2021年12月31日

年頭所感

 明けましておめでとうございます、

 コロナも感染力の強いオミクロン株が広がっているものの100年前のスペイン風邪と同じように3年で収束することを願っています、しかし里山より私見ですが収束後の今年は日本も世界も大きな変化の始まりが見える年のように思っています。

 それは新世紀の約20年過ぎ頃から始まる世紀への変化が見え始めることと、それ以上の約6000年前のシュメ−ルに始まった文明そのものの大きな変化が見え始める年のように思うからです。

 シュメ−ルからの始まった文明は「物の豊かさに比重を置いた競い合いを成長神話として自然を克服(破壊)し科学技術を進化させて創り上げてきた文明」で今からも「AI(人工知能)やロボット技術を飛躍的に進化させ2045年の技術的特異点(シンギュラリティー)を境にそれらの技術が人類に代わって文明の主役として2050年までに人の身体・脳・空間・時間の制約から解放された社会を実現させる「ムーンショット計画」が立てられ、国連ではSDGs(持続可能な17の開発目標)を掲げての未来社会つくりが始まっています。
  
 しかし、成長神話によって創り上げた現代文明は一方では「貧富の格差の拡大」や「分断と対立の助長」などの負の遺産を創りバランスを失っていますし、そもそも「人や自然を競い合いのコスト」として成長してきた植民地もなく自然資源も枯渇して「成長神話」そのものが限界にあり、またその限界を高度な科学技術で乗り越えようとしているものの「物質世界での勝者」による支配構造が続く限り「成長神話」のままでの未来社会は「バベルの塔」のように崩壊するのはそれこそ自然の成り行きだと思っています。

 勿論、人々に与えられた思考する能力(知恵)をもって物の豊かさへの欲求をAI(人工知能)やロボット技術を進化させて満たすことも人々の自然な姿で大切なこは言うまでもありません。

 しかし人は肉体(物)の欲求を満たすだけでなく精神(心)の豊かさを求める存在で、心の向上が伴わない物への欲求を満たすことだけに知恵を出すのは、クリスチャンでなくとも、まさに禁断の実を食べた「原罪」そのもので、その「原罪」を十字架で贖ったキリストの「人類への愛」を無にする、サタンの誘惑に負ける「悪ある行い」としか言いようがありません。

 そのような思いもあり、「お花畑つくりの思い」と言われるのは勝手ですが、コロナを契機に流れが、シュメール後の「心の豊かさよりもり物の豊かさに比重を置いて創り上げた成長神話の文明」の流れが終焉に向かい、人々の価値観の変化と共に「心に比重を置いた物と心のバランスのとれた調和ある文明」への流れに変わり始めるのが今年だと思っています。

 さらにコロナ後の近未来世界は、地球環境の変動による自然災害が多発し、行き場を失っている金融資本主義による経済破綻やそれらをきっかけに紛争や戦争にも起こうるなどで物質文明の壊れ行く流れも明らかになるのも今年だろうと思っています。

 利他村にはそのような文明的な変化と近未来の危機感を持っている仲間が多くいますので 今年も「「物と心のバランスの取れた愛ある共創共生のコミュニティ−つくり」を旗に仲間たちでお米作りを基本にして自給自足と人間性豊かなバランスのとれた共同体つくりの「夢」をもって地道な取り組みを楽しもうと思っています。

 本年も、相変わらずご指導とご支援を頂けますようどうぞよろしくお願い申し上げます。
posted by コ−エン at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年11月29日

新型変異株「オミクロン株」も自己免疫力を高め自然治癒力で乗り越えよう!

収束の見通しがつかないままにデルタ株以上の感染力や死亡率のあるオミクロン株がアフリカで発生し、今だに治験による安全性が定かでないままさらなる遺伝子組み換えワクチンの開発と接種に期待がかかっています。

そもそも人類は次々に生じる細菌やウィルスに自己免疫力を高め自然治癒力をつけることで乗り越え細菌やウィルスと共生しながら生きてきましたので今回の新型コロナウィルスも自己免疫力を高め自然治癒力で乗り越えてゆくのが自然の摂理に適ったことと思っています。
 
 勿論、人類は他の動物にはない「思考する能力(知力)」をもっていますので、単に自然の摂理に委ねるだけではなく「知力」をもって対峙するのも当然に自然の摂理に適ったことです。

 しかしその「思考する能力(知力)」を持って医学の進化を追い求めるのは当然のことですが、まだまだ治験が充分でない「遺伝子組み換えワクチン」が逆に「自己免疫力」や「自然治癒力」を弱わめてしまうようであれば本末転倒であるのは言うまでもありません。

 まだまだ神の領域とも言える「遺伝子組み換え」を人が持つ「思考する能力(知力)」だけで対峙し、細菌やウィルスの「不安と恐怖」を煽り充分な説明もないままに接種を推し進めるのは「傲慢な知力」として神の怒りに触れ「バベルの塔」になりかねないとも思っています。

 そのような思いからオミクロン株も遺伝子組み換えワクチンだけに頼り過ぎないで、過去の細菌やウィルスに対峙し乗り越えてきた「漢方薬」や日本国内では認められていないコロナの治療薬ではないが抗ウイルス活性と抗炎症作用で実績が認められている抗寄生虫剤である「イベルメクチン」なども吟味し入手して準備しておくのが良いと思っています。

 気象変化による自然破壊や金融資本主義の行き詰まりなどで世界全体で政治や経済の先行きが見えない混沌とした状況が続いている中での今回のコロナによって確実に世界も日本も危機の時代に入ったと実感している人が多いのではないかと思います。

 このような危機の時代にあっては人が持つ「(思考する能力(知力)」だけに頼り過ぎないで、自然との共生や人が持つ霊性の領域を振り返りその気づきの下で知力をもって「自己免疫力を高め自然治癒力つける」ことでコロナを始め危機の時代を乗り越えることが求められているように思っています。

posted by コ−エン at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年10月29日

人の手で変えれなければ見えざる神の手で変わるしかないのでは!

 公文書の書き換え・破棄・隠蔽そしてはぐらかし答弁で明確な説明をしない、人事権をもって司法や検察の長を取り込み、メディアへは忖度圧力をかけ長期政権を続けた「悪魔に導かれたような安政政権」とその路線を引き継いだ管政権さらに忖度によりコロコロ主張を変える岸田新政権を見るともはや与党は自浄能力を失ったと言わざるをえません。

 しかし残念ながら統一候補で対峙するようになった野党を国民が「未来を託す政権」として期待しているとも思えません。

 総選挙でどのような議席の変化があるかは定かではありませんが、既に社会そのものが保守や革新とか資本主義や社会主義といった価値観で政党や議員を選べなくなっているようで、また候補者自体も新たな価値観をもって未來世界を描がき人々をリードすることができないで、まさに社会全体が未来社会を模索し彷徨しているように思えてなりません。
 
 たしかに世襲議員や利権政治屋議員が多い中で未来社会を描き人々をリ−ドしようと志す議員もありますが、それも長く人々の熱い支持にはなり得ず、古い政界の枠組みの中にあって「出る杭は打たれ」埋もれて行くようで、逆に社会も世界そのものも対立が増幅しているようでますます未来が見えなくなっています。
 
 勿論、混沌とし閉塞した時代がこのまま続くはずはなく、過去の歴史では社会が混乱し一つの時代が終焉に近づくと天変地異などを切っ掛けに大きく変化し新たな時代を生み出したように、現在も何かのきっかけで変わるのでは、そのきっかけが未知のウイルスコロナパンデミックのように思います、それは自浄能力を失い方向を見いだせないでいる人々を「前後裁断」させ言わば「神の見えざる導き」ではないかとも思えなくありません。

 すでに「物の豊かさを求める人々の欲望(欲求)を競い合うことで満たすことを良しとし、世界全体を「成長」させてきた現代文明がその結果「自然を破壊しつくすことで異常気象による未曾有の自然災害をもたし、人々を安い労働力コストとしてきたことを許容したことで貧富の格差を増幅させ固定化させ、社会全体に「物だけ、金だけ、自分だけ」の波動が漂よい、物についても人についても「成長の限界」をもたらし、それを自助能力をもって新たに蘇生させることが出来ないで終焉を迎えようとしているように思えてなりません。

 確かに世界はSDGs(持続可能な17項目の開発目標)を掲げ、AIやIOTが人類の知能を超える時代(シンギュラリティ)への突入を予見し、本来の人間性解放(新たな新人類)を目指す流れが生まれていますが、それも古い「人々の欲望(欲求)による成長神話」の枠内で推し進められることで成就はしないで、神に似せ人を創った神が人々の欲望(欲求)のままのあり方に失望し大洪水で世界を沈め「ノアの箱舟」を造らせ新たな始まりに導いたように「神の裁きと導き」による新たな世界が開かれるように思えてなりません。

 勿論、「現在版ノアの箱舟」に乗り新たな文明に向かうにしても、裁き(大洪水)を乗り越え新たな世界に相応しいあり方を準備する「人事を尽くして天命を待つ」で試行錯誤しながら進むしかなく、少なくと利他村では新たな時代は「自然と融合(共生)しながらまずは自給自足をしながらの縄文時代の人々」の心(意識)にヒントがあると思い、そのような思いの仲間で進化し続ける科学技術を活用した「共同体(コミュニティ−)」のひな形つくりを夢にして進むことで光を見いだそうとしています。
posted by コ−エン at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年09月24日

今年はお米作りは豊作が期待できます!

 昨年より無農薬無肥料で米作りだ!と意気込み約一反の田んぼを借り始めましたが、米作りはそんなに甘くはなく、次から次と生える雑草には閉口するは、収穫量も周囲の農家の3分の1程度と散々な結果で苦い体験になりました(それでも周囲の農家さんは都市部の人に米つくりの大変さを知って貰えたと好意的に言って貰えその暖かさにホッとしています)

 そんなことから、少ないメンバーでの無農薬無肥料での米作りは難しいとの弱音もでていましたが、どっこい利他村の夢は危機の時代を「無農薬の健康農野菜つくり」で乗り越え、新た時代は「共創共生のコミュニティーつくり」で、自給自足の一丁目一番地は「米作り」だよ!と「失敗は成功のもと!」とプラス思考でさらに耕作面積を約1.7倍に広げ、中古の稲刈り機・脱穀機を手に入れ再挑戦しました。

 ただ、無農薬無肥料というのは「終末は田舎で農園暮らし(ダーチャ)」の今のところ都市部からのメンバ−で取り組んでいますので、雑草対策は日程的に難しいことから稲には影響のない農薬を一度だけまくことにし、そして稲の生長のために有機肥料を入れたことで今年は「無農薬無肥料米」ではなく「有機米」での挑戦になったのは少し残念です。

 しかし結果は稲穂も周囲の農家さんにも見劣りしないように育って3枚の田んぼも豊作間違いがないと思えますのでまずは成功です。

 10月はじめには稲刈りと昔ながらの天日干しをして美味しい「有機はぜかけ米」を念願のメンバーに一俵ずつ持って帰ってもらえることが出来るかと思うと心ウキウキで嬉しい限りです。

 仲間たちで作った「有機はざかけ米」の成功で自給自足の第一歩を踏み出せたのは最高の喜びです。 

未知のコロナもあり、異常気象による天候変動あり、そして豊かさを求めた成長神話が経済が至る所で停滞していることから、取り組んでいる新たな時代を見ての「自給自足の共創共生の村(コミュニティー)つくり」にますます確信をもつようになっています。

 
posted by コ−エン at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年08月31日

「和の精神」による「自立した国」になれば!

 コロナの対応では国民の信頼を大きく失っている首相のお膝元の横浜市長選で支援をした大臣を辞任して立候補した候補が無名に近い野党議員に大差の差で敗れるなどで、国民の7割近く支持をしないその首相を自民党の有力派閥の首領が支持をしていること自体も、またその首相が再選されることで次の総選挙で有利になると期待する野党の有様も、まさに民意とかけ離れた政界崩壊状態で政界の末期症状のように思えてなりません。

 このような状態をもたらしている原因で考えられることは、2世3世議員の「政治を家業のように思う議員(いわゆる政治屋)」が多くなって、国民のためよりも政治屋家業を守るために時の権力者の意向を忖度し公認候補になることを最優先する議員や、そのような「選挙制度」を利用して政治屋議員を生み出していること自体が政党や議員の質の低下をもたらす原因のように思えてなりません(勿論、政治家として信頼する議員もいます)

 さらにそのような質の低下をもたらす根本的な原因は、国そのものが戦後敗戦国としてアメリカの庇護のもとに復興しアメリカに従属しアメリカの過度な要望をも受け入れた国創りをし、国民の多くも「安保でアメリカの軍事力に守られている」との思いを持ち「自立した国」としてのプライドを失い、中曽根政権ぐらいから覇権国家アメリカの推し進める保守主義と新自由主義政策を受け入れ、安部政権に至ってはアメリカ軍の指揮下として自衛隊を容認し、国民も野党もそれに慣らされ真に自立を目指してこなかったからだと思っています。

しかし世界やアメリカそのものも「物の豊かさに比重を置いて力(軍事力)を背景にした経済力の競い合い」そのことが「地球環境を激変させ、軍事力の際限のない拡大をもたらし、貧富の格差を増幅させ」そのことによって「成長の限界」を迎えているにも関わらず方向転換も出来なで出口も見いだせないで、まさに聖書の「終末預言」どうりに進んでいるとも言えます。

 このように世界そのものが「物の豊かさに比重を置いて力(軍事力)を背景にした経済力の競い合い」の時代(文明)が終焉に向かっているとすればアメリカの属国のままでは共に終演するしかなく、日本は新たな出口を見いだし新たな流れを創るしかありません。

 そのような思いをもって日本を眺めた時に日本は本来「和をもって尊し」という遺伝子を持っている国で明治以降はアングロサクソン系の西欧の流れに乗った国造りをしてきましたが、本来「力を背景にした競い合い」は苦手なというよりも選択しない国で「軍事力を背景にした経済競争」による国つくりではなく「和の精神を背景にした国つくり」をしてきたように思います。

 それは安部前首相が進めたアメリカの属国として力を背景にした「美しい国」つくりではなく、神代の時代からの「和の精神」を根底にし進化し続ける科学技術による物の豊かさとのバランスをとりながら「真の自立した国」を目指すことが日本の姿だと思います。

 そのような思いの「政党」や「議員」と人々が増えるようになればと真に自立する日本として新生するように思います。 
posted by コ−エン at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年07月31日

人は精神的存在でもあるとの流れが起これば明日が見えるのでは!

 昨今は社会全体に人の肉体的側面を重視して人の精神的側面を軽視する風潮が当たり前になっているように感じています。

 今回の東京オリンピックも近代オリンピックの父、クーベルタン男爵の『参加することに意義がある』との言葉や「スポーツを通じて世界平和の維持と国際友好親善に貢献する」との崇高な精神への人々の関心は薄れ、利権まみれのIOCの商業オリンピックをを受け入れメディアのメダル獲得競争報道に熱狂させられています。

 また、熱中症と新型コロナ感染蔓延中で中止や延期が当たり前にも関わらず「何のために開催されるのか?」の納得できる説明もないまま政権浮揚の手段としか思えないままに強行する政権に不信感を持ちつつも「あきらめ」が漂い、約半数の国民しか投票しないような国民的な劣化も進んでいます。

 当然にこんな時期は野党が大同小異を捨て統一して明日への道を国民に示し政権交代を目指すのが本来の流れですが、特に与党には政治職業家のような二世三世の保身議員も多く、野党間では派閥対立を解消できないでいることで不信感をもたれ国民から離れた政治が進んでいます。
  
 このように社会からも政界からも先が見えない現象は、人が本来持っている精神的側面の豊かさを裏の世界に押しやり人がもつ肉体的側面に比重を置いて自然環境を破壊することで豊かさを創り上げてきた物質文明そのもの必然的な結果のように思えてなりません。

 そのことは既に前世紀末頃にローマクラブが「成長の限界」として新たな転換を示唆していますが、人が持つ肉体的存在に比重をおいた流れの「慣性の法則」を変えられないままに彷徨を続けている結果ではないかとも思います。

 そのように思うと、今回の未知なるコロナパンデミックはそのような状態の人類のあり方を「前後裁断する時代の裁断機」として人知を超えた計らいが働いているように思えてなりません。

 勿論、肉体的存在の豊かさを求めた科学技術の延長線上で新たな量子力学などの進化でさらなる成長をもたらすのかも知れませんが、人が本来持っている精神的存在を基本していないのであれば、現代の延長線上で現代版バベルの塔を造っているだけのように思えてなりません。

 コロナ後はしばらく危機の時期が続きその後に始まる世界は、人々が本来津もっている精神的存在を思い起こし、意識変革するような風潮が漂えば明日の世界が見えてくるのだろうと思っています。

 利他村は「ものと心のバランスのとれた共創共生の村つくり」を掲げ、精神的存在としては一万年の間神と自然と共生した世界を創ったと思われる縄文時代の人々の心のあり方に興味をもって学ぼうと思っています

 
posted by コ−エン at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年06月30日

コロナの国難と政権運営の低迷による国難の克服の第一歩はまずは政権交代から

 国難とも言える新型コロナ感染中のオリンピックに「充分な治験もなくリスクも明らかでないワクチン」に対する警告情報も「デマ」と決めつけ、何が何でも「ワクチン接種で集団免疫をつくり打ち勝とう」と開催を推し進める現政権に危険なものを感じています。

 特に安倍政権から管政権の国会運営は絶対多数を背景に充分な説明のないままの強行採決や権力に不都合になれば国会閉鎖が当たり前のようになり、違法とも思える首相の言動に与党議員や官僚の忖度で有ってはならない嘘とはぐらかし答弁が横行し、犯罪行為とも言える公文書の隠蔽、改ざんまで行われ、そのような国会運営に与党の自浄作用が働かないばかりか、財界や司法やましてやメディアまでもが忖度体質に覆われ、またアベノミクスの成果はなく貧富の格差が拡大して一人一人の国民の所得は減少し国の活力そのものが低下し先が見えない状況になっていることこそコロナ以上の国難のようにも思えてなりません。

 そのような、政治不信と活力低下を乗り切るための現実的一歩は何と言っても「政権交代」で、野党が党利党略の小異を捨て政策的に一致できるテ−マだけを掲げ統一候補を立てて選挙で過半数を勝ち取ることで、政権交代後はコロナ後に生ずる世界的な経済破綻(恐慌)を「国民の生活」に焦点を合わせて乗り越え、もはや核.細菌.化学等の近代兵器や無人兵器での戦争は起こせば全世界の破壊になることから、力を背景にした競い合いのための国創りは終わりで、国民の生活を第一と掲げ世界全体が共生する秩序創りに焦点を合わせた政権運営で国難の危機を乗り越え新たな未来社会を目指すような国創りなればと思っています。

 その理想とする未来社会は、過去の「自然を破壊することで物の豊かさを創りだした世界」ではなく「自然と共生し豊かな心と豊かな物のバランスの取れた維持可能な世界」と思っています。

 コロナで言えば「人類は細菌と戦い共生して乗り越えて来た」ように「細菌に戦いながら細菌そのものを絶滅させるワクチンではなく、進化し続ける細菌に過去幾度もあった細菌との戦いで培った抗体力と自己免疫をた助けるワクチン開発」で乗り越え、現実世界で言えば「ものに比重を置いた豊かさ」だけではなく「心に比重を置いた豊かさ」を取り戻し「人が本来もっている物と心のバランスある進歩と調和のバランスのとれた維持可能な共生型の未来社会」を創ることだと思っています。

 それはノアの時代のように神の計らいで大洪水を乗り越え神の導きでノアの家族から新たな世界の始まりに導かれるような他力に委ねるのではなく、今回の新型コロナの大洪水を乗り越えるのは、神は人類自身が反省をし目覚めることで人類自らに未来社会つくりを委ねられているように思えてなりません、ワクチンも人類の傲慢な欲望が入り交じった知恵で、神の領域ともいえる遺伝子組み換え操作で乗り越えようとするのはまさに現在のバベルの塔の建設で、その結果はバベルの塔以上の災いが待っているように思えてなりません。

 今回の新型コロナの国難と政治の堕落はまずは「人の命よりも政権維持を優先するような政権」を交代させ、民の維持可能な生活つくり政策に焦点を合わせ、細菌には神から与えられた自己免疫力と自然治癒力を高める知恵でもって乗り越え、真の人間(ものと心のバランスの取れた人間)として、縄文時代の人々の精神性を取り戻した上での知的科学技術の豊かな未来社会に向かうようになればと夢見ています。
posted by コ−エン at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年06月01日

現在の大洪水を、現在のはこぶねをつくり、現在のアララト山に辿り着き、あらたな始まりをめざして!

コロナ感染の状況からは考えられないような「人命よりも政権優先」で長年必要な治験もないままに人体への影響も定かでない遺伝子組み換えワクチン接種を国民に煽り「何が何でも開催を」と突き進む政権に結局は黙認してしまうような社会には歯がゆさを感じています。

 大きく変わる「コロナ後の社会」にあって、細菌と人間が共生してきた歴史を踏まえた対応で危機を乗え、新たたに始まる世界を示し、人々を導くリ−ダ−が何故か与党にも野党にも現れないのかと思うと、現在が何か人知を超えた流れに入っているのではとの思いを強く持つようになっています。

 確かに物の豊かさの競い合いにより成長を続け到達した現代社会を俯瞰すると、そこは「貧富の格差の固定化」と「差別.排他.分断の増幅」の調和なき世界で、しかもそれに対する自浄能力をも失ってお手上げの状態で、何かの切っ掛けで現代文明そのものが終焉する寸前にあるようにも思えます。

 もし、人知による高度な科学技術を持ってしても終焉の流れを押しとどめられないとすれば、それは旧約聖書にある神との契約を破り堕落した人類を大洪水で終焉させ、選ばれたノアの家族8人と一対づつの動物が箱舟で40日40夜の嵐の中を耐え忍び150日漂い続けアララト山に辿り着き新たな人類の始まりとなったように、人知を超えた計らいでコロナを切っ掛けに更なる自然災害や金融破綻など現在の大洪水により人類を終演させ、選ばれた人々によって新たな始まりへと導くシナリオではないのかなとも思えます。

 新たに辿り着くアララト山は何処かは定かではありませんが願わくば日本からと願いたいもののそれは神のみぞ知ることで人知を超えたシナリオに委ねるしかありません。

 利他村は必ずしも現在の箱舟をつくり、大洪水に耐えながら新たな世界を創ろうとする仲間ばかりでとは言えませんし、またそのような思いをもつ仲間はマイノリティー(少数派)そのものですが、現在を大きな時代(文明)の端境期に生じる危機の時代にあるとの思いは共通していますので、まずは現実的に「食の自給自足の準備」を遅々たる動きですが着実に進めようと取り組んでいます。 

 勿論、目標は高く「ものと心のバランスのとれた、愛ある共創共生の村つくり」で、イメージとしては一万年争いのなかった縄文時代の自然と共に神と共にあった人々の精神性の復活を土台にし高度な科学技術とのバランスのとれた世界です。

 強がりでマイノリティーで独りよがりな思いですが、現在の大洪水を、現在のノアの箱舟をつくり、現在のアララトさんに辿り着き、思い描く新たな始まりつくりへの大冒険も、何もしないままに危機の渦に流されるよりも楽しく生きがいのあるあり方だと思っています  
posted by コ−エン at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年04月28日

コロナ後(アフターコロナ)は「コモン社会」に向かうのでは!

 時代(文明)を大きく変えた14世紀の黒死病や20世紀初頭のスペイン風邪のように新型コロナ後は古い世界に戻ることはないとの思いをもって新たな時代(文明)を創る思いをもつことが大切だと思っています。

 浅い知識ですが私なりに俯瞰して見ると、物の豊かさを競い合い、科学技術を進化させ自然を破壊をすることで成長を続けて辿り着いた資本主義経済は、一方で地球温暖化をもたらし成長にブレーキがかかり、貧富の格差を解消できないで、気づいてみれば平和で幸な社会を生みだせないばかりか、未来そのものを示せない閉塞感漂う世界を創り出したとも言えるのではと思っています。

 新型コロナは正にこのような閉塞した世界を終焉させる言わば現在の大洪水で、人々に意識変化をうながし「現在のノアの箱舟」を創らせ新たな世界に導こうとする「神の見えざる手」ではないかとも思っています。

 「利他の花咲く村」はそのような思いを頭の中に置きながら、現在を時代(文明)の転換期であるとの思いをもつ個人やグループと連携しながら、古い時代が崩壊する課程で生ずる危機への準備をしながら新たに始まる世界を試行錯誤し模索しながら準備をしてゆこうとしています。

 とは言え、現実に生じている危機への準備はある程度思いつくものの、新たなに始まる世界についてはどのような価値観をもってどのような「現在のノアの箱舟」を創れば良いかには中々確信のあるイメージを持つことが出来ないでいました。

 そして以前から科学が示す未来像については理解は出来るもののそれは「人間を中心にした未来社会」で、また宗教が示す未来像も「人間中心の救い」のようでどちらも「人間が中心」で何かすっきりしないで「そうだ!」と言える未来像を描けないでいました。

 ところが最近「そうではないか!」と思えたのが大阪市立大学 准教授 斉藤孝平氏が提唱する「コモン」と言う考え方です。

「コモンとは、水や森林、文化、知識といった根源的な富のこと」でその根源的な富までも利潤追求のために商品化することで自然を破壊し貧富の格差を生み出してきた競争社会ではなく、根源的な富は人々が自主管理して分かち合うことで成り立つ共創社会を創りだす考え方で、それは、利他村が回帰したいと思っている1万年平和な世界を創った縄文時代の人々の世界ではないのか、そこには「人間中心の世界」ではなく「宇宙や自然と人々が一体となって共生する世界」で人はピラピッド世界の支配者ではなく、人はフラットな共生世界を維持管理するために「思考する能力」を与えられ造られた生き物ではとの思いをもつようになりました。

 まだ「コモン社会」については深く学んでいませんので正鵠を得ているとは言えませんが、利他村が目指している共同体(コミュニティー)つくりはまさに「コモン社会」だとのとの思いを強く持つと同時に、コロナ後(アフターコロナ)に始まる新たな世界は「コモン」の考えをもった人々によって創られるのではないかと思いいたりました。
posted by コ−エン at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年03月31日

利他村が目指す共同体(コミュニティー)は!

AI(人工知能)と高度な通信技術とロボットで進化する未来社会は、日本政府が想定している2050年を目標にしたムーンショット計画をはじめ、あの鉄腕アトムが活躍するような社会が生まれるようになればなと夢を膨らませています。

 しかし、進化し続ける科学技術により生み出されている現実の姿は、そのような夢の社会ではなく1%の超富裕権力層と99%の民と言った1:99の格差社会と超監視社会にのように思えてなりません。

 それは「ワクチンを打たない」とか「チップを体内に入れない」と社会生活ができなくなるとか今では「顔認証ですべての人が監視できる」までも可能になっていることから、科学技術の進化はまさに諸刃の剣で人々に夢のような生活をもたらすとは限らず逆に人々を人間家畜化として監視するようなことにもなり得ると思っています。

 勿論、陰謀論や都市伝説にむやみに振り回されることなく、また科学的根拠も定かでない地球磁場(次元)が上昇したとか、キリスト再臨による千年王国から新天新地への精神論的な願望に委ねすぎるのも好ましくはないと思っています。

 ただ、たとえ超格差社会での超監視社会に進むとしても、それは人為的な強制社会であるために必ずバランスを失い、まさにノアの大洪水やバベルの塔のように人知を超えた浄化作用により、世界そのものが精算されすべてが前後裁断され新たな始まりを迎えるだろうと思っています。

 しかし、科学技術の進化によって鉄腕アトムのような輝かしい未来社会が創れないで人知を超えた審判により精算されるとしても、なだ成り行きに流されるのではなく、生きてゆく限り危機の時期を乗り越え新たな世界に相応しい準備をしないと、新たな未来社会には入れないのではないかと思っています。

 「利他の花咲く村」は世界も日本も出口を見いだせないまま危機が生じる時代に入っていることを前提にして、同じような思いを持つ仲間が集い、危機への準備と共創共生による共同体(コミュニティー)つくりで新たなあり方を試行錯誤し合いながら準備をしてゆきたいと思っています。

 そしてまずは、具体的な危機の準備としては「食の自給自足」で、食の一丁目一番地の「米つくり」と備蓄用の根野菜を中心に無農薬栽培を始めてます。

 そして、目指す共同体(コミュニティ−)のイメージは、約16,000年前から約10,000年の間争いのない調和の時代を続けたと言われる縄文時代の人々の生き様を探求し近づければと思っています、それを土台に進化し続ける科学技術を上手く活用しながらの共同体(コミュニティー)のひな形を創ることができれば最高だと夢見ています
posted by コ−エン at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記