パナマ文章」などの機密情報の公開は新たな社会への始まりのような気がします

「租税回避地」を利用した「課税逃れ」が「パナマ文章」で一部公開され5月には日本の企業や個人の名前も公表されるようで貧富の格差が拡大固定化する世界にあって今後大きなうねりとなって世界を震撼させ続けると思います。

 秘密情報の暴露については既に元CIAのスノーデン氏による米政府の機密暴露やウィキリークスによる膨大な機密情報の公開などIT(高度情報化)社会にあっては国家情報や企業情報の「秘密を守る」こと自体ますます難しくなってゆくだろうと思います。

 そもそも国家でも企業でも個人でも秘密が無ければ互いに疑心暗鬼が起こることはなく「安心」と「信頼」が生まれるのですから「秘密を保護」するよりも「秘密を公開」することに焦点を当てるのが民主主義の社会だと言えます。

 とは言うものの私たちは時間のある世界に生きていますので一定の期間秘密にすることで安心安全が守られ不利益を被らないことから秘密を保護するのも仕方の無いことだと思います。

 しかし民主主義は「民が主権」をもつ社会ですから民が持っている個人的な情報を保護することは当然のことですが、国家権力が持っている秘密の保護はあくまで「民の同意」が必要で、国家が持つ機密情報は一定期間が過ぎれば必ず公開することで民主主義社会そのものが成り立つのだと思います。

 先に国家の秘密保護を前提に制定された「特定秘密保護法」も一定期間秘密を保護することで国民の生命財産を守ることを理由に作られましたが一定期間過ぎても公開されないようではそれは悪法と言えますし、また他国から攻められた時や未曾有の自然災害に遭遇した時には即対応が必要なことから「緊急事態法」の制定が予定されていますが、この法律は緊急時に「憲法」を越えてすべての権限を内閣総理大臣に委ねることになりかねないことから一つ間違えると独裁政治も可能にする法律と言えます。

 したがって秘密を守る「特定秘密保護法」や情報統制も可能とする「緊急事態法」の行使については「民の同意」と「民の監視」の制度を確立しておかないと民主主義の破壊にもなり、もっとも優れた民主主義憲法と言われたワイマール憲法下で生まれたヒットラーになりかねません

 今後は秘密を知られたくない多国籍企業や富裕権力機構は権力側に圧力をかけ「秘密保護」と「秘密を暴露する民への監視」を強めるだろうと思いますが、進化し続けるIT(高度情報化)社会にあっては権力機構が力でもって秘密を保護し続けるのは難しく、大多数の人々の機密公開要求は激しくなり、またそのような人々の怒りを背景にした過激なテロも激しくなるだろうと思います。

 このようにIT(高度情報化)社会にあっては方向は結局は「秘密のない世界」をどのように創るしかなく今回のような「パナマ文章」など機密情報の暴露は、競い合いを前提に成り立つ物質文明が限界を迎えて秘密のない新たな民主主義文明への端境期に生じる古いシステムの破壊過程の現象のような気がします
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2016年03月15日

4月からは「共同体つくり」に焦点を合わせて活動します

 春が待ち遠しく春からの活動入りを今か今かと心待ちにしています。

 4月からの今年度は「都市部との交流イベント」は続けるとして利他村が目的にしている「共同体つくり」の活動に力を入れて取り組もうと思っています。

 その「共同体つくり」ですが、田舎願望の人に参加してもらうことが何よりですが、何よりも大切なのは参加する仲間の意識が同じ方向を向いていることと思っています。

 利他村は理念として「自立と奉仕をモットーに、こころと物のバランスのとれた、愛ある共創共生の村つくり」を掲げています。

 ですから参加される仲間像は依存心の強い方や自己中心の思いの強い人ではなく主体性をもってそしてみんなのために役立つことをしたいと思える人であって欲しいと思っています。

 また、物も大切ですが心を大切にしたバランスのある共同体ですから、だからといって宗教的な世界に浸り込むのではなくて、宗教が描く理想的な在り方を現実の生活や仕事に具現化しようとする現実にしっかり足を置いた人であって欲しいと思っています。
 
 現在はグローバルな「競い合い」の世界で、勝者である多国籍企業が「産軍複合組織」を背景に世界を席巻しており各国の政府をも影響下の置くようになり、そのこともあって貧富の格差が拡大固定化して過激なテロ集団が生み出され、世界全体が先の見えない混沌とした状態に入っています。

 そのような世界情勢にあって日本の時の政権も司法・行政・立法・マスコミへの影響力を強め戦争放棄(第9条)の改訂を視野に憲法改正を旗に、武器の輸出や集団的自衛権の容認など富国強兵の国つくりを目指すようになっています。

 人や国が進歩発展を目指し競い合いによって豊かになることは正しいことです、しかし優勝劣敗の結果、貧しき人への所得の再配分が十分に行われなくなると当然に国内的にも国外的にも社会全体が不安定になり、ましてや為政者が強権をもって秩序を維持するようになったり他の国に国民の意識を向けさせるような傾向がでてくると危険で、それは紛争や戦争につながり道で、近代兵器を持ち合う時代にあっては一端「戦争」になるとそれこそ全体が崩壊するしかありません。

 「利他村の共同体つくり」はそれとはまったく逆で、今からの時代は競い合いよる豊かな国つくりではなく、分かち合いによるみんなで創る共生の国つくりで、難しい挑戦になりますが平和を目指し民が主体になる社会を描き、同じような意識の人々と共生・連帯・参加を念頭にしながらの地道に共同体を創りたいと思っています。

 ・・・と思いながら今年は自給自足を視野に「田圃つくり」から始まりです

 
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2016年01月10日

今年は大きな変化が生まれる年になれば!

 新年早々にイランとサウジアラビアの国交断絶そして世界の株価の大幅な下落、リビアやイエメンでのテロ、北朝鮮での水爆実験など今年は世界の混乱からはじまりました。

 そして、日本でも年初からの株価下落が続き、強権的に進めて来た安保法案や原発再稼働・TPPそして消費税UPなどに国民の批判もあり、安定多数の政権与党であるものの世界の厳しい情勢もあり不安定な年になるだろうと思います。

 そしてこのまま株価下落が続き7月の参議員選挙で野党の統一候補が出来れば、日本の流れは大きく変わるだろうと思います

 しかし、たとえ野党が勝利したとしても、世界情勢はますます激しさを増し、中国経済の低迷やアメリカの衰退による世界的不況が進み、日本においても貧富の格差が拡大固定化しトリクルダウン理論が破綻し、しかも人口減少による少子高齢化により成長力が低下し成熟経済に入った中で新たな経済の舵取りは正に至難の業で、それが出来ない政権であればまたもや国民の支持を失うばかりか日本の未来をも見失うだろうと思います。

 そして、このような大きな転換期に生ずる混迷と閉塞感漂う時代にあって何よりも危険なことは、アメリカでは荒唐無稽な発言をする大統領候補トランプ氏が支持され、日本でも強権的な安倍首相に高い支持があり、機敏で過激な発言をする大阪維新の橋下氏に期待が集まるが如く、人々の強いリーダー願望が知性なき感情となってヒトラーのようなファシズムを生み出し兼ねないことです。

 今年は、世界中に混迷と不況が漂い、人々の知性を薄れ、力による競い合いと対立が激しくなる中で、日本が世界の流れに流され「力による競う合いの道」を進むのか、それとも野党勢力が7月総選挙に勝利し「力によらない平和と共生の道」を切り開き国民に新たな未来を示すことが出来るかどうかの大きな別れ道の年のように思います。

 そもそも日本は国内では借金国であるものの対外的には世界一の債権国であり、先の戦争を忘れることなく「平和と民主主義」を願い発言され行動をされている万世一系の天皇を持つ「和と共生」の精神性を持つ国であるのです。

 そして、何よりも技術力を潜在的に持ち集団になって分かち育み合いながら豊かな物を創り出す共生の国であるのです。

 そのような世界にない豊かな人々の日本から新たな21世紀の在り方の芽が生まれる年に成ればと期待しています。
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2015年11月28日

アナスタシアの「共同の創造」による村つくり(祖国創り)を読む

ロシアのウラジミール・メグレ著で、既に世界に1,100万冊発行されている「アナスタシア」の本を紹介され興味をもって読んでいます。

 内容はシベリアのタイガで自然の中で家も持たず動物と共生しながら自然の野草や果実を食として妖精のように生きる女性「アナスタシア」の世界を描いたもので、ロシアでは既に10巻が発行され、日本では5巻目が発行されています。

 「アナスタシア」の生き方や思考は、科学万能の物の世界で生きている私たちには即座に受け入れがたいメルヘンの世界と言えますが、さりとて閉塞感と未来が見い出せなくなっている現代にあって、次に生まれる新たな世界を示唆するようで、長い歴史の中で培われた哲学や宗教の次元とは異なる宇宙や自然の真理が感じられ、何かウキウキした気持ちで楽しみながら読んでいます。

 その第4巻目の本の題目「共同の創造」で、その中に実現は難しいが新たな世界の人々の在り方が提案されており、それはロシアで日常的なライフスタイルのダーチャのより進化した在り方でもあり、また「週末田舎暮らし」を進めようとしている利他村にとっても明確な方向を示唆されているようで心をときめかしています。

 その提案は、国がそれぞれの家族に1ヘクタール(約3,000坪)を貸与し、それぞれの家族は与えられた土地に我が祖国を創る思いを持って、木々を植え、畑を創り、家を立て、自然との共生の中で自給自足と少しばかりの収入の道をつくり、それを子供から孫へと子々孫々に引き継いで、競い合うこともなく貧富の格差・差別もなく、それぞれの家族が時代を超えて「共同の創造」による村つくり(祖国創り)をする新たな人の生き方や国の在り方の提案なのです。

 それは正に利他村が目指す「新たな共創による共生による村つくり」でもあり、試行錯誤で彷徨しがちな利他村にとってそれは勇気の原理になっており、良い本に巡り会ったと感激しています。

 たしかに、テロとの戦いがあり、経済的な混迷があり、各国共に財政破綻に陥り、世界共通に「今だけ、金だけ、自分だけ」の価値観が漂う現実世界にあって、「アナスタシア」の提案する世界の実現は不可能に近い絵空事とも思えますが、そのような思いを持つ人たちがそれぞれの環境と立ち位置の中で行動することによって、やがては「101匹めの猿」のごとくある一定点を超えると一斉に世界の人々の意識変革が起こり得るのではと夢を膨らませています。

 そして、現実に利他村には2ヘクタール(約6.000坪)の土地があり、そこを「アナスタシア」の世界や「共同の創造」による新たなライフスタイルに共鳴する仲間が集えば、やがてはシフトアップした新たな世界が出来るのではとメルヘンぶっています。
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2015年10月29日

平和で幸せとは!

「衣食足りて礼節を知る」との諺がありますが人間の欲というものはどうもそうならないようでバブルの時はむしろ「衣食足りて飽食に溺れる」であったように思います、そしてバブルが弾け失われた20年の時代にあっては人々は再び衣食足りる豊かな暮らしを求めて経済優先の世界を求めるようになっています。

 確かに人々の幸せにとって経済が豊かになることは大切なことですが、それは幸せになるための手段であって目的ではない筈です。

 人の幸せにとって最低限の衣食住が必要不可欠なものですが、人は肉体と同時に心という精神的なものを持っていますので幾ら衣食住が満たされても心の豊かさが得られないと幸せだと言えないと思います。

 もし経済的な豊かさだけが幸せであるとすれば、低開発国の人は先進国のように経済的に恵まれないことからその国のすべての人々は幸せでないことになります、また経済が発達した今の時代の人々に比べれば比較にならない過去の例えば江戸の時代の人々やそれまでの時代の人々はすべて「幸せでなかった」ことになります。

 経済的に満たされなかった低開発国の人々や過去の時代の人々と先進国の仲間入りが出来た私たちとどちらが幸せかと言うと一概に私たちが幸せであるとは言えません

 と言うことは「衣食足りて礼節を知る」ではなく、むしろ礼節という心の豊かさがあって始めて「幸せである」と言えることで、そのような心の豊かさによって衣食住の豊かさを有り難いと思えるようになり、奪い合いではなく分かち合いの思いが生まれてくるのだと思います。

 今、日本は競争至上のグローバルな市場経済にあって軍事力と言う力を背景にした国つくりに舵をきり「食や資源」の確保をすることを「積極的平和主義」と言う言葉で専守防衛という枠を超えて海外に武器を持って出かけようとしていますがそれは国の在り方としても未来志向の「幸せな国つくり」ではなく「不幸な国へ」の時代逆行のように思います

 物や経済の豊かさは手段であって、心の豊かさのないところに幾ら「衣食住」が豊かになっても平穏で幸せな社会が生まれなかったように、人口増に比例しない食料生産の食糧不足の時代にあっては、単に国も力でもって「食や資源」を確保する方向ではなく、礼節と言う心を持って世界各国の人々が知恵を出し「食や資源」の増産のための技術の開発をし合い「奪い合いで」ではなく「分かち合い」の「心の豊かさ」を高め合う方向で人々には勿論国としての世界に呼びかけるのが「積極的平和主義」だと思います。
 
 「何を青臭い」と言われるかも知れませんが21世紀は「競争(競い合い)から共創(共に創る)」への転換によってしか未来が開かれないように思います。
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2015年09月09日

安保法制(戦争法案)は許せない

 今回の安保法案(戦争草案と言える)を何が何でも今国会中に通そうとする安倍政権のやり方には憤りすら感じます。

 国民に充分な説明をすると言いながら説明すればするほど世論の反対が増え国会前デモが激しくなると「国民の理解が無くても決めるときは決める」と圧倒的多数の議決で押し通すことは独裁政治のようで許されないことです。

 前の選挙で圧倒的な議席を得たことで議会制民主主義のルールからは法的に問題がないとしても、そもそも先の選挙のマニフェストでは「安保法案」や「憲法改正」は小さく書いているに過ぎず国民に正面から訴えることをしていないで圧倒的な多数を得るやいなや数の力で押し通すのは欺瞞とも言える行為だと思います。

 また自民党への得票数は選挙権のある国民の4分の一の票でしかなく、国の在り方を大きく変える安保法制を国民の理解が十分に行き届いていない段階で強権的に押し通すことは許されないことです。

 さらには今回の「安保法案」を国会に提出する前にアメリカに「夏までに法案を通すと約束する」などは論外で国会無視どころか国民無視の民主政治を逸脱する独裁政治としか言いようがありません。

 戦後70年間「平和憲法」の下に戦争をすることなく「専守防衛」の枠内で国民の理解の下に合憲としてきた自衛隊を「安保法案」によって海外で交戦可能して、また武器の輸出を認めるなど、憲法を改正することなく時の政権の解釈変更で強行に通そうとすることは立憲主義(憲法によって為政者の行為を戒める)からも許されないことです。

 現実的には大国になった中国からの脅威や北朝鮮の暴発による危機への対処があるとしても、それを口実に「集団的自衛権により抑止力としての軍事強化で平和を維持する」国の在り方を変えることは逆に中国や北朝鮮から見ればそれこそ日本が脅威者ともなり、結局は際限の無い「抑止力と言う名の軍事拡大競争」をもたらすだけでそれは決して「平和へ道」ではなく「戦争への道」でしかないのです。

 戦争をして喜ぶのは「戦争によって利益を得る軍産複合体組織」だけで、戦争当事国はどちらも戦勝国になることはなく平和と豊かさを失い、それぞれの国民にとっても生命・財産を失い幸福が奪われるしかならないのです。

 違憲と言われ国民の半数以上が反対する「集団的自衛権」を通すことによって、海外に派遣された自衛隊が戦死した時に又戦争によって敵国と見なされた日本へのテロによって攻撃を受け生命・財産を失う国民に対し安倍政権と法案を通した与党の議員はどのように責任を持つのでしょうか、戦争を知らない2世議員の多い与党は本当に覚悟して「安保法案」を通そうとしているのか疑問です。  
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2015年08月29日

国際交流の楽しい夏になりました

 利他村には夏に毎年10日間ほど海外学生ボランティアが来てくれ今年はロシア・フランス・チェコそして通訳の日本のリーダーを含めての男性1名女性3名の若者たちの参加です。

 毎年同じ光景ですが若者たちは初対面で自己紹介するやいなや直ぐに友達会話になり屈託のない交流が始まるのは何とも楽しくすがすがしい気持ちにさせてくれます。

 ホスト側の利他村では宿舎と食事を提供し若者たちはボランティアでの奉仕活動でになり利他村にとってはペンキ塗りや広い敷地の草刈りカントリーハウスの窓ふきや掃除そしてベットや布団の天日干しなど人数が揃わないとついつい億劫になる作業が片づき大助かりでおまけに若いエネルギーに満たされ夏になります。

 食事は若者に交代で自慢料理を作ってと依頼しますが、どの国の若者も母親に作って貰っているようで、テレビや映画で見る海外の家族の食事とは異なり質素な単品ものになりますが、それでも各国の日頃の料理を垣間味わうことが出来、お国の自慢料理などで話が弾みます。

 もちろんホスト側で日本料理を作りますが、海外の若者たちは特に「お寿司」「天ぷら」「お好み焼き」など大喜びで、またキャンプ中に応援に来てくれた料理教室の講師でもある利他村メンバーが持参してくれた料理には満喫そのもの、何と言っても楽しい食事は国が違えども心開けるもっとも良い交流のようです。

 ところで今回参加の男性の若者がフランスの大新聞ルモンド社の社長の御曹司と聞きビックリ仰天、しかし若者たちにとってそのような事には意に介さずに彼も炎天下の中で上半身裸になりボランティア作業をするなど、冗談を言いながら皆で助け合い互い国の習慣や在り方を語り合う交流キャンプは「平和」そのもので、このような姿をからは「戦争」など起こるのこと自体不思議なくらいに思えてきます。

 今回強行に成立させようと「集団安全保障で平和を維持する」や「武器をもって海外に出て平和を守る」ましてや「抑止力を高めて他の国から戦争を仕向けられないようにする」などはまったく絵空事のようでそのような発想など出ようがありません。
  
 ルモンド社の御曹司の若者が「機会があれば両親を利他村に連れてきたい!」と語り帰国してくれました。
両親に利他村での平和で楽しい国際交流の日々を語ってくれると思いますが、このような民間の活動の一つ一つが小さな小さなことですが世界の平和につくりにつながるのではとの思い利他村の夏の行事として今後も続けてゆきたいと思っています。

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2015年07月28日

「果物と野菜」中心の食事に挑戦しています

 「太陽の会」の中丸薫さんが「デトックス」に挑戦中で「50代からの超健康革命」の著書を紹介され、読むと「果物と野菜」のいわゆるベジタリアンの食生活ですが、体が要求する栄養素は充分にとれると書かれてあり、そのような生活をしていた古代の人々は120歳〜160歳の長寿であったとのこと、ダイエットをしなければと思いつつなかなか出来なかったこともあり、心機一転早速先週から実践中です。

 巷に氾濫する健康に関する食事やダイエットの著書などでは「牛乳」が良いとか悪いとかいろいろ迷う記事が多く、またスーパーでは「遺伝子組み換えはしていません」との表示も信用できないことが多く、何を買っても添加物が多く入っており、農作物は農薬付けで、加工品など添加物や農薬のない食品を探すのが至難のことになっています。

 おまけに企業倫理も低下傾向にあり、中国からの輸入食品はもちろん日本でも安全性より儲け優先の加工食品業者の摘発のニュースもあり、気づかずに誰もが体内に農薬や添加物による毒素をため込んでいるのは確かだろうと思っています。

 もはや「みんなで渡れば怖くない」では済まされない「食原病」の健康被害から自分を守るにはやはり自己責任で食事に注意するしかないだろうと思っています。

 そもそも利他村は「自給自足」の共同体作りを視野に活動をしているのですから「自分で作った無農薬の農作物を食べる」ことをテーマに「週末農園暮らし(利他村ダーチャの里)」をと啓蒙するにはぴったりだと思っています。

 とは言うものの著書には21日(3週間)の取り組みが紹介されていますが、凝り固まった取り組は精神的なストレスにもなりかねないし、当面は月に一週間から10日間程度の「果物と野菜の食事」を習慣化させるだけでも「デトックス効果」はあるだろうと思いますので、まずは「幸せと楽しいライフの元としての食習慣作り」と気楽な思いで挑戦しようと思っています。

 
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