2020年09月30日

管新首相が掲げた「自助・共助・公助」について思う

 支持率が下がっていた安部前首相の退任を歓迎している1人ですが首相としての実績も無く安倍政権の政策を引き継ぐとした管新首相が国民の高い支持を得ているのに首をかしげている1人です。

 安部政権の政策を引き継ぐのであれば説明がされないままになっている「森友・加計・桜を見る会」についても「公文書の破棄・改ざん・隠蔽」と言った民主主義政治そのものの根底を覆した安部政権の責任と政権としての国民への謝罪がないとダメでそれを過去の話であると言い話す姿勢には期待どころかうんざりするばかりです。

 そして新首相として掲げたのが「自助・共助・公助」の誰もが頷ける言葉です。

 しかし「民主主義の国」として民の1人1人の成長も国の成長も民の「自助努力」なくしてないことは充分承知していることで上から「国」が示めさなくても解りきったことです。

 国が示すことは民が「自助努力」してゆける環境を示し国が責任をもって実行する「公助」を具体的に説明して知らしめることです。

 当然「共助」も国民1人1人の「自助努力」だけでは困難なことを互いに助け合うことも解り合ったことで「共助」も国が示すことでは無く「共助」しやすい環境つくりすなわち「公助」として実行することで「公助」だけを示すだけで良いのです。

 それを国の首相が「公助」の実行を具体的に示しすことなく大上段に「自助・共助・公助」を掲げるのは責任転換としかしか言いようがなく、またそれを良しとする与党の見識の無さに首をかしげざるをえません。

 コロナ前から金融破綻から経済破綻の危惧が言われていたところにコロナパンデミックそして昨今の未曾有の自然災害の多発なども相まってコロナ後の世界は確実に世界の政治・経済・社会の混乱が予測されます。

 そのような時期は過去の歴史から戦争にと繋がっていますので再び戦前のような風潮が社会に漂いはじめるのを危惧していますし、そのようになると国はマスコミをも支配下にした中央集権的なあり方に変わり人々は次第にそのような流れに流されるようになってゆきます。

 そのような時代の流れが予測できる現在、安部首相が遺産のように残した「積極平和主義」も菅首相の「「自助・共助・公助」も言葉の響きは良く頷ける言葉ですが理由も定かで無く高い支持を与えていることに危惧を感じると共に誤った方向に進める一歩のようにも思っているひとりです。 
posted by コ−エン at 14:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年08月31日

安部首相の辞任を歓迎「平和をリーとする」新たな首相が誕生することを願います

 安部首相がようやく辞任することになり、安部首相については戦後最悪の総理と思っていましたので「良かった!」と思う人の中の1人です

 「美しい日本」を訴え「戦後レジームからの脱却」とのスローガンに新たな未来を導く若いリーダーとの期待を持っていましたが、それはまさに幻想で「戦後レジームからの脱却」というのは「戦後の民主主義と平和国家」からの脱却で「美しい国」と言うのは戦前のような力を背景にした強い国つくりのことでまさしく戦前回帰のノスタルジアであったと思っています。

 そして「憲法改正」を旗に過去の自民党政権が踏み込めなかった「特定秘密保護法」「武器輸出解禁につながる法案」「共謀法に近い法案」「新安保や集団的自衛権を認める」などそれも充分な説明のない強行採決で、さらに現在も「専守防衛の範疇」とは言いがたい「先制攻撃論」が議論され、それが行使すれば即反撃は必至で戦争に突入し一旦戦闘が始まると近代兵器戦争は双方に破壊が生ずるのは明らかだと思っています。

 まさに安部首相は戦後「平和憲法」の下に戦争もせず戦争にも巻き込まれなかった日本を「抑止力」という名目で「戦争の出来る国」に導いた首相としか言いようがないと思っています

 さらに「弱小化した野党」にも「選挙制度」にも原因がありますが「内閣人事局」を手中に収め「他に変わるべき対抗馬が出にくい」状況をつく出すことで強権な長期政権が続き、その結果「国会私物化」と「忖度政治」をもたらし、「森友・加計学園・桜を見る会」などの倫理なき国会をあらわにすることによって「今だけ金だけ自分だけ」倫理無き社会を許し誘導したように思っています。

 確かにバブル崩壊後の経済にあって新自由主義経済の下に「アベノミクス」を旗に「異次元の金融政策」と「財政支出」により円安を誘導し雇用の増加などに一定の成果は上がったものの実体は大企業優遇を進めコスト削減による非正規社員を増加させ全体の勤労者所得を年々減少させトリクルダウンはなく「貧富の格差」が増大固定化するバランス無き社会を増幅させたと思っています。

 そして成果と自認していた「アベノミクス」も今回のコロナで元の木阿弥として消えているのです。

 また念願の「憲法改正」「北方領土の返還」「拉致の解決」は長期政権にもかかわらず達成することが出来なかったのです。

 世界も日本も「成長の限界」と言われ、自然を破壊し続け物の豊かさを競い合い成長を続けた結果が、自然の自浄作用による未曾有の「自然災害」の多発をもたらし、経済も実体を遙かに超える金融が経済を支配しその歪な経済によって何時金融崩壊が生じても不思議でない状況にあって、今回の世界的コロナパンデミックがダメ押しとなって、それがが2波3波と続くけば確実に世界大恐慌に突入するように思っています。

 当然にそうなると「紛争や戦争」に繋がるのが歴史の常で、しかし「戦争」を起こせば勝者敗者無くすべてが終わりの時代に入っていますので、もはや力(軍備)ではなく外交努力で「平和」な世界を創り上げるしか未来は無いのではと思っています。

 まさに日本は「戦後世界では紛争や戦争をしなかった唯一の国」として「世界平和」をリードできる国で、新たな首相は「憲法改正では無く」「平和憲法」の下に「戦争を前提にした競い合いでの強国日本」ではなく「平和を前提にした共創共生をリードする日本」として世界をリードすると共に国内では「自然と共生する国つくり」を旗に「未来を示し導き国民から信頼される徳のある首相」として誕生することを願っています。
posted by コ−エン at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年04月30日

「コロナ」後に生まれる新たな世界が楽しみです! 

 新型コロナウィルスは次々と変化し続けると言われていますのでワクチンや治療薬の開発とイタチごっこになりかねないことから収拾には少なくとも約2年はかかると思われ、そうなると世界の経済は1929年の世界大恐慌を超える混乱となり世界は形を大きく変えるだろうと思っています。
 
 利他村ではそのような大恐慌は食糧危機を生み出すことから自給自足可能な農産物をつくり命と生活を守った上で、無機質な都市ではなく自然があり微生物のある土と共生する「田舎町から新生する」との思いをもって「共創共生のコミュニティ(ビレッジ)」」のひな型を創ろうと思っています。

 その「共創共生のコミュニティ(ビレッジ)」は「心」を大切に、16,000年の間争いのない平和で自然と共生していた「縄文時代の人々」のような豊かな心を取り戻もどすことを土台にして、知の文明がつくりだした「AI(人工知能)・IOT(もののインターネット)・ロボット技術」と「管理者を必要にしないフラットな横型社会が可能なブロックチェーン」を活用した貧富の格差のない豊かなライフスタイルつくりだこと思っています。

 まさにコロナ後に生まれる世界をそのような「ものと心のバランスのとれた愛ある共創共生の世界」と描いています。

 5月から利他村では集落の「古民家」を借り「シェアーハウス」に活用するようになり、また新たに「平地に約1反の田」を借り、秋には念願の「仲間で作ったお米を仲間の家族が食べれる」が実現します。
 
 そのようなこともあり、まずは「土地と共に微生物と共に大自然と共に」「農薬や化学肥料を使わない農産物」を目指して取り組んでいる「週末は田舎で農園ぐらし(ダーチャ)」をさらに仲間一人一人の個性を生かし合いながらより充実したものにすることだと思っています。

 そして今回のコロナには新たな世界を生み出すためにもたらされた人知を超えた計らいのようにも思い、危機を思え乗り越えた後に生まれる世界を楽しみしながら前を向いて進めたいと思っています。 
posted by コ−エン at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年04月01日

新型コロナウィルスで思うこと!

新型コロナウィルスはパンデミック(世界的な蔓延)となり、各国はクラスター(集団感染)からオーバーシュート(感染爆発)へ、そして医療崩壊を食い止めるため外出禁止令やロックダウン(都市封鎖)へと進んでいます。

 ワクチンもなく治療薬もない今回の未知のウィルスが以前世界の人口の3分の1の死者を出した黒死病(ペスト)や5,000万人の死者を出したスペイン風邪のような展開になるかどうか定かではありませんが、今からの社会システムや人々の意識を大きく変えるようになると思います。

 特にSNS上で行き交っている人工削減計画の人造細菌のような陰謀論やアメリカが中国に仕掛けた生物兵器とか中国武漢にある細菌研究所から漏れたとかの話はそもそも細菌をもって特定の目的に使うとなると必ず使った側にも蔓延してくることからトンデモ話として聞き流すに限ると思っています。

 むしろトンデモ話になるかもしれませんが、今回の新型ウィルスは過去パンデミックを起こしたウィルスとは次元の違う現代文明そのものの終焉期に生じるものとして、または旧約聖書が預言する終末期に現れることの一つとしてとらえた方が良いと思っています。

 すでに現代文明については1975年にローマクラブが「成長の限界」と公表しており、現にグローバル化した資本主義そのものが世界的に貧富の格差の増大固定化の世界を創りつつあり、また世界を実質的に左右している国際金融資本が次第に金融そのものをコントロールできなくなり自浄能力を失い金融破綻も始まっているような状況にあって、シュメール文明以降「物の豊かさ」に比重をおいて人類が創り上げたてきた現代文明そのものが終焉期にある今新型ウィルスは文明の転換期に生じる人知を超える予兆のようなもののように思えないことではありません。

 もし人知を超える予兆としての新型コロナウィルスであれば人類が創り上げた科学や知識を総結集して人事を尽くしたとしても収めることは不可能で「天の計らい(天命)」の赴くままに委ね祈るしかありません。

 しかし「天命」は「人事を尽くす」こと無くして降ろされることはないことから、やはり人類は叡智を尽くし国は対症療法と医療体制に最大限の努力をして全精力でワクチンと治療薬の開発に人事を尽くし、民は自らが感染源にならないための配慮と食事と健康に留意し自己免疫力を高めることに人事を尽くし「天命」に委ねることしかないのだろうと思います。

 このように今回の新型コロナウィルスが「一つの文明が崩壊し新たな文明が生まれる転換期に生じる」現れとした時に私たちがすることは「崩壊に伴う危機への準備」と「新たな時代への準備」でただ単に恐怖におののくことではなく、平易なたとえですが「災い転じて福となる」との思いをもって新たな福を創ることだと思っています。

 そして利他村としての「福創り」は、まず個々人が「自己免疫力を高める」だと思っています「自己免疫力を高める」には人の成り立ちの原点とも言える「土地と共に微生物と共に大自然と共にあるあり方」に立ち返り「農薬や化学肥料を使わない自然の原理にしたがった農野菜をつくり食する」ことに努めあとは天命に委ねることだと思っています。

 そして新たな文明の始まりは終焉する都市文明ではなく「田舎町から新生する」と思い新たなコミュニティーをつくることだと思っています。
posted by コ−エン at 06:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年01月01日

利他村の「年頭所感」

 あけましておめでとうございます。

 零和2年目は東京オリンピックに人々の関心が集まり、メディアではアメリカ経済の好調、日本も高級マンションや高級自動車の販売の好調、株価も好調と報道されていますが、大多数の民にはどうもそのような好調の実感はなく、イギリスのEU離脱・アメリカと中国の経済対立などあり世界が不況期に入ったと言われているSNSで飛び交っている情報が正しいと思っています。

 そして気になるのはジンクスのように年号が変わる時期には大正初期は第一次世界大戦、昭和初期は金融恐慌から世界恐慌、昭和初期はバブル崩壊とあり、令和の初期の現在専門的になりますが短期金利が長期金利を超える異常な様相を呈しており金の相場も急騰しかかっていますので何時始まっても不思議でないと言われている金融破綻がすでに始まっているのではと思えることす。

 もしジンクスどおりに危機が生じ困難な時期が始まっているとすれば国民に信頼される強いリーダーの誕生が求められますが、歴代最長になった安倍首相の「身内優先公私混同の忖度政治」や「欺瞞と言い逃れ答弁」や「公文書の改ざんや破棄」が平然と行われ「それに対する野党の追及を逃れるために国会を早々に閉鎖」するなど「民のため民主主義」をないがしろに「自己の思い(憲法改正)を良しとして推し進める「安倍強権政治」は逆の「富国強兵」の戦前回帰で、それに司法・行政・立法やメディアが「長いものには巻かれよ!」の「忖度」がまかり通っている現状、また多くの民も「ゆでガエル」に甘んじている現状を見ると危機の上塗りはあっても危機の回避は望めないと思っています。

 そもそも「資本(お金)主義」が持つ競い合いが行き過ぎ、格差が拡大固定化するようになったにも関わらず為政者も各業界リーダーも「今だけ金だけ自分だけ」に陥って自浄作用をなくしており、もはや「経世済民」の精神を基にした「健全な資本主義的な成長経済」に立ち戻るのは到底無理と言うしかなく、自然破壊のない自然との共生と貧富の格差のない「共創共生の調和経済」にシフトアップするのはまさに夢の夢で、それは「古い世界が崩壊しないと新たな世界は生まれない」これこそ「神の見えざる手」に委ねるしかないのかも知れません。
 
 そのような人知を超えた危機のジンクスの零和初期だとすれば、すでに「金融危機」から「経済破綻」そして「恐慌から戦争」に向かっていることを前提にまずは我が身の問題として切実に捉え一人一人が出来うる「自立の準備」の取り組みをすることだと思っています。

 そして利他村の「利他の準備」としては時代認識を共有し合えるダーチャ(週末は田舎で農園ぐらし)の仲間の「自給できる農野菜の栽培つくり」を仲間と共に確実なものにすることだと思っています。

 そのうえで仲間と新たにな未来を語り合い、また新たな未来つくりの取り組みをする全国のグループとのネットつくりへと広げることだと思っています。

    本年もどうかよろしくご指導ご支援いただきますようお願いいたします。

 
posted by コ−エン at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月13日

安倍政権の「桜を見る会」の対応には「うんざり」を通りこして「怒り」さえ覚えます。

森友・加計問題では「国民に充分な説明をします」の発言は果たさず、不都合な資料は各省の忖度による「書き換え(改ざん)」や「破棄」のまま参議院選挙で勝てば「禊ぎがあった」とし、今回の「桜を見る会」も誰が見ても「問題あり」が明らかにも関わらず資料は「シュレッターで破棄」復元可能な「電子データーも消去」さらに「バックデーターは行政文書でない」など答えにならない答弁を繰り返すばかり、野党の国会の会期延長要求は拒否し「ほとぼりが冷める」のを待つ安倍政権の「モラルもなき政権運営」には腹立たしさを感じています。

 そもそも国政や行政の記録は歴史的記録として国家財産であり「紙媒体」しかない時代は保管面で重要度に応じて廃棄も仕方がないとは思うものの「電子媒体のデータ」の時代にあっては「行政上の政策の失敗や好ましくない言動」もすべてを永久保存にすることは基本中の基本でもあり常識中の常識でもあり、それを権力を預かる与党や首相が「権力への保身と維持」のために「虚偽や言い逃れ」を繰り返し不利になる記録は「平然と破棄した」と言い放すのは「民主主義」の原点に反するばかりか、そのような「モラルなき醜態政治」は「民のモラルも著しく低下させ」「世界からの評価の低下をもたらし」あってはならないことです。

 残念なことにこのような重大局面に関わらず与党の中には正面切って首相交代を迫るリーダーはなく、野党に至っても大同団結をし民から安心し信頼される政策を掲げて民と共に政権交代に導く絶好の機会に関わらず問題追及に終止するばかり「れいわ新選組」の右翼や左翼とか保守や革新と言った固定観念を乗り越え民の側からの新たに時代の息吹と流れが生まれているにも関わらず大半の民は「ゆでカエル」を甘んじているようで新たな令和の時代が開かれるのはまだまだ先になるのではと危惧しています。

 しかも最長になった安倍長期政権の間「人口減少」と「少子高齢化」は進みつづけ、失敗したのか「アベノミクス」の言葉さえ言われなくなくなり、国際的に優位であった「教育水準」「技術水準」はどんどんと下がり、国内的には貧富の格差の拡大固定化が続き「美しい日本」の訴えは時代逆行の「新安保と軍事力強化」しか目立たず「成長から成熟」に入った時代にあって未来志向の新たな豊かさをもたらす政策は何ら見当たらないように思っています。

 ただ昭和の初めには昭和大恐慌、平成の初めにはバブル崩壊とあり、経済破綻(金融危機)が何時生じても不思議でない現在令和大恐慌もあり得ることで、安倍政権への不信と怒りに終わるだけで何もしないのはそれこそダメで、少なからず個々人で出来る「危機への準備」と「新たな時代への準備」を意識的に心がけ行動しないとと強く思っています。

 そのような思いもあって利他村はまずは危機を前提に「自給自足可能なライフスタイル」を目標に新たな時代の「コミュニティーつくり」の取り組みをしています。

posted by コ−エン at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月27日

フランシスコ教皇と今生天皇の「平和の願い」に思う

フランシス教皇が来日し広島・長崎で「核兵器廃止」を全世界に訴えましたが、唯一の核被爆国の日本は「核兵器禁止条約」に署名しないままで「核廃絶に向かって世界をリードする」との安倍首相の発言にはむなしさを感じるばかりです

 そしてフランシスコ教皇の平和へ訴えに即位礼で内外に向かっての三度「国民の幸せと世界の平和」を言われた新天皇はさぞかし心強くされたのではと思います。

 さらにフランシスコ教皇は真の平和は「非武装の平和」で防衛用の核も許容しない旨の力強いメッセージをされ、その高尚な理想を「政教分離」の厳守は言うまでもありませんが世界の為政者が現実に具現化する取り組みを国連などで話し合い力強く行動することを願ってやみません。 

 そもそも現在は過去の戦争とは比較にならない高度な無差別な殺戮兵器の「核兵器」「生物兵器」「化学兵器」「レーザー兵器」などをしかもAI搭載のドローンやロボットを机上操作できる戦争で、小国もそのような兵器を持つことで、一旦戦争が始まると勝者も敗者もなく世界全体を崩壊させかねないのは明らかです。

 したがって「戦争は起こしてはならない」どころか「戦争は起こせない」時代に入っており、フランシスコ教皇が訴えるように「核兵器」をはじめ「戦争のための兵器」は無用の長物で「抑止力」や「防御」の名の下に兵器競争をするなどは愚行そのもので「力による平和」などはおとぎ話で何処かでバランスを失うのは明らかです。

 残念なことに強い国を目指し軍事力強化と自衛隊の海外派兵をも視野に「憲法改正」を最重要課題とする安倍政権やそれを支持する勢力がメディアを利用し敵国からの危険を煽り「力による平和」を推し進める日本はフランシスコ教皇や今生天皇の「平和への願い」とは全く逆の方向で危険思想そのもので未来志向では決してないと思っています。

 現状は世界経済も不況に入っており金融危機がいつ生じても不思議でない状況を迎え、昭和の初めには渡辺銀行の破綻を契機にあった大不況、平成の初めにはバブル崩壊による大不況に見まわれたように令和の初めにあたる現在もまったくよく似た状況にあります。

 また大不況が戦争に繋がることも歴史が明らかですから来年は大きな危機へを前提に準備をすることと為政者による戦争への世論つくりに惑わされることなく「平和への思い」を大切に民の側から盛り上げる活動が何よりも大切な時代に入ったなと思っています。

posted by コ−エン at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年10月30日

キリストと釈迦の教えとエデンの園と解脱の世界に思う

朝の散歩の途中でキリスト教会にあったチラシ「月に一度の聖書を読む会」の案内があり今までキリスト教には縁が無かったのですが参加することにしました。

 もともとキリスト教は「信じよさらば救われん」の他力信仰の教えと思っていましたので「アーメンと言えば救われる」には抵抗感もあり「天は自ら助くるものを助く」と言う自力あってこその他力が良いと思っていました。

 しかし、昨今の世界的な気象変動による異常な自然災害や資本主義経済が行き詰まり何時金融破綻が起こっても不思議で無い状況や、中東では終わり無き紛争が続きながら世界全体の自浄能力(自力能力)が失しなわれ「自力」ではもはや難しいのではないか、人知を超えた天の導き「他力」でしか救えないのではないかとの思いもあって聖書の預言やキリスト教を学んでみたいと思うようになったのだと思います。

 キリスト教については旧約聖書で預言され神の御子として誕生し、神に似せて創られたたアダムとイブがサタン(堕落した大天使ルシファー)の誘惑に負け禁断のリンゴ(善悪の知恵の果実)を食べたことにより原罪を背負い地上に追放され、その子孫の人間を救済するためにキリストが肉体をもって人類が背負う原罪を一身に受けて過酷な十字架の刑に処せられることによって贖罪され人類の罪が許される他力信仰だと思っていました。

 それに対して釈迦はこの世の人々の「四苦八苦」からの解脱の道を、人には「仏性(仏になる性)」が備わっていることを前提に、四苦八苦の原因を縁起(十二縁起)で解き三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)の仏の世界を示し、それに至るための八正道(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)の修行を示し自力による解脱(理想世界)に至る道を説いたのだと思っています。

しかしキリストの十字架により人類が背負う原罪が贖罪されたとしてもに直ぐにエデンの園(神が意図した愛と義のユートピア)に他力で導かれるのではなく、キリストへの信仰を通して神近く純なる心に至らないと救われないことは、お釈迦さんの修行によって解脱の世界に至ることと同じで究極的には「天は自ら助くる者を助く」で「自力なくしては他力がない」ことで、信仰を教えるキリスト教も自力修行を教える仏教も至るところは同じであるように思っています。

 キリスト教では終末の時期、仏教では末法の時期にあると言われいるように現実の世界は人類自が自浄能力(自力)を見失い崩壊の時期に進むように思えることから、人知を超えた危機の時代に現在があるとすれば人知を超えた他力による救済しかないことから、縁の無かった「旧約聖書・新約聖書」とキリスト教を学び「エデンの園と解脱」に至る道を見いだせればと月に一度の「聖書を学ぶ会」に参加します。

posted by コ−エン at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月22日

憲法改正と第9条と自衛隊について思う 

 第四次安倍内閣は本腰を入れて「憲法改正」に取り組むとのことですが,そもそも時代に即したものに憲法を改正するのは至極当然でそのこと自体は問題はないはずです。

 しかし世論調査で過半数の人が反対するのは「平和憲法と言われる第9条の改正」を危惧するからで、国民の多くは敗戦後連合軍の統治下で制定されたとは言え現憲法(第9条の「戦力不保持と戦争放棄」」)があったからこそ戦後74年の間戦争を起こすことも巻き込まれることも無かったとの思いがあるだと思います。

 確かに世界の情勢は戦後大きく変化して、昨今では経済的な不況や自然災害の増加での避難民の移動(移民)によりEU諸国では国内秩序が壊れ不安定が生じており、又低開発国では対立が増え至る所で紛争が多発して世界全体に世界的戦争も危惧されるような状況に陥りつつあります。

 このような世界状況にあって「第9条の戦争放棄を掲げた平和憲法」を守る護憲を主張するだけでは国際的な要請に答えられないことから、安倍首相が主張する戦後レジーム(憲法を頂点とした日本の基本的枠組み)を変更し「武力の行使と海外派兵」可能な憲法に改正して国際貢献しようするのも解らないことではありません。

 しかし現在の戦争は近代最終兵器(核・生物・化学)とAI掲載の無人ロボット兵器による過去の戦争と全く異なり「起これば勝者も敗者も無くすべてが終わる」時代に入っており「戦争は起こせない」し未来を開くには「戦争を起こさないようにする」しか道がないことから安倍政権の「武力の行使と海外派兵」を可能にする「憲法改正」はまさに崩壊に繋がる時代逆行としか言いようがないと思っています。

 勿論、各地で生じている紛争の解決のための国際貢献や、近隣諸国(中国や北朝鮮・韓国)からの先制攻撃などは考えられないものの偶発的な衝突はあり得ることから「専守防衛」に限定した上での有効な防衛戦力の保持は必要だと思います。

 ただ安倍一強政権の下では十分な説明をしないで強行採決した「安保法制」や「閣議での集団的自衛権の容認」「特別秘密保護法」「共謀法」などやメディアを利用しながら近隣諸国からの危機を煽り国民を洗脳的に誘導するようなあり方を見ると「安倍政権の下での憲法改正」は「専守防衛」を超える武力保持と海外派兵の意図が推し量られることから許してはいけないと強く思っています。

 そして安部首相は「第9条に自衛隊の存在の明記」を主張していますが、自衛隊の災害時での救護や復旧行動には国民は高い評価をしているものの憲法の改正まで求めているとは思えません。

 また国際貢献に応じるために「戦力を持つ自衛隊」が必要であるとしても「有志連合」での派遣要請は問題外で許されるものではありませんが「国連」の決議と指揮下での限定した「自衛隊派遣」についてはそれこそ「憲法の解釈改憲」で国民に十分説明をし国民の納得を得た上で進めることは現実的なあり方だろうと思います。

 このような時代的な変化による国際的な要請には現実的な対応は必要になるものの「戦力不保持と戦争放棄を掲げる平和憲法」は戦勝国の連合軍の下に創られた憲法であるからこそ世界の理想であり目標となる条項であると言えますから「押しつけ憲法」ではなく逆に日本が率先して守る使命があるように思っています。
posted by コ−エン at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月19日

加害者の立場で韓国の人々の国民感情を思いやり関係改善をする日本を願う!

 最も近隣の韓国と最悪の関係になっています、その原因は戦前の朝鮮併合の時代の慰安婦問題もありますが直近の悪化は徴用工への賠償問題について日韓両国政府の見解に相違があるからです。

 それは1965年に締結した日韓基本条約で「国家間の賠償」の決着はついているものの「個人の賠償請求権」について日本は「個人の請求権も国家間の賠償で決着がついた」と言い韓国側は「個人的請求権は国家間の賠償とは別で決着がついていない」と言うのが表面的な相違でそれはたとえ国際司法裁判に委ねて法的に決着がついたとしても根本的な相違である韓国の人々の根強い国民感情までは解消できないと思えてなりません。

 韓国の人々の「国民感情」は日本の植民地時代の日本名への改名や日本語の強要さらに強制労働と朝鮮の人々に与えた苦痛と苦悩の深さは加害者である日本の私や人々にはわかり得ないことで、それを法的な「国家間の賠償」としてお金で決着がついたと割り切るのは加害者の傲慢そのもので日本はただただ言葉ではなく「反省と謝罪の思いを誠意を持って示す」ことしかないように思います、そのような態度は必ず韓国の人々の心を癒やすだろうと思います。

 確かに多額の賠償により韓国経済を飛躍的に成長させことや経済破綻に陥った時に多額の援助をしたなどあるもののそれでもって免罪されたとして「被害者の感情」を「堪忍袋の緒が切れた」と「加害者の感情」で非難し思いやらなくなるのも加害者の傲慢のように思っています。

 朝鮮半島は古くは文化・技術の伝承国であり、百済と共に白村江で新羅・高句と闘うなど親密な関係があった時代、秀吉の朝鮮出兵・そして戦前の植民地政策による統治などで苦難与えた時代そして日韓会談後はスポーツ交流や経済交流などで友好な関係を築くなど隣人国として良き時悪しき時はあったものの近隣の国として密接な関係を創ってきました。

 今回の関係悪化を招いているのは、それは民間の人々同士の悪化ではなく文在寅氏の日本への潜在的な反日感情を大統領選の支持に繋げようとの思惑と安部首相の執念とも言える「憲法改正と自主防衛」を推し進めるために近隣の中国・北朝鮮・韓国からの危機を煽ることで互いにナショナリズムを為政者の思いに利用していることが最大の原因に思えてなりません。

 歴史の中で特に韓国併合以降「不信が不信を生み増幅する」好ましくない関係を創ってきた事実がありますが、互いの国が両国の立場で主張し合うのは止め、互いの国にとって先の大戦や朝鮮戦争を正しく総括し国民に説明した上で両国が客観的な共通認識を創り出す努力をすると同時に、それらの時代を知らない人々が過去のわだかまりに影響されないで未来志向をもって仲良く交流することで良好な関係を積み重ねることが解決への道だろうと思います。

 新たな21世紀の東アジアは南北統一のコーリアが誕生し民主的な中国に変貌し戦争放棄の平和憲法をもつ日本が近隣諸国との平和共同体をつくるリーダーになることを願ってやみません。
 
posted by コ−エン at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記