2014年08月29日

「調和と進歩のある田舎暮らし」が良い

  7月末に東京から移住希望の30代の家族の住まい探しや8月には約10日間の国際ボランティアによる海外学生の受入そして私(コーエン)の兄弟家族の毎年恒例の「兄弟会」や神戸で田舎でのシェアーハウスの取組をしているグループの合宿の受入などあり利他村では賑やかな夏になりました。

 そして皆さんから「田舎はいいな〜」「将来は利他村のような田舎でのライフをしたい!」とかの感想をいただきました。

 都市の若者の40%に田舎願望があるというデーターもあり「都市文明」が「成長の限界」にあることから、田舎ライフ願望の人が増えてくるのは必然的な流れだろうと思っています。

 こんな思いでいたところ「携帯電話」を誤って紛失し、電話番号を携帯電話頼りでいたものですから外部との連絡ができないで大弱り、さらに新たな機種を買った途端に近くのAUの塔に落雷があったのか通信事情が悪くなり外部との連絡が出来ない日が続きました。

 幸い、紛失した携帯電話に記録していた電話番号をAUのサーバーから復元させることが出来最悪の事態は免れましたが「文明の利器」を失うと途端に外部との対応の本業業務は難しくなり、ましてや自然災害多発の現在一つ間違えば「田舎暮らし」そのものもは全くのロビンソン・クルーソー状態に陥るのではと痛感したしだいです。

 科学文明の都市生活をして来た者にとって「田舎暮らし」は「先祖返りの田舎暮らし願望」や「精神世界探求の人」や短期滞在の「田舎暮らし」はそれはそれで良いのですが、田舎に定住するとなるとなると都市には無い古い仕来りと近所つきあいがあり、折れ合いが上手く行かないと重圧感のある孤立を味わうこともあり、ましてや使い慣れた文明の利器がないと新たな未来志向型の田舎暮らしは難しいのではと思っています。

 「成長の限界」を迎え「科学技術の進歩による豊かさ」に「ちょっと違うのでは!」と思い始めた人々が新たな未来志向としての「田舎暮らし」をするには、ある程度の煩わしさと不便さを受け入れながら自然との調和と同時科学技術を上手く活用しながらのバランスのある生き方をそれぞれがどのように創っていけるかにかかっているのだろうと思います。

 その上で、新たな未来志向の自然と共生を求める田舎暮らしにとって、競争思考ではなく共創思考での共生ライフ仲間が創れるかどうかだろうと思っています。
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2014年07月28日

移住ではなく2居住ライフらダーチャが良いのでは

 利他村のある佐用町は兵庫県の市町村では消滅可能地域の上から2番目の町になっています。

  もっとも佐用町に限らず成熟社会に入った地方の市町村は人口減少の少子高齢化の流れそのもので「移住促進」がなく、これと言った再生の計画もなく旧態然と国の交付金に依存しながらの緊急財政だけでは消滅に向かうのは明らかです。

 私(コーエン)が佐用町に移住した平成19年は2万1千台だった人口は今や1万8千台と減少しており、この延長線上はまさに言わずもがなです。

 そんな予測は移住した者には直ぐに気がつくことで、利他村として当初から「危機感」を訴えと「移住無くして再生無し」「起業無くして移住無し」との活動を始めきました。

 しかし、期待される反面何となく田舎特有の「よそ者に言われたくない」の意識なのか「変化を求めたがらない保守的な風土」なのか何か無言の壁のようなものが感じられるようになり、声高に話すのを控えるようにして、まずは実行有るのみと県の「田舎暮らしセミナー」の相談員を引き受けたり、町と田舎の交流イベントには積極的に出かけ「21世紀は田舎町から新生を!」とPRしたり、また利他村では年数回の「町と田舎の交流イベント」をしています。

 そんなことから、年に1〜2名「佐用に移住をしたい!」と相談があり、喜びいさんで空き屋をあたるのですが、空き家はあるものの貸し家は少なく、また古民家を安く買えたとしても住めるようにするには結構なお金がかかることもあり、なかなか思うように移住に繋がらないのが現状で、最近は「移住促進」はやはり町と地域挙げての支援とムードがないと難しいとの思いを強く持つようになっています。

 そんなことで少し意気消沈気味だったのですが、「週末田舎暮らし」の書籍などで田舎願望の人が多いことやロシアでは人々の殆どがが週末には「ダーチャ(田舎に小さな住み家をつくり農作業)」が当たり前になっていることを知り、移住が難しいようであれば、町と田舎の2居住で新たなライフスタイル」が新たな時代にあった在り方ではないかと気づき始めています。

 そんな折りに神戸のメンバーから「都会に住みながら田舎にみんなでシェアーハウスをして楽しみたい!」との話があり、また日本でダーチャを広めたいと活動を始められたご夫婦が利他村に来られたり、これは新たな始まりへの天からの導きだ!と思うようにして、今までの「移住促進」には拘らないで、週末や長期の連休に田舎町に生きがいをもって来る人が増えることで良いし、人口減少時代に移住促進を競い合うことはまさに利他村の理念とは逆の「ゼロサムゲーム」で競争原理の進め方だと思うようになっています。

 人口減少時代は「成長ではなく成熟」でまさに田舎町は「共創による共同の村つくり」が相応しく「固定した生活の場」としてではなく「維持可能で人間らしい流動的なライフスタイルの場」が新たな時代の方向ではないかとと思っていますし、人口減少があっても消滅しない新たな田舎まちが創れるのではと希望を持っています。

 そんなことから「利他村ダーチャの里」のようなものが作れれば良いな〜と夢を膨らませています。
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2014年05月29日

時代逆行の「積極的平和主義」

 リーマンショック後の世界経済を引っ張ってきた中国では不動産バブルが弾け、またアメリカの力が落ち、世界全体が新たな戦国時代のような環境にあって、安倍政権の「武器輸出3原則緩和の容認」「集団的自衛権」から「憲法第9条の改正」による「戦争の出来る国つくり」を目指すことは「さりありなん」と思えないことはありません。

 しかし、、現在のようなニッチもサッチモ行かない世界の環境は、力を背景にした競い合いの世紀が創り出したもので、それが限界に来ていることの現れですから、今までの延長線上で「戦争の出来る国つくり」を目指すのはもはや袋小路の中での儚い国つくりとし言いようがありません。

 70億人の人がこの地球上で平和に存在するには、もはや「競い合い」ではなく「分かち合い」の世界を創るしか成り立たないのです。

 確かに尖閣列島や竹島そして北方領土など領土権の問題はありますが、過度に「国益」や「愛国心」と言ったことで力の対立を助長し「競い合う」のではなく、むしろ日本は世界に類のない「平和憲法を守る国家」として「憲法第9条堅持」を世界に宣言し、近隣諸国とは不可侵平和条約の締結を目指し解決策を見いだすことが本当の意味での「積極的平和主義」です。

 もはや「核」や「細菌」そして「化学」兵器による戦争にあっては、戦争が起こるとどの国も勝者になることはなく、また「情報技術と無人兵器による近未来戦争」にあっては破壊の増幅でしかありません。

 ましてや、情報化社会にあって個人のパソコン操作によって、イタチごっこのセキュリティーシステムにあって、無限に広がる情報技術を抑止することは不可能で、また原発事故を情報管理で抑止できなかったごとく一端戦争が始まるとコントロール不能となるのは明らかで世界的な破壊につながりかねません。

 安倍政権の言う力による「積極的平和主義」は「競い合い」を前提とした前時代的な抑止力のための「戦争の出来る国つくり」としか言いようがなく、新たな時代の「積極的平和主義」の「分かち合い」による「共存共栄の国つくり」とは全く逆な在り方です。

 「平和憲法」を良しとして公務をされている「天皇」もそのような「力による競い合い」を前提とした国つくりは望んでおられないだろうと思います。
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2014年04月30日

今年度はコミュニティー(共同体)つくりを本格的にスタート

 縁もゆかりも無い田舎町の廃村間近な限界集落に移住して始めた「利他の花咲く村」も7年目に入っています。

 都会から来た得体の知れない人が山の頂上で「利他」と言う宗教用語を付け「自立と奉仕をモットーに物と心のバランスのとれた愛ある共生の村つくり」と活動を始めたものですから、地域の人たちに「何か宗教団体じゃ無いの?」・・・田舎では一端そのような疑いが広がればもはや一環の終わりです。

 心を大切にした活動をしたいのはやまやまですが、あらぬ噂を立てられないように注意を払い、地域の活動に積極的に参加し、21世紀は田舎町から新生を!と町の再生を語り、都市部との交流活動や福祉活動を進め、そんな活動が雑誌やメディアにも紹介されたことから「利他の花咲く村」に対して総じて「都会から来て町おこしを熱心にするグループ」としてのイメージつくりと都市部との交流イベントの恒例化にはこぎ着けたかなと思っています。

 しかし、利他村の目的は「21世紀の新たな共創による共生の村つくり」でイベントが目的ではありません。

 20世紀の高度に進化した科学技術により創り上げた豊かな物質文明が限界を迎え、世界も日本も地球環境も新たな次元にとシフトアップしないと先がない見えない時代に入っています。

 そんな危機感もあり、時間はかかったものの.昨年から「新たな共同体つくり部会」として「めだか村の会」を立ち上げ,まずは「農作物の自給自足」をと農作業から始めています。

 その短い経験ですが「新たな共同体つくり」は単に農業志向の人や田舎願望の人が集って農作業を共同でするだけでは継続が難しい、それも大切なことですが最も大切なことは「夢とビジョン」を共有する同じような意識の人が集うことだと感じています。

 そんな折に藻谷浩介氏とNHK広島取材班の共著の「里山資本主義」がベストセラーになり、また私もメンバーに入っている「太陽の会」の中丸薫氏と船瀬俊介氏共著の「これだ里山資本主義で生きぬこう!」が出版され、同じような危機感と思いの人が多くおられることと、いよいよ気運と時流の時が来たように感じています。

 と言うことで、この気運と時流に乗り、今年度はいろいろな場で「サブシステムとしての自給自足の場をつくる」こと語り仲間を募り「共創による共生の共同体つくり」に焦点を合わせ本格的にスタートしようと思っています。
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2014年04月01日

幸せとは!

 3月は私の本業の一番忙しい時期と利他村の実績報告や県や町への集落再生実績報告の時期が重なり「超繁忙な月」となり一月一回のブログも途絶えてしまいました。

 しかし人が幸せに感じられるのは「自分が成長していると思える時」と「人様のお役に立っている時」と思っていますので繁忙期があること自体まだまだ人様に期待をされているからこそだと思っていますし自分にとっても成長出来る機会を与えられたことですから有り難いと思っています。

 人は自分の欲求を満たすことで幸せを感じます、マズローの欲求5段階説では「生理的経済的欲求」が満たされそれが満たされて次の「安心安全欲求」それが満たされて仲間や地域に受け入れられる「帰属の欲求」そして個性ある人格として認められたい「承認の欲求」そしてそれらが満たされて「自己実現欲求」と進みそのステップがすべて満たされれば究極の幸せを感じられるのだろうと思います。

 それは人類そのものにも言えることで、世界全体で「生理的経済的欲求」が満たされて次なる「平和と災害からの安心安全欲求」と進み、そして「国際連合のような全体の中で受け入れられたい帰属の欲求」から「国としての特色ある地位が認められる承認の欲求」を経て「国民に誇れる国」を実現することが究極の人類や国家の目的なのだろうと思います。

 と講釈をたれましたが「共創による共生の村つくり」をテーマにしている利他村も当然に参加するそれぞれのメンバーが幸せを感じると同時に全体も幸せな村をつくることが究極の目的で、その為にお役に立つことを通じて自分が成長していると感じられることで私は幸せを感じられるのだろうと思っています。

 しかし「言うは易し行いは難し」で人それぞれ欲求の段階は異なっており幸せの感じ方も異なっていますので「これが幸せだ!」と決めつけ行動を促すのは私自身も嫌なことです。

 
 さりとて「共創による共生の村つくり」をテーマにしていますので、メンバーをその方向でコーディネートできないと利他村全体の活動も目的の実現もできません。

 難しいテーマですが 利他村の活動で頭を抱えながら繁忙なる時を過ごせることは有り難いことだと感じられること自体私は幸せなんだろうと思っています。

 

 
posted by コ−エン at 17:06| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記

2014年02月07日

利他村の「利他」とは!

 利他村の活動の第一は「自分が楽しいことを!」だと思っています、ですから私も含めて仲間それぞれが義務感や責任感を感じるような活動はしたくないと思っています。

 そして第二は「仲間が楽しいことを!」と思っています。
しかし、集うことが楽しい「同窓会」や「趣味のグループ」はそれで良いのですが「仲良し会」になってゆくと活動はしだいにマンネリになり続かなくなります。

 人は調和(仲良く楽しい時)を望んでいますが、調和が続くと次第にその楽しみに飽きるようになり退屈を覚えるようになるからだと思います。

 「仲間と共に活動を長く続ける」には「仲間が仲良く楽しい活動」を土台にしながらもその活動が仲間以外の「みんなが楽しいことを!」につながる活動になってゆくことが大切だと思います。

 みんなが楽しいことにつながる活動をするとイノベーション(発展思考)が生じますし、また仲間が共鳴し合う「錦の御旗(目的や理念)」が必要になってきますし、それが更なる楽しみを増幅させることになるのだと思います。

 「プロ野球」に喩えれば「優勝という旗を掲げ」第一は選手それぞれが自分の技能を磨くことです、第二に球団(チーム)一丸となって優勝をめざしプレーすることです、そして第三はチーム一丸になって優勝をめざす姿を観客に楽しんでもらうことで、そこに常なるイノベーションが生まれ更なる楽しみが創り出出されるのだと思います。

 利他村の「利他」とは「人々の幸せ(楽しい人生)」のことで「新たな共創による共生の村つくり」の旗を掲げ、第一に「自分が楽しい(自利)」と第二に「仲間が楽しい(共利)」を土台にしながら第三の「みんなが楽しい(利他)」につながる活動にするために試行錯誤しながらも常なるイノベーションを生み出し続けてゆきたいと思っています。

posted by コ−エン at 20:55| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記

2014年01月27日

「利他」の活動とは!

 利他村の活動の第一は「自分が楽しいことを!」だと思っています、ですから私も含めて仲間それぞれが義務感や責任感を感じるような活動はしたくないと思っています。

 そして「自分が楽しい活動」の第二は「仲間が楽しいことを!」と思っています。
しかし、集うことが楽しい「同窓会」や「趣味のグループ」はそれで良いのですが、「仲間が仲良く楽しい活動」が「仲良し会」になってゆくと活動は次第にマンネリになり続かなくなります。

 それは人は調和(仲良く楽しい時)を望んでいますが、調和が続くと次第にその楽しみに飽きるようになり退屈を覚えるようになるからだと思います。

 したがって「仲間と共に活動」は「仲間が仲良く楽しい活動」を土台にしながらも常に新たなイノベーション「発展」がないと続かないと思っています。

 そして「発展」のためには第二の「仲間が楽しいことを!」から第三の仲間以外の「みんなが楽しいことを!」につながる「錦の御旗(目的や理念)」が出来、それに仲間が共感してそれに向かっての活動が楽しいものになっていることだと思っています。

 第一に「自分が楽しい(自利)」と第二の「仲間が楽しい(共利)」の「調和」を土台にしながら第三の「みんなが楽しい(利他)」につなげる「発展」のための「錦の御旗」を立て「その活動が楽しい」ことであれば活動は長く続くと思っています。

 「プロ野球」に喩えれば、まず第一に選手それぞれが自分の技能を磨きながも第二に球団一丸となって優勝を目指します、そして第三に球団は優勝を目指しながら観客に楽しんでもらい期待に応えるために常にイノベーションをし続けていることによって「選手個人も球団もそして観客も楽しい世界」を創っています。

 私は「利他」とはそのような世界と思っていますし「利他」につながる活動であれば活動は長く続くと思っています。

 「利他の花咲く村」はまだまだ未熟で試行錯誤の連続ですが、自分の楽しみ幸福(自利)と仲間の楽しみ幸福(共利)を土台にしながら、その活動がみんなの楽しみ幸福(利他)につながるためにイノベーションをし続ける・・・・そんな世界を描きながら長く続けられる活動にしたいと思っています。
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2013年12月30日

利他村は相も変わらず「競争から共創」を目指します! 

 突然の靖国参拝、秘密保護法の強行採決や武器輸出禁止三原則の見直しと集団的自衛権の認容の動き、そして憲法第9条を視野にした憲法改正と突き進む安倍首相に内外から疑問の声が出ています。

 ヒトラーも民主主義の選挙によって選ばれた独裁者で、当時のドイツ国民がヒトラーの掲げる政策に一種の高揚感をもって支持したことが始まりです、また戦前の日本の軍国主義も当時の国民がアジアの植民地支配を目論む欧米の列強に富国強兵と殖産興業の政策をもって対峙しようとすることに一種の高揚感をもって支持したことが始まりです。

 そして今、失われた20年から抜け出せない閉塞感漂う世風にあって「日本を取り戻そう」とインフレ目標を掲げた成長戦略(リフレ戦略)に国民が一種の高揚感を持ち支持をしている中での安倍首相の「富国強兵」の進め方がダブって見えます。

 もはや3,000万人の低開発国の日本が明治以降「富国強兵」と「殖産興業」を旗に「競争による成長戦略」を掲げて欧米列強と競い発展してきた時代ではなく、今や「世界第三位の経済大国」にまで発展をし「成熟国家」として人口減少と少子高齢化の「成長の限界」を迎えている国なのです。

 いったい安倍首相の「日本を取り戻そう」と言うのは「明治以降の富国強兵、殖産興業の時代」なのでしょうか、それとも戦後の覇権国アメリカの力の傘の下に高度成長した時代」なのでしょうか、栄光をもう一度と「力を背景にした成長戦略」には疑問を感じざるを得ません。

 また恐慌時の経済再生の政策でもある「第一の矢(金融緩和)第二の矢(財政支出)」も、人口減少の「成長の限界」にあって、経済再生の起爆剤になり成長が継続することはとても思えませんし「第三の矢(成長戦略)」も上手く乗れた一部の企業や一部の個人は潤うものの格差社会を助長させるだけにしか思えません。

「成長の限界」を迎えている成熟国家の先進国のすべてが「競争による成長戦略」を続けることによって「債務危機」に陥り、お金を刷る続け「金融緩和」と「財政支出」によってしか経済の破綻をくい止められないで掻いている姿を見ても明らかで、70億人の世界にあって「競争による成長戦略」は、もはや過去のような世界全体の豊かさを創り出すことが出来ない時代に入っており「共創による共生戦略」に変えるしか未来が開けないように思っています。

「原発再稼働による安い電力で競争力をつける」ことから「自然循環型エネルギで安全で持続可能な共創力をつける」ことは利権構造から抜け出せない現実を見ても至難な道です。

「抑止力と言う名の軍備拡張を背景に競争による成長戦略」から「各国の文化伝統風土と主体的で多様な在り方を統合しながら共創による共生戦略」へも覇権交代期にある世界の現実から夢物語としか言いようがありません。

 しかしそれらは至難の道であっても夢物語であってもその道を創るしか未来は開けないと思っています。

 そのような視点からも安倍首相の進める「富国強兵と競争による成長戦略」には未来はなく「成熟した民主主義の国」として新たな「共創による共生戦略」の流れを創るしかなくそのような流れに変わることを期待するしかありません。

 そして利他村は、相も変わらず来年も「競争から共生に」を合い言葉に小さな流れですが創りたいと思っています。

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2013年11月29日

「特別秘密保護法」は時代の逆行では!

 何でも話せ隠し事の無い家庭は円満です、民主的な国は「個人の尊重」が優先され「公開」が原則「秘密」は例外で、民に対し「秘密」が多く「公開」を制限するのは軍事独裁の国や中央集権の国です。

 勿論、民主的な国でも秘密にしておく方が国民の利益になるような事柄は一定の期間秘密するのは当然ですが、それはあくまで「例外」として国民が納得している場合に限りますし、一定の時期が過ぎれば「公開」し知らせるのは当然のことで、それが「民が主権」をもつ民主的な国の基本中の基本です。

 しかし安倍政権が成立を急いでいる「特別秘密保護法」は「国民の充分な納得もなく」「何をもって秘密にするのかも定かでなく」「いつまで秘密するのかが明らかではなく」ましてや「秘密にするしないの権限は国民ではなく時の政権が持つ」と言ったものですから「民が主権」をもつ民主的な国では許されないことだと思います。

 そしてセットの日本版NSC(国家安全保障会議)の制定に至っては「会議の議事録の保管も公開も義務づけられていない」とのこと、まさに戦前の「治安維持法」のようなもので時代の逆行としか言いようがありません。

 安倍首相の「強い軍事力を背景に強い経済競争力のある国つくり」の言動からも想像はできますが、それは明治維新後の「天皇主権を国体」として「富国強兵」「殖産興業」を旗に世界の列強と対峙し互していた時代の在り方で、安倍首相の「美しい国」の理想は全くの時代錯誤としか思えません。

 日本はもはや低開発の貧しい国ではなく世界第三位の経済大国で、今や人口減少と少子高齢化の「成熟国家」として「成長による豊かな国」から「成長なき新たな豊かな国」をつくる段階に入っており、時のリーダーは強いリーダシップでその未知なる道を国民に示し導くことが求められていると思います。

 現実の世界は、約30億人のBRICsと言われる新興国が「安価な労働コスト」を武器に経済競争力を付け成長の限界を迎えた先進国に勝りつつあります。

 それを「先進国」は実体のない金融力で支配しようとし、軍事的な力で支配を維持しようとしていますが、その延長線上には決して「平和」はなく「戦争」による決着の道しかないように思います。

 しかし、無人兵器や核兵器や化学兵器や細菌兵器が使われる時代にあって、また行き過ぎた競争至上のグローバルな世界は貧富の格差による国際的テロ組織を生み出し、一端戦争が始まると過去の戦争のような勝者と敗者はなく覇権の交代もなく、結局世界全体が放射能や細菌により長い長い年月の苦難の時代をつくることになりかねないと思います。

 そのような時代背景にあって「特別秘密保護法」と「国家安全保障会議」を制定し「憲法第9条改正」「集団的自衛権の容認」「武器輸出三原則の見直し」を目指す安倍政権は時代の逆行としか言いようがありません。

 安倍首相の経済成長戦略も、大胆な金融政策(お金を刷って経済を刺激)と機動的な財政政策(公共投資によって経済を刺激)によって経済は一時的に上昇しますが、第三の矢の民間投資を喚起する成長戦略(民間による自律的経済成長)は、人口減少と少子高齢化により「成長の限界」を迎えた時代にあっては貧富の格差を増幅させるだけで結局は国の借金が増え、人為的なインフレによりやがてはハイパーインフレとなるしか思い浮かべることが出来ません・・そのような過去の在り方の延長線上でどのような未来が描けるのでしょうか?

  
 新たな段階に入った今からの時代にあっては「戦争放棄を謳った平和憲法」を基に近隣諸国との平和条約と不可侵条約を結び「秘密では無く公開を原則」として「競い合いによる経済成長」ではなく「共創による共生の新たな経済」を創り上げることしか「明るい希望のある未来」を創ることができないと思います。

 過去の延長線上ではなく未知なる創世の時代をつくることは至難のことですが、過去の延長線上に明るい未来が見いだせないとすれば、国も民も挑戦するしかありません。 

 利他村は小さな小さな動きですがそんな思いと行動を大切にして行きたいと思っています。 
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2013年10月20日

「障がい者とは?健常者とは?」

 今月27日(日)に利他村で神戸で活躍の「虹の輪コンサート」との共催で、障がいをもつ仲間と健常者が集い「むらとまちの仲間たちによる共創の音楽の集い」を開催します。

 
 ところで「障がい者」とは何なのか?「健常者」とは何なのか?、一般的に「障がい者」とは「身体的なな障害」と「知的な障害(身体の脳の一部が障がい)」そして「精神(心)の障害」をもつ人のことを言うのだろうと思っています。

 しかし「精神(心)に障がいを持つ人」のことを一方で「精神病」として「病人」と呼んでいます、逆に「身体に障がいを持つ人」も内臓の障がいは「病気」と呼んでいますから「障がい者」と「病人」を何を基準にしているのか良く解りません。

 また「健常者」と言うのも何をもって健常者と言うのかも良く解りません、「身体的に健常」であることだけで「健常者」では無いはずで「精神的(心)に健常である」ことも含めて「健常者」と言うのだろうと思います。

 しかも「健常者」と見える人であっても、現在社会にあってストレスや不安から「精神(心)を病んでいる人」は意外に多く、昨今のニュースなどを見ると社会全体が病んでいるようなところから「健常者」と見なされる人が本当にそうなのかどうかも良く解らりません。

 そういう意味で「障がいと病気」を曖昧にしたまま二元的に「障がい者と健常者」と区分すること自体好ましくないように思いますし、正直今回開催する「障がいを持つ仲間と健常者が集う」と言う表現も好ましくないのではと反省しています。

 そんな反省をしながら今回の集いは、障がいと健常の区分のない感性の世界「音楽」で社会的にハンディーを持つ仲間と奉仕(利他)の心をもつ仲間が一つになって共に楽しむ集いになればと思っています。

 人は「物の世界」と同時に「心の世界」に生きています、効率・能率による競い合いの「物の世界」の中にあって身体や知的な障がいをもつ仲間は社会的にはハンディーギャップがあり充分な仕事は出来ません。

 しかしそのハンディーを受入れ精一杯頑張り生きる姿が「心の世界」にあって人々に感動を与え勇気え、助け合いや優しさの心を気づかせます。

 「仕事」とは本来「奉仕する事」で、ハンディーをもつ仲間が厳しい「物の世界」の中でハンディーに負けないで頑張る姿そのものが「心の世界」にあって人々に人としての心を気づかせる大切な仕事をしていると思っています。

 「健障共生(ノーマライジェーション)の社会」の実現は「物の世界」と「心の世界」両面での共生への目覚めから創られるのだろうと思います。

 
posted by コ−エン at 13:22| Comment(11) | TrackBack(0) | 日記