2015年01月29日

イスラム国と「戦争と平和」に思う

 日本人が「イスラム国と称する過激派組織」の人質に取られ、一人は殺害され残りの一人の救出に国民が固唾を飲んで注目をし、マスコミも「イスラム国」を残虐なテロ集団として報道を続けています。

 言うまでも無く自爆テロや残虐な行為は許されることではありませんが、だからと言って「イスラム国」に対してアメリカを始め有志連合の国々が近代兵器を使って殲滅することでテロが無くなるとは到底思えません。

 そもそも「アルカイダ」も「イスラム国」もアメリカが利権確保のために資金や武器を提供し作ったと言われており、また核を保有しているとの誤った判断でアメリカがイラクに軍事介入したことによる混乱が原因でテロ集団がさらに台頭したとも言われています。

 そしてテロ集団が生まれる根本の原因は 長年にわたる列強国による「支配や抑圧」と「貧富の格差」に対する民衆の怒りと抵抗で、列強国が力で押さえつけようとすればするほど抵抗が強くなり、また列強国も抑圧される側も残虐性を増していくと言うのが今日的な状況だろうと思います

 そのような背景や原因に目を向けて根本療法による「抑圧や差別の解消」に取り組むことをしないで「テロとの戦い」と称して力(武器)による対症療法による殲滅作戦は結局は「モグラたたき」と同じでテロが解消できるとはとても思えません。

 そもそも「戦争」が無い状態が「平和」で、力(武器)によって戦争を終結させることは出来ますが、それは力の抑止力による平和で、強者(勝者)と弱者(敗者)の状況が長く続くと、そこに生じる抑圧と格差による不満と怒りが増幅するようになり、やがては「紛争・戦争」へと進み「平和」で無くなります。。

 そのようなことを思い進めると、今回の安倍首相が中東に出向き「中東の平和のためにイスラム国と戦う周辺諸国への支援金の提供」をし、しかもイスラエルと日本の国旗の間でスピーチするなどは たとえ人道支援という名目であったとしても、それはイスラム国から見れば敵側の「力による平和つくり」としか見られないことは明らかで、さらに人質に取られていることを知りながらの安倍首相の言動は確信的な意図によるものだと思わざるをえません。

 そして「危機を作っておいて」それに対して国を守るとして秘密保護法を正当化させ、集団的自衛権そして憲法改正への道筋を作り、戦争の出来る国として富国強兵と殖産興業による「力による平和な美しい国つくり」の思いを推し進めようとしているように思えてなりません。

「テロとは断じて妥協しない!」もそれは力でもって殲滅する側に立つと言うことで、安倍首相は「抑圧と格差」の是正による「根本療法による平和」つくりではなく「力による対症療法による平和」つくりの流れ作っているように思います。

 平和は戦争の無い状態ですから、戦争が起こる根本原因を解消することで平和をつくることが正道で、力による平和つくりはそれは邪道としか思えません。

 願わくば、力による平和を進む有志連合の一員では無く、今回の人道支援も「イスラム国と戦う周辺諸国」だけでなく「イスラム国の中に住む人々」に対しても行き渡るようなことであれば、中立的で平和で経済的に豊かな国として好感を持たれている中東の人たちに更に友好的に評価され、また和の国日本として新たな21世紀の世界のリーダーとして尊敬されるのではと思っています。

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2015年01月28日

イスラム国と「戦争と平和」で思う

「イスラム国と称する過激派組織」に拉致され人質に取られた一人が殺害され残された一人の日本人の救出に国民が固唾を飲んで政府の対応に注目しておりマスコミも「イスラム国」を残虐なテロ集団として報道を続けています。

 言うまでも無く一般市民を巻き添えにする自爆テロや残虐な行為は許されることはありませんが、しかしアメリカを始めとする有志連合の国々が近代兵器をもってテロ集団を殲滅しようとしても「テロ」そのものは無くなるとは思えません。

 テロ集団が生まれる原因は、欧米の列強国の長年に渡る抑圧と差別に対する民衆の抵抗のエネルギーと貧富の格差への怒りであって、そのような民衆の抵抗に対して列強国が力でもって押さえようとすればするほど過激な抵抗となって次第に列強国も抑圧される側も残虐性を増してゆくのは「紛争や戦争」での至極当然な成り行きです。

 そして、そもそも過激なテロ集団の「アルカイダ」や「イスラム国」もアメリカや西洋諸国が利権の確保のために民衆の抵抗エネルギーを利用し資金や武器を提供し作ったと言われており、また核を保有しているとの誤った判断でイラクに軍事介入したアメリカ側の失敗がテロを拡大させた原因とも言われています。

 そのような原因や背景の基に生まれたテロ集団に対し「根本療法」に目をやること無く「対症療法」で「テロとの戦い」と称し列強国の欧米が有志連合をつくり「殲滅作戦」をすることは結局は「モグラたたき」と同じでいつまで経ってもテロは無くなることはなく、ますます過激になり、そのことで各国が恐怖に見舞われるようになり喜ぶのは戦争を商売にする集団だけなのではと思います。

 そのように思い巡らすと今回の安倍総理の「イスラム国と戦う周辺諸国への支援金提供」は、しかも人質に取られていることを知りながらこの時期に中東に行き言動したのは安倍首相の確信的な思いがあったからではと思えてなりません。

 何か「危機を作っておいて」それを口実に国を守るための秘密保護法を正当化させそして集団的自衛権から憲法改正への道筋をつくりをしているのではと思えなくはありません

 しかもイスラエルと日本の国旗の間でスピーチするなどは、いくら「人道支援としての資金援助」と声高に言っても「イスラム国」にとっては敵方への支援行為としか見えないのは至極当然なことだと思います。

 どうも安倍首相の「戦争の出来る国として」富国強兵による殖産興業による「美しい国つくり」は「戦争のない平和」ではなく「強者による平和」な国つくりであるように思えてきます。

 「平和のための戦争」や「テロとの戦い」の言葉で武器を持っての戦いで平和が作れることは到底思えません。

 「争い」があれば「武器」ではなく、その根本原因を解消するしかなく「テロを殲滅」するには武器では無く根本原因でもある抑圧政策と貧富の格差の殲滅に世界全体が取り組むことしかないと思います。

 そして「戦争をしない平和で経済的にも豊かな国」として中東諸国から好感を持たれている日本ですから「イスラム国と戦う周辺国」だけではなく「イスラム国の中に住む人々」にも行き渡る「人道支援」であれば、人質救出はそれほど困難では無く、また日本人を人質にすることも無かったのだろうと思います。

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2014年12月31日

時代逆行の戦後レジームの変更ではなく新たな未来志向としてなら! 

 年末の衆議院選挙は戦後最低の投票率で、有権者の4分の一に満たない支持しかない自民党が圧倒的多数の議席を取り、安倍政権に「白紙委任」を与え念願の憲法改正に弾みをつけたように思います。

 安倍首相の「憲法改正」による「戦後レジーム」の変更によってどのような未来の日本を創ろうとしているのか良く解りませんが、言動から思い浮かぶのは戦前にあった「皇国史観」や植民地支配をされていたアジアの解放を目指し日本中心に世界をまとめようとする「八紘一宇」のような国つくりで、その実現のために憲法を改正して「戦争の出来る普通の国」にしようとしているように思えてなりません。

 人口減少の流れにあって発展の基礎力をなくしつつある日本を、日本的精神を呼び戻して再び成長発展させようとする安倍首相の思いは解らないではありませんが、古代の帝国ローマが滅びたごとく、20世紀の世界を支配したアメリカの覇権が終わろうとしてグローバルになった世界の中で新たに中国を初めとする新興国が台頭している時代にあって、20世紀の欧米の力による「競い合い」の時代の延長線上で「戦争の出来る国」として世界と対峙しようとする国つくりは時代錯誤で時代逆行と思えてなりません。

 各国が「競い合い」によって全体の豊かさを創り出した時代が終わりグローバルな世界になった現在「競い合い」は世界全体に貧富の格差の拡大を助長するばかりで、やがては一握りの富裕権力層が力で大多数の人々を支配する世界となり、その先は全体の秩序崩壊をもたらし、必然的に生ずる紛争で核や細菌兵器や化学兵器が使用され歯止めがなくなり地球そのものが崩壊しかねません。

 トリプルダウン(積み上げたグラスコップの上からシャンパンを流せば順々に下に流れ落ちる)が安倍政権の戦略ですが、それは今日的な弱肉強食の優勝劣敗が当たり前になった「競い合い」の時代にあっては豊かさがスムーズに下に流れることは起こりにくいのです。

 そのような強慾な資本主義がまかり通る時代にあって、未来につながる高度な科学技術力を持ち、また国民性としての「和の精神」があり、そして世界がうらやむ類のない数千年にわたる万世一系の天皇を持ち「君民共生」と言うべき潜在的な意識を持つ日本は、21世紀の秩序のある新たな世界の範となるものをもっている国だと思っています。

 時代の転換期に生じる経済危機と地球の変動期に伴う自然災害が多発している困難な時代にあって、日本は「高度な科学技術力」と戦争をしない国として「戦争放棄」を旗印にして世界に新たな時代の国つくりを示し、70億の民に科学技術力によって豊かさをくりだし「戦争の出来る国」としてではなく「平和を創ることが出来る国」としての戦後レジームの変更を訴える安倍政権であれば、世界からもそして国民からも圧倒的な支持が与えられるだろうと思います。
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2014年11月28日

今回の衆議院選挙に思う 

 閣議で決めることが出来る消費税の延期を問うと言う大義のない今回の選挙と,もともと投票率が悪い師走もあって、選挙準備が整ってなくバラバラな野党からして、組織票のある自民党や公明党に有利な選挙結果がでることが予想され、選挙期間中に余程の出来事が無い限り与党が勝利するだろうと思います。

 そして与党が勝利すると、憲法解釈での「集団的自衛権」や「秘密保護法」、国民の命にも関わる「原発再稼働」の是非についても「国民の審判を得た」ことになり、何となく「白紙委任」となり安倍首相の念願である「憲法改正」と「戦争の出来る普通の国」としての戦後レジュームの変更へと突き進むように思います。

 そうなると、行く先は競争原理で動く世界の中で「抑止力として軍事力」をバックに世界と互する方向ですから当然に各国とも「軍事力」と「軍事同盟の強化」の競い合いをすることになり、その結果何かの切っ掛けで「紛争や戦争」に巻き込まれると言うのは歴史の事実からも解りきった成り行きです。

 また安倍首相は「アベノミクスの成果」を問う選挙と強調していますが「アベノミクス」は金融緩和による円安で株価を上げ輸出を増やし、財政出動(公共投資)で下支えをしながら景気を浮上させ経済を成長させようとしていますが、結果としてその恩恵を受けたのはグローバル大企業と富裕層で、大多数の国民は実質所得が減り消費が減少しそのことによって実質的なGNPも増えないで国の借金が増えただけに終わっています。

 このように安倍政権の国の安全や経済政策からは決して明るい未来は見えていませんが、支持率があまり落ちないのは、おそらく「未来に展望を見いだせなくなっている人々」が民主党政権の失敗もあって「安定多数の安倍政権」に委ねるしか無い「藁を掴む思い」からだろうと思っています。

 しかし現実に世界的な不況や自然災害と紛争が多発する世界にあっては「決められない政治」はダメですが、さりとて安定多数を与え、時のリーダーに「白紙委任」をするような状態は、民が君主を信頼する「良き専制政治」のような状態でも無い限り「悪い民主主義」として危険なことです。
  
 「民主主義」は「決めるには時間がかかる」もので「決められないから悪い」のでは無く「議論なく多数決で決める」ことが悪いのです。その為には少なくとも政権可能な野党ができ、議論を尽くし多数決で決め実行し、その結果悪ければ国民の選択により政権交代させるような形がベターな在り方です。

 小選挙区制度の中で政権交代可能な議席を取るには野党で統一候補を作るしかないことから「選挙協力」がされていますが、まずは「白紙委任」に繋がるような選挙結果にならないように祈るばかりです。

 利他村が望んでいる「競争原理」の優勝劣敗の世界から「共創原理」の共存共栄の世界に変わるには、それこそ異次元とも言える未曾有な世界的な変化がないと難しいと言えますが、少なくとも今回の選挙で「力を背景にした世界」ではなく「平和憲法」を持つ日本から「戦争のない21世紀」への展望の兆しが見えるようになれば良いなと思っています。
posted by コ−エン at 10:42| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記

2014年10月31日

限界を迎えている「競い合い」の社会

 明治の初め日本の人口は約3,000万人、世界も20億人程度、そのような時代にあっては人々が豊かさを求め競い合っても自然を破壊するほどでもなく「個々が豊かさを求め競い合う」資本主義経済は世界の成長の大きな原動力になっていました。

 そして個々が豊かさを競い合うことを是とする資本主義経済は科学技術の飛躍的進化をもたらし農業技術や肥料の改良によって70億人を超える人々の食料を賄うまで世界全体を成長発展させてきたました。

 しかし自然を制服することを是とした「豊かさを求める競い合い」は地球の生態系や地球環境を大きく変えるようになり、未曾有の自然災害をもたらし今日では「豊かさ」ではなく「破壊」をもたらしていることは現在の姿をみれば明らかです。

 さらに「競い合い」は「貧富の格差」と「支配と被支配」を創り出し、紛争や戦争に発展する矛盾を持ち合わせています。

 そのような「競い合い」の矛盾に対して「公平な分配」や「民主主義」の欲求が生まれ、東西の冷戦や対立はあったものの社会主義計画経済は資本主義自由経済の抑止として働きバランスを保っていたように思います。

 しかし、社会主義計画経済が失敗に終わり世界全体がグローバルな市場での資本主義経済になり、さらに「実体の物の豊かさ」ではなく「実体を伴わないお金」を競い合う金融資本主義経済にと変貌し、その結果人(者)は利益追求のコスト(物)となり次第に「倫理」が失われ「貧富の格差」が増幅し固定化が進むことによって世界全体から「倫理とバランス」がなくなり豊かな社会つくりは「成長の限界」を迎えてるようになっています。

 「成長の限界」を迎えた社会にあって新たな在り方の芽生えもありますが、どの国も慣性の法則から抜け出せないで「競い合い」の流れの中で「国益」の主張を強め「軍事力」や「軍事同盟」と言った力を背景にした「競い合いによる成長路線」を続け、戦争放棄を国是としていた日本にあっても「日本版NSC」「集団的自衛権」「特定秘密保護法」により「戦争の出来る国」として時代錯誤の富国強兵・殖産興業を推し進めるようになっています。

 もはや「科学技術の進化」による成長神話は原発の安全神話が自然の脅威に歯が立たなかった如く今からの時代にあってはお題目でしかなく、やがては「競い合い」が創り出した「未曾有の自然災害」「貧富の格差に起因して生じるルール無きテロによる破壊活動」「バランスを失って生じる金融破綻」によって危機が現実化し、それらを切っ掛けに「世界的な紛争・戦争」に巻き込まれ「競い合い」の時代と文明は崩壊し終焉するのだろうと思います。

 当然に「食糧危機」「資源危機」が現実のものになり、力を失った国家や行政からの支援も限られることから、人々の生活そのものも難しく苦難の時代にはいるだろうと思います。

 そのような危機にあって「政財界」や「行政」は力になびく利己的保身がら抜けきれず、対症療法の危機対応をするしかなく、根本療法に繋がるであろう新たな在り方や求めを支援する余裕も意欲も期待できなくなっていることから、生活者や働く人にあってはそれぞれのが危機への準備しながら仲間をつくり「助け合い、分かち合う」関係をつくるしかありません。

 その一つの試みとして「利他村」は新たな取り組みとして都市部の人たちに呼びかけて「自給自足」を兼ねた「週末田舎農園暮らし」を提案して啓蒙してゆこうと思っています。

 取組については「HP」の「利他村ダーチャの里つくり」に載せています、その活動を通じて「分かち合い」の「共創による共生の村つくり」にと進めて行ければと思っています。
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2014年09月29日

「明日のないテロとの戦い」

 中東を拠点とするイスラム過激組織「イスラム国」に対してアメリカの爆撃が開始されテロ集団との終わりなき戦いが続いています。。

 当面「イスラム国」は圧倒的な戦闘能力を持つアメリカの爆撃によって占領拠点は破壊されるかも知れませんが、さりとてテロ集団そのものが無くなることはなくさらに増え続けるだろうと思います。

 確かに「イスラム国」の無慈悲な民間人への殺戮には言いようのない怒りを覚えますがさりとてイラク政府軍の反政府デモ民衆への弾圧も無慈悲な殺戮そのもので、またアメリカ軍の爆撃によって一般市民が犠牲になることからも、どのような大義名分を掲げようとも「一般の市民」を犠牲にすることは許されないことです。

 そもそも「テロ集団」が生じる根本的な原因は「貧富の格差」が「増幅し固定化」しているからで、その解決なくして、アメリカとその同盟国が軍事力でいくら殲滅しても、それはモグラたたきと同じで解決ではなく「テロ集団」そのものがが無くなることはありません。

 もちろん「貧富の格差」は、人であっても国であっても「豊かさ」を求め競い合うことで必然的に生ずるもので、人も国も「競い合う」ことは発展の原動力でもあることから悪いことではないと思っています。

 問題は「貧富の格差が増幅し固定化」することで、そうなると当然に怒りと抵抗が生まれ、さらに富裕権力層がその経済力と軍事力をもって貧しき層の「人間らしい生活」への欲求をも抑圧するような状態が続くと、次第に怒りは過激になり「テロ」へと発展するのも否めないだろうと思います。

 特に東西対立がなくなりグローバルな市場経済になった現在、各国と企業が利潤獲得の過酷な競争を行うようになり、その利潤獲得競争が実体経済だけにとどまらず、実体経済の十数倍のマネーゲームによって倫理なき金融資本主義へと進み、その結果圧倒的な資金力を持つ金融資本や多国籍大企業が勝者として世界に君臨し、各国家にも大きな影響力をもつようになることによって、国家間も国内の中にあっても「貧富の格差」が増幅し固定化するようになり、その結果全体の豊かさを創り出す原動力であった「競い合い」が、次第に全体の矛盾を増大させるようになってきたのだろうと思います。

 「イスラム国」に80ヶ国の若者が戦闘員として参加するのは、歯止め無き競争原理社会の矛盾がそのような行動に駆り立てるのだろうと思っています。

 世界全体が「グローバルな市場経済」「行き過ぎた金融資本主義」「競争至上主義」「人よりも利潤優先」の流れを止められず、その結果生じた「貧富の格差」の「増幅と固定化」が「テロ集団」の根本原因とすれば、今回のアメリカ主導で始まった「イスラム国」殲滅行動は問題の解決ではなくより強力な「テロ集団」を創り出すだけだろうと思います。

 もはや世界は「競争の時代」から「共創の時代」にどのように変えられるかが問われているのだろうと思います。

 しかし世界も日本も「競争原理」の流れが変わりようがなく、さりとて勝者が1%とすれば殆どの人は99%の敗者になるしかなく、さすれば何らかの抵抗運動と連帯して「競争原理」の社会を変える行動をするか、それも20世紀までの古い戦い方だとすれば、負け組でない自分なりの主体的な在り方を創り出すような行動をするか、それも難しいのであれば利他村が目指すような「共創による共生の村つくり」のような新たな在り方を仲間で創り出し新たな源流を生み出すしか無いのではと思っています。
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2014年08月29日

「調和と進歩のある田舎暮らし」が良い

  7月末に東京から移住希望の30代の家族の住まい探しや8月には約10日間の国際ボランティアによる海外学生の受入そして私(コーエン)の兄弟家族の毎年恒例の「兄弟会」や神戸で田舎でのシェアーハウスの取組をしているグループの合宿の受入などあり利他村では賑やかな夏になりました。

 そして皆さんから「田舎はいいな〜」「将来は利他村のような田舎でのライフをしたい!」とかの感想をいただきました。

 都市の若者の40%に田舎願望があるというデーターもあり「都市文明」が「成長の限界」にあることから、田舎ライフ願望の人が増えてくるのは必然的な流れだろうと思っています。

 こんな思いでいたところ「携帯電話」を誤って紛失し、電話番号を携帯電話頼りでいたものですから外部との連絡ができないで大弱り、さらに新たな機種を買った途端に近くのAUの塔に落雷があったのか通信事情が悪くなり外部との連絡が出来ない日が続きました。

 幸い、紛失した携帯電話に記録していた電話番号をAUのサーバーから復元させることが出来最悪の事態は免れましたが「文明の利器」を失うと途端に外部との対応の本業業務は難しくなり、ましてや自然災害多発の現在一つ間違えば「田舎暮らし」そのものもは全くのロビンソン・クルーソー状態に陥るのではと痛感したしだいです。

 科学文明の都市生活をして来た者にとって「田舎暮らし」は「先祖返りの田舎暮らし願望」や「精神世界探求の人」や短期滞在の「田舎暮らし」はそれはそれで良いのですが、田舎に定住するとなるとなると都市には無い古い仕来りと近所つきあいがあり、折れ合いが上手く行かないと重圧感のある孤立を味わうこともあり、ましてや使い慣れた文明の利器がないと新たな未来志向型の田舎暮らしは難しいのではと思っています。

 「成長の限界」を迎え「科学技術の進歩による豊かさ」に「ちょっと違うのでは!」と思い始めた人々が新たな未来志向としての「田舎暮らし」をするには、ある程度の煩わしさと不便さを受け入れながら自然との調和と同時科学技術を上手く活用しながらのバランスのある生き方をそれぞれがどのように創っていけるかにかかっているのだろうと思います。

 その上で、新たな未来志向の自然と共生を求める田舎暮らしにとって、競争思考ではなく共創思考での共生ライフ仲間が創れるかどうかだろうと思っています。
posted by コ−エン at 10:53| Comment(24) | TrackBack(0) | 日記

2014年07月28日

移住ではなく2居住ライフらダーチャが良いのでは

 利他村のある佐用町は兵庫県の市町村では消滅可能地域の上から2番目の町になっています。

  もっとも佐用町に限らず成熟社会に入った地方の市町村は人口減少の少子高齢化の流れそのもので「移住促進」がなく、これと言った再生の計画もなく旧態然と国の交付金に依存しながらの緊急財政だけでは消滅に向かうのは明らかです。

 私(コーエン)が佐用町に移住した平成19年は2万1千台だった人口は今や1万8千台と減少しており、この延長線上はまさに言わずもがなです。

 そんな予測は移住した者には直ぐに気がつくことで、利他村として当初から「危機感」を訴えと「移住無くして再生無し」「起業無くして移住無し」との活動を始めきました。

 しかし、期待される反面何となく田舎特有の「よそ者に言われたくない」の意識なのか「変化を求めたがらない保守的な風土」なのか何か無言の壁のようなものが感じられるようになり、声高に話すのを控えるようにして、まずは実行有るのみと県の「田舎暮らしセミナー」の相談員を引き受けたり、町と田舎の交流イベントには積極的に出かけ「21世紀は田舎町から新生を!」とPRしたり、また利他村では年数回の「町と田舎の交流イベント」をしています。

 そんなことから、年に1〜2名「佐用に移住をしたい!」と相談があり、喜びいさんで空き屋をあたるのですが、空き家はあるものの貸し家は少なく、また古民家を安く買えたとしても住めるようにするには結構なお金がかかることもあり、なかなか思うように移住に繋がらないのが現状で、最近は「移住促進」はやはり町と地域挙げての支援とムードがないと難しいとの思いを強く持つようになっています。

 そんなことで少し意気消沈気味だったのですが、「週末田舎暮らし」の書籍などで田舎願望の人が多いことやロシアでは人々の殆どがが週末には「ダーチャ(田舎に小さな住み家をつくり農作業)」が当たり前になっていることを知り、移住が難しいようであれば、町と田舎の2居住で新たなライフスタイル」が新たな時代にあった在り方ではないかと気づき始めています。

 そんな折りに神戸のメンバーから「都会に住みながら田舎にみんなでシェアーハウスをして楽しみたい!」との話があり、また日本でダーチャを広めたいと活動を始められたご夫婦が利他村に来られたり、これは新たな始まりへの天からの導きだ!と思うようにして、今までの「移住促進」には拘らないで、週末や長期の連休に田舎町に生きがいをもって来る人が増えることで良いし、人口減少時代に移住促進を競い合うことはまさに利他村の理念とは逆の「ゼロサムゲーム」で競争原理の進め方だと思うようになっています。

 人口減少時代は「成長ではなく成熟」でまさに田舎町は「共創による共同の村つくり」が相応しく「固定した生活の場」としてではなく「維持可能で人間らしい流動的なライフスタイルの場」が新たな時代の方向ではないかとと思っていますし、人口減少があっても消滅しない新たな田舎まちが創れるのではと希望を持っています。

 そんなことから「利他村ダーチャの里」のようなものが作れれば良いな〜と夢を膨らませています。
posted by コ−エン at 17:40| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記

2014年05月29日

時代逆行の「積極的平和主義」

 リーマンショック後の世界経済を引っ張ってきた中国では不動産バブルが弾け、またアメリカの力が落ち、世界全体が新たな戦国時代のような環境にあって、安倍政権の「武器輸出3原則緩和の容認」「集団的自衛権」から「憲法第9条の改正」による「戦争の出来る国つくり」を目指すことは「さりありなん」と思えないことはありません。

 しかし、、現在のようなニッチもサッチモ行かない世界の環境は、力を背景にした競い合いの世紀が創り出したもので、それが限界に来ていることの現れですから、今までの延長線上で「戦争の出来る国つくり」を目指すのはもはや袋小路の中での儚い国つくりとし言いようがありません。

 70億人の人がこの地球上で平和に存在するには、もはや「競い合い」ではなく「分かち合い」の世界を創るしか成り立たないのです。

 確かに尖閣列島や竹島そして北方領土など領土権の問題はありますが、過度に「国益」や「愛国心」と言ったことで力の対立を助長し「競い合う」のではなく、むしろ日本は世界に類のない「平和憲法を守る国家」として「憲法第9条堅持」を世界に宣言し、近隣諸国とは不可侵平和条約の締結を目指し解決策を見いだすことが本当の意味での「積極的平和主義」です。

 もはや「核」や「細菌」そして「化学」兵器による戦争にあっては、戦争が起こるとどの国も勝者になることはなく、また「情報技術と無人兵器による近未来戦争」にあっては破壊の増幅でしかありません。

 ましてや、情報化社会にあって個人のパソコン操作によって、イタチごっこのセキュリティーシステムにあって、無限に広がる情報技術を抑止することは不可能で、また原発事故を情報管理で抑止できなかったごとく一端戦争が始まるとコントロール不能となるのは明らかで世界的な破壊につながりかねません。

 安倍政権の言う力による「積極的平和主義」は「競い合い」を前提とした前時代的な抑止力のための「戦争の出来る国つくり」としか言いようがなく、新たな時代の「積極的平和主義」の「分かち合い」による「共存共栄の国つくり」とは全く逆な在り方です。

 「平和憲法」を良しとして公務をされている「天皇」もそのような「力による競い合い」を前提とした国つくりは望んでおられないだろうと思います。
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2014年04月30日

今年度はコミュニティー(共同体)つくりを本格的にスタート

 縁もゆかりも無い田舎町の廃村間近な限界集落に移住して始めた「利他の花咲く村」も7年目に入っています。

 都会から来た得体の知れない人が山の頂上で「利他」と言う宗教用語を付け「自立と奉仕をモットーに物と心のバランスのとれた愛ある共生の村つくり」と活動を始めたものですから、地域の人たちに「何か宗教団体じゃ無いの?」・・・田舎では一端そのような疑いが広がればもはや一環の終わりです。

 心を大切にした活動をしたいのはやまやまですが、あらぬ噂を立てられないように注意を払い、地域の活動に積極的に参加し、21世紀は田舎町から新生を!と町の再生を語り、都市部との交流活動や福祉活動を進め、そんな活動が雑誌やメディアにも紹介されたことから「利他の花咲く村」に対して総じて「都会から来て町おこしを熱心にするグループ」としてのイメージつくりと都市部との交流イベントの恒例化にはこぎ着けたかなと思っています。

 しかし、利他村の目的は「21世紀の新たな共創による共生の村つくり」でイベントが目的ではありません。

 20世紀の高度に進化した科学技術により創り上げた豊かな物質文明が限界を迎え、世界も日本も地球環境も新たな次元にとシフトアップしないと先がない見えない時代に入っています。

 そんな危機感もあり、時間はかかったものの.昨年から「新たな共同体つくり部会」として「めだか村の会」を立ち上げ,まずは「農作物の自給自足」をと農作業から始めています。

 その短い経験ですが「新たな共同体つくり」は単に農業志向の人や田舎願望の人が集って農作業を共同でするだけでは継続が難しい、それも大切なことですが最も大切なことは「夢とビジョン」を共有する同じような意識の人が集うことだと感じています。

 そんな折に藻谷浩介氏とNHK広島取材班の共著の「里山資本主義」がベストセラーになり、また私もメンバーに入っている「太陽の会」の中丸薫氏と船瀬俊介氏共著の「これだ里山資本主義で生きぬこう!」が出版され、同じような危機感と思いの人が多くおられることと、いよいよ気運と時流の時が来たように感じています。

 と言うことで、この気運と時流に乗り、今年度はいろいろな場で「サブシステムとしての自給自足の場をつくる」こと語り仲間を募り「共創による共生の共同体つくり」に焦点を合わせ本格的にスタートしようと思っています。
posted by コ−エン at 16:34| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記