2019年09月22日

憲法改正と第9条と自衛隊について思う 

 第四次安倍内閣は本腰を入れて「憲法改正」に取り組むとのことですが,そもそも時代に即したものに憲法を改正するのは至極当然でそのこと自体は問題はないはずです。

 しかし世論調査で過半数の人が反対するのは「平和憲法と言われる第9条の改正」を危惧するからで、国民の多くは敗戦後連合軍の統治下で制定されたとは言え現憲法(第9条の「戦力不保持と戦争放棄」」)があったからこそ戦後74年の間戦争を起こすことも巻き込まれることも無かったとの思いがあるだと思います。

 確かに世界の情勢は戦後大きく変化して、昨今では経済的な不況や自然災害の増加での避難民の移動(移民)によりEU諸国では国内秩序が壊れ不安定が生じており、又低開発国では対立が増え至る所で紛争が多発して世界全体に世界的戦争も危惧されるような状況に陥りつつあります。

 このような世界状況にあって「第9条の戦争放棄を掲げた平和憲法」を守る護憲を主張するだけでは国際的な要請に答えられないことから、安倍首相が主張する戦後レジーム(憲法を頂点とした日本の基本的枠組み)を変更し「武力の行使と海外派兵」可能な憲法に改正して国際貢献しようするのも解らないことではありません。

 しかし現在の戦争は近代最終兵器(核・生物・化学)とAI掲載の無人ロボット兵器による過去の戦争と全く異なり「起これば勝者も敗者も無くすべてが終わる」時代に入っており「戦争は起こせない」し未来を開くには「戦争を起こさないようにする」しか道がないことから安倍政権の「武力の行使と海外派兵」を可能にする「憲法改正」はまさに崩壊に繋がる時代逆行としか言いようがないと思っています。

 勿論、各地で生じている紛争の解決のための国際貢献や、近隣諸国(中国や北朝鮮・韓国)からの先制攻撃などは考えられないものの偶発的な衝突はあり得ることから「専守防衛」に限定した上での有効な防衛戦力の保持は必要だと思います。

 ただ安倍一強政権の下では十分な説明をしないで強行採決した「安保法制」や「閣議での集団的自衛権の容認」「特別秘密保護法」「共謀法」などやメディアを利用しながら近隣諸国からの危機を煽り国民を洗脳的に誘導するようなあり方を見ると「安倍政権の下での憲法改正」は「専守防衛」を超える武力保持と海外派兵の意図が推し量られることから許してはいけないと強く思っています。

 そして安部首相は「第9条に自衛隊の存在の明記」を主張していますが、自衛隊の災害時での救護や復旧行動には国民は高い評価をしているものの憲法の改正まで求めているとは思えません。

 また国際貢献に応じるために「戦力を持つ自衛隊」が必要であるとしても「有志連合」での派遣要請は問題外で許されるものではありませんが「国連」の決議と指揮下での限定した「自衛隊派遣」についてはそれこそ「憲法の解釈改憲」で国民に十分説明をし国民の納得を得た上で進めることは現実的なあり方だろうと思います。

 このような時代的な変化による国際的な要請には現実的な対応は必要になるものの「戦力不保持と戦争放棄を掲げる平和憲法」は戦勝国の連合軍の下に創られた憲法であるからこそ世界の理想であり目標となる条項であると言えますから「押しつけ憲法」ではなく逆に日本が率先して守る使命があるように思っています。
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2019年08月19日

加害者の立場で韓国の人々の国民感情を思いやり関係改善をする日本を願う!

 最も近隣の韓国と最悪の関係になっています、その原因は戦前の朝鮮併合の時代の慰安婦問題もありますが直近の悪化は徴用工への賠償問題について日韓両国政府の見解に相違があるからです。

 それは1965年に締結した日韓基本条約で「国家間の賠償」の決着はついているものの「個人の賠償請求権」について日本は「個人の請求権も国家間の賠償で決着がついた」と言い韓国側は「個人的請求権は国家間の賠償とは別で決着がついていない」と言うのが表面的な相違でそれはたとえ国際司法裁判に委ねて法的に決着がついたとしても根本的な相違である韓国の人々の根強い国民感情までは解消できないと思えてなりません。

 韓国の人々の「国民感情」は日本の植民地時代の日本名への改名や日本語の強要さらに強制労働と朝鮮の人々に与えた苦痛と苦悩の深さは加害者である日本の私や人々にはわかり得ないことで、それを法的な「国家間の賠償」としてお金で決着がついたと割り切るのは加害者の傲慢そのもので日本はただただ言葉ではなく「反省と謝罪の思いを誠意を持って示す」ことしかないように思います、そのような態度は必ず韓国の人々の心を癒やすだろうと思います。

 確かに多額の賠償により韓国経済を飛躍的に成長させことや経済破綻に陥った時に多額の援助をしたなどあるもののそれでもって免罪されたとして「被害者の感情」を「堪忍袋の緒が切れた」と「加害者の感情」で非難し思いやらなくなるのも加害者の傲慢のように思っています。

 朝鮮半島は古くは文化・技術の伝承国であり、百済と共に白村江で新羅・高句と闘うなど親密な関係があった時代、秀吉の朝鮮出兵・そして戦前の植民地政策による統治などで苦難与えた時代そして日韓会談後はスポーツ交流や経済交流などで友好な関係を築くなど隣人国として良き時悪しき時はあったものの近隣の国として密接な関係を創ってきました。

 今回の関係悪化を招いているのは、それは民間の人々同士の悪化ではなく文在寅氏の日本への潜在的な反日感情を大統領選の支持に繋げようとの思惑と安部首相の執念とも言える「憲法改正と自主防衛」を推し進めるために近隣の中国・北朝鮮・韓国からの危機を煽ることで互いにナショナリズムを為政者の思いに利用していることが最大の原因に思えてなりません。

 歴史の中で特に韓国併合以降「不信が不信を生み増幅する」好ましくない関係を創ってきた事実がありますが、互いの国が両国の立場で主張し合うのは止め、互いの国にとって先の大戦や朝鮮戦争を正しく総括し国民に説明した上で両国が客観的な共通認識を創り出す努力をすると同時に、それらの時代を知らない人々が過去のわだかまりに影響されないで未来志向をもって仲良く交流することで良好な関係を積み重ねることが解決への道だろうと思います。

 新たな21世紀の東アジアは南北統一のコーリアが誕生し民主的な中国に変貌し戦争放棄の平和憲法をもつ日本が近隣諸国との平和共同体をつくるリーダーになることを願ってやみません。
 
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2019年07月31日

「れいわ新選組」に新しい息吹と流れが!

 参議員選挙では自民党.公明党共に投票者数を減らし野党も投票者数を減らし投票率48,8パ−セントと言うのは明らかに民の政治不信の表れのように思います。

 そのような結果にかかわらず安倍政権が与党で安定多数を維持したとして憲法改正を強行に推し進めるのには民の過半数は疑問に感じるだろうと思いますし第9条の改正については大半が否定すると思います。

 そもそも現在のような高度な技術とAIによる自動兵器やロボットが戦闘するような時代で、しかも使われれば敵味方を超えて人類そのものを滅ぼしかねない核や化学や生物兵器の時代に「抑止力」とか「力による平和」を正当化し軍事力を増強するなど全くのナンセンスで、未来は「相互信頼による平和」でしか開かれないとしか言いようがないと思っています。

 しかし残念ながら安倍政権は近隣諸国との信頼を築くことをしないで危機を煽り、安保法政や共謀法や特定秘密保護法を強行採決をし自衛隊の海外派兵に道を開き、アメリカから兵器を購入し軍事力増強を進めていることから、なりふり構わずにあと4議席の確保を目指して憲法改正を強行に推し進めるのではないかと危惧しています。

 民が望まない軍事力強化と憲法9条改正に対して、自浄作用が働かない与党と支持が増えない野党もあって「選挙で政治は変わらない」との民の諦め感があるのは何とも恐ろしいことです。

 ところが、その閉塞感を破ってくれたのが4月に誕生した「れいわ新選組」で、メディアに取り上げられないにもかかわらずSNSと街頭演説で熱狂的な支持を受け4、5パ−セントの支持を受けたのは大いなる光明で「れいわ新選組」が野党と与党も含めてキャスティングボートになって新たな次元の政治へとシフトアップさせるようになればと願っています。

 おそらく過去の新党の新自由クラブや日本新党とは異なり全く組織を持たいない山本太郎氏の主張に共鳴した政治に素人の候補者で立ち上げた新党が熱狂的な支持を受けたのですからポピリズム的な熱狂で終わることなく今後は政党要件を満たし党首討論に登場できメディアに登場することから燎原の火のごとく多くの民の支持を得てゆくだろうと思っています。

 勿論、古い時代の流れの中にある与党からは公約に伴う財政をどうするのかの反論や野党からは連携にあたっての条件などで困難な場面が予想されますが、民と一体となったエネルギーはそれを撥ね除け新たな流れを創り出すと思っています。

 まさに「れいわ新撰組」の誕生は新たな次元への息吹であり未來を開くのろしのように思っていますので、少し持ち上げ過ぎかと思いますが、明るい未来が開かれるかどうかにかかっていますので大いなる期待と共に支援・支持をしたいと思っています。

 
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2019年06月30日

参議員選挙で少なくとも期待し願うこと!

 衆参同時選挙は年金2,000万円問題での国民の怒りを考慮したのか同時は断念され、逆に消費税10%への延期が出来なくなったことから10月以降の経済は消費が落ち込み悪化するのは確実です。
 
 ちなみに安倍長期政権について「アベノミクス」は円安と株価買い支えで名目の経済数値は上がったものの税制優遇などの恩恵で大企業の留保金が増えた一方庶民の給料は下がり続け貧富の格差の拡大し、自慢の世界を俯瞰する外交も結局は資金をばらまいただけで近隣の中国・韓国・北朝鮮との関係悪化が進みロシアとの領土交渉は思うように行かず唯一の拉致問題も膠着したまま、国内政治に至っては森友・加計学園問題での特定者への私的優遇やそれに関わる公文書破棄と不都合なことは逃げとごまかしで乗り越え、本来であれば何回政権交代があっても良さそうな局面も強権による忖度政治で与党からの自浄作用も働かず、さりとて対峙する野党にあっては党利党略が優先し新たな国創りの旗を示せずに辛うじて出来た一人区の統一候補も国民からは選挙目当てと見過ごされ、ただ「他に変わるべきリーダーがない」ことで政権を維持するようになるのにはやるせない思いをもっています。 

 このような状況は最も良い民主主義憲法と言われていたワイマール憲法下でドイツ国民が独裁者ヒトラーを生んだ状態に近いものが現在の日本に漂っているのではないかと思えてなりません。

 確かに世界の先進諸国はおしなべて人口減少にあり、新たな資源を求め軍事力を背景に植民地を求め成長する時代ではなく、世界経済は確実に「成長の限界」を迎えているにも関わらず未来が開けない状況のまま進んでおり、資本主義そのものも実体のない金融資本主義に変貌し旧態依然と力を背景にする軍産複合体と相まって世界の国々を実質的に動かしており刻々と1:99の格差世界が固定化しつつある現状にあって人々の不安と不満がつのり、この閉塞感を打ち破ってくれる「強いリーダー」を願望する思いが潜在化するのは致し方ありません。

 しかし、単に「強いリーダー」を願望するのは「戦争への危機」を創ることによって世界を支配してきた「戦争屋」と言われる金融資本と軍産複合体の描く世界の「強いリーダー」のあり方であって、その果ては破壊と崩壊しかないことを歴史は証明しています。

 まさに安倍政権の「富国強兵・殖産興業」を推し進める国つくりは「戦争屋」の罠にはまった延長線上での「強いリーダー像」で破壊と崩壊のシナリオを繰り返すことは明らかだろうと思っています。

 確かに新たな未来を描き導くには「強いリーダー」が必要なのかも知れませんが、それは力を背景にした「競い合い」による「成長神話」の「強いリーダー」ではなく安部首相が目指す「時代逆行の国創り」に基づく「強いリーダー像」ではありません。

 「成長の限界」にある世界が新たに求める「強いリーダー」は「自然と共生し共に創り出す中で生まれるリーダー」であり「個々の能力を統合し共生をつくりだすリーダー」で「トップダウンではなくボトムアップから生まれるリーダー」だと思っています。

 そしてそれは「平和憲法」と「世界に類のない万世一系と言われ世界からも尊敬されている象徴天皇」を持つ日本だからこそ「新たな旗を立て」世界に示せるのではないかと思っています。

 そのような思いをもっていますので7月の参議員選挙で安倍退陣に繋がる与党の議席減をもたらすのが願いですが、少なくとも未来社会の旗の一つにもなり得る「平和憲法」の改正を断念せざるを得ない議席減少をもたらすようになればと願うばかりです。

 そして一日でも早く「競い合いによる成長の限界を迎えている世界」にあって「共に創る共生を掲げる強いリーダーと民の下に平和で共存共栄の世界を示し導き合う議員が生まれることを願っています
posted by コ−エン at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年05月30日

「令和」のスタート月は残念でしたがそれも新たな始まりの前触れでは! 

 平成天皇の生前退位による新天皇の即位と言うことで「令和元年」のスタートはお祝い月ととして始まりるのではと心躍らせながら持っていました。

 そして世界で最も古いエンペラーでもあり日本の民にとってお祝いと共に心深く静かに敬い迎えながらの「令和」のスタートになれば良いなとの思いをもっていました。

 しかし、そのスタートは残念ながら最初に国賓として迎えたのがアメリカのトランプ大統領で別にトランプ大統領が相応しくないのではなく、その仰々しい迎え方が相応しくないように思え、おそらくそのような思いを持った国民も多かったのではないかと思っています。

 平成天皇の最初の国賓はジンバブエの大統領であったようで仰々しい迎え方は記憶に残っていませんので、今回のように今までの天皇の大相撲観戦とは異なり枡席に特別席を作ってまでの歓迎や今まで見たこともない晩餐会の実況報道まで許し国民を乗せる仰々しさは、まさに安倍首相の人気取りのためのものに思えてなりません。

 日本の民にとって天皇は開かれた象徴天皇として民の心の中に深く静かに敬うシンボルであってその精神的風土はこれからも民が守り育て続けることこそが日本的精神そのものと思っています。

 新たな年号の「令和」の「令」の語源は神の前に膝をつき敬う姿を表し「和」の語源は軍事を蔓延らせるのではなく平和をもたらすことを表しているとの解説もあり、それはまさに日本的精神を表し新たに世界に誇りを持って示せるに相応しい元号だと思っています。

 そのような希望のある始まりを「令和天皇」を頂きスタートになることを期待していましたがこの度の「安倍政権」の対応は国際的にも評価を高めることは決してなく、選挙目当ての売名行為のように思え「それは違う!」と言わざるを得ません。

 安部首相が「美しい日本」を取りもどすと言うのも、今回の天皇利用とも思えるあり方を見ると、天皇を現人神に祭り上げ天皇元首として強権をもって富国強兵と殖産興業の戦前の軍国主義の国作りとオーバーラップするようで、本来日本の民が潜在的に持っている自由で平和な「美しい日本」とは逆に思えて仕方がありません。

「美しい国」とは世界最古の文明とも言われる1万2千年続いた縄文時代の「自由で平和な共存共栄の文化」の遺伝子を持ち、八百万の神々として自然を敬い自然と共にある中で生まれたシンボルとして天皇との君民共生のあり方が日本の民が潜在的に思い描く「美しい国」のように思っています。

 「令和天皇」と共に創る「美しい国」つくりのスタートは残念な月になりましたが、トランプ大統領も安部首相も新たな時代の前に生じる古い時代を壊すための役割で登場したのではないか、そして崩壊の出来事は今後も生じるものの、新たな時代は令和天皇と共に民の中からどんどんと湧き出て日本の民が本来持つ「美しい村」つくりがスタートするのだと思っています

 
 
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2019年03月30日

新天皇と共に新たな豊かな未来が開かれることを!

 あと一月で新年号と新天皇の時代に入り心が高ぶります。

 明治・大正・昭和の軍服姿の天皇の時代が敗戦により平服の「象徴天皇」の時代になりそして新天皇による象徴天皇の時代が始まります。

 私たちは皇室での神事や各国への公式訪問そして先の戦火の被害地域への慰霊訪問や自然災害による被災地域への訪問などを見て「象徴天皇」についてのイメージを持つようになっていますが「日本国憲法」にも「象徴天皇」について具体的な明文はありませんし「皇室典範」を読んだ人も少ないことから「象徴天皇」について私たちは正しく理解しているとは言えません。

 素人判断になりますが日本は「民が主権」の国家ですから「天皇」は「民ではない位」で国事に関するすべての行為は内閣の助言と承認を必要として政治的言動は出来ないように定められていますので「象徴天皇」は言わば「精神的な象徴」で抽象的な存在のように思っています

 その抽象的とも言える「象徴天皇」を昭和天皇から平成天皇は「国民の平和と平穏を祈り日本の象徴天皇」としての在り方を思考され苦悩されながら限られたお言葉とお姿をもって国民に示されたように思います。

 そしてその姿を引き継がれる新天皇にとっても、世界的にも日本的にもAIやIOTの高度な科学通信技術の進化により文明のパラダイムシフトの大変化が予測される時代にあって、さらにより高次な「精神的な象徴天皇」としての在り方を模索し思考されることを思うと私どもには想像できない苦悩があるだろうと拝察するしかありません。

 そもそも日本の天皇は「武力により勝利を得て君臨した権力的な国王」ではなく「精神的な象徴」であって、公的伝記ではないが竹内文書などでは神代の時代の「スメラミコト(天皇)」として伝承され、明治以降では万世一系の「現人神」として啓蒙された時期があり「民が主権」の現在にあっても理屈ではなく日本人の心の原点には敬愛する「精神的な象徴の天皇」として遺伝子にもなっているように思えてなりません。

 そしてこの日本独自の象徴天皇は新たな時代を迎えても変わることはないばかりか、人々の心に潜在化している「和を尊ぶ精神の象徴」としての天皇は日本を超えてパラダイムシフトにより生まれる新たな世界の「平和の象徴」となり得ることだとも思います。

 日本の天皇は世界最古の皇室でその存在は人類的にも「世界の象徴」にもなり得ることで「世界の平和の象徴」として新たな世界を創る潜在的な原動力になるのではと思っています。
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2019年03月14日

今回の米朝会談は残念だったが新たな未来志向で進むことを望みます!

 東アジアに平和の気運が出来ると期待していましたが合意に至らなかったことを残念に思っています。

 そもそも20発あるかないかの核と2兆円に満たないGDPの小国北朝鮮が5,000発以上の核を持ち2,000兆円を超えるGDPの軍事的にも経済的にも超大国のアメリカと対等な交渉が出来るなどどだい無理で、アメリカに屈服するか「体制保障」のお墨付きがない限り国の存立自体が難しいのは解りきっていることだと思います。

 その北朝鮮が国力に見合わない「核保有」を目指したのは「屈服」ではなく「体制保障」を得るための交渉手段として保有したに過ぎないと思っています。

 したがて唯一の交渉手段の「核兵器」を完全放棄しないと「体制保障」はしないと突きつけられても順序が違うので応じられないばかりか核放棄をしたにもかかわらず体制を崩壊させられ殺されたリビアのガダフィー氏や核があるとして体制崩壊をさせられ殺されたフセイン大統領の例があることから不信感をぬぐい去ることは出来ないことであくまで「体制保障」の確約があっての「核の放棄」だろうと思います。

 それではと「経済制裁」や「軍事的圧力」で力でもって屈服させようとすれば金正恩独裁体制であることからも「窮鼠猫を噛む」状態に追い込み「暴発」させることもあり得ることでそれは最悪のシナリオだと思います。

 そもそも金正恩独裁体制を維持するために北朝鮮から「核やミサイル」でもってアメリカや日本を先制攻撃するなどあり得ないことで、そのようなこと自体が即核の反撃によって北朝鮮自体が自滅になることを知らない筈はなく考えられないことだと思います。

 たしかに日本では北朝鮮に対して「独裁政権で人権を無視する国」や「拉致をして理由なく返さない国」とのイメージがあり政権自体も「核の危機を煽り」経済制裁や軍事圧力やむ無として国民を誘導していますが、北朝鮮は日本のGDPの0.3%程度しかなく軍事力も8位の日本に対し18位の小国なのです、逆に北朝鮮から見ればアメリカの核の傘にある日本こそが脅威に見えるのではないかとも思えます。

 さらに「核」について言えば「大量の核を持つ大国の核保有を認めて小国の核保有は認めない」と言った不条理が通っている国際情勢そのものを解決しないと真の世界平和は実現しないと思っています。

 大国が小国を良導し「平和な世界」をつくるには「力で高圧的に小国を説き伏せる」のでもなければ「対等な思いで語り合う」のでもなく「小国が心配する危惧を取り除くこと」から始めることが正道だと思います。
 
 新年号と新天皇で始まる新たな日本が「平和憲法」を誇り世界に示し「平和」をリードする国になればと思うばかりです。
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2019年02月27日

「固定種」で「無農薬」栽培を目指します

 TPPは人・物・金の国境を越えた自由な取引の協定で、国民の殆どが良く理解されないままに昨年末に大筋合意に至っています。

 私もそれほど良く理解はしていませんが、そもそもTPPは人・物・金の国境を越えて自由に取引をすることですから当然に人は賃金の安い国から高い国に移動しますし、賃金の安い国で作られた物が国境を越えて取引されることになります。

 そうなるとグローバル市場では多国籍企業は当然に賃金の低い国での生産を求めるようになり、また国内企業にあっては労働力の安い国の人を受入るようになりますので、その国の人の賃金も次第に安くなるのは至極当然なことです。

 農業で言えば、人件費の高い日本の農家がつくる農産物は人件費の安い国の農産物よりも高くなり自由な取引では成り立たなくなります、現在は農家を守るために国が米の価格を低く決めてその差額を補助金として支給をしていますがそれでも農家の生活は厳しい状態ですので今後さらにTPPによって廃農する農家が増えるだろうと思います、また株式会社が農地を取得できるようになりつつありますので海外資本なども農地を購入するようになり利潤追求に徹する企業の農業ですから当然にコスト削減にもなる農薬や遺伝子組み換えの農業に変わり日本の良き伝統と文化の礎であった農家の姿はなくなって行くのだろうと思います。
 
 さらに危惧するのは殆どの人が知らない間に「種子法の改正」されたことで、現在の農産物の殆どがF1種(種が出来ない一年限りの種子)によって作られたもので農家は「固定種(作った作物から取った種)」ではなく毎年種子メーカーの種を購入して栽培していますので、そして本当かと疑いたくなるようなことですが「固定種」で栽培することを禁ずるよう条項が入っているとも聞いています。

 そうなると今でもスーパー等に並んでいる農産物の80%が農薬や遺伝子組み換え食品と言われていますので今後はさらに遺伝子組み換えと農薬漬けのF1種で作られ農薬を大量にまかれた農地で作られた農産物しか食べられないことになると思うといたたまれないような思いに駆られます。

 残念ながら政府から「TPP]についても「種子法改正」についても十分な説明や対策も示されないままに進んでいますのでをもはや「健康」を思うと自己防衛するしかないと思っています。

 利他村では以前から無農薬ををテーマにして「利他村ダーチャの里つくり(週末は田舎で農園暮らし)」の活動をしていますので今後はさらに意識を「固定種」と「無農薬」での農作物つくりを目指すと共にそのように思う全国の仲間たちとも連帯と交流することに焦点をあわせて仲間と一緒に取り組んでいこうと意を強くしています。

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2019年01月31日

今年は大きな出来事により大きく変化が始まる年のように思います

 アメリカではトランプ氏の自国第一主義の公約通りに民主党が反対するメキシコ国境との壁を強硬に非常宣言により行使を予定し、中東やアフガンからは軍隊の撤退を始め、中国には軍事に繋がるAIや情報技術を押さることと国内産業擁護のために貿易戦争を仕掛けるなどで世界の軍事ばかりか経済秩序を大きく変えつつあり、さらにイギリスの離脱によるEUでの混乱も確実で、またアメリカの経済制裁による中国経済の成長力の低下も確実で、世界経済全体が危機に向かっていながら解決に向かう展望が全く開けない状況が続いています。

 そして日本ではアベノミクスの「3本の矢(大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「投資を喚起する成長戦略」も結局は株価と円安誘導による見かけ上の成長と中国経済に支えられていただけの成長であることが知られるようになり、輸出大企業には恩恵はあったものの人々への所得には反映されずにトリクルダウンは絵空事でむしろ貧富の格差を増大固定化させているだけで未来への展望が開かれない状況が続いています。

このように世界でも日本でも経済的な危機の状況にあって模索はされつつあるものの利害や民族や宗教の対立などが複雑に絡み合って解決方法を生み出せずに閉塞感だけが漂って不安定な社会を生み出しています。

 当然にこのような流れの延長線上には変動期にある地球環境から未曾有の自然災害も相まって世界的経済破綻から戦争が生じご破算的な清算に至ることは過去の歴史が教えるところで、おそらくそのような厳しい危機をもたらすことによってしか新たな始まりが芽生えないのかもしれません。

 日本では明治の初めは戊辰戦争、大正の初めは第一次世界大戦、昭和の初めは世界恐慌(ニューヨークウォール街の株価の大暴落)と 満州事変、平成の初めはバブルの崩壊と言った年号が変わる時期には戦争や経済破綻が生じたように、新たな年号に変わる今年は何か大きな危機的出来事が生じて大きな変化を知る年になるのではと思っています。

 そしてそのような出来事が生じて始めて「茹でガエル」の如くまだまだ大丈夫だと思っている私たちが「ハタ!」と思い知らされのではないかと思っています。

 そのような思いもあって「備えあれば憂い無し」には少し遅いようには思いますが危機に対して「食べられること」が最重要課題になりますので利他村ではさらに「利他村ダーチャの里つくり」の仲間を募り何はともあれまずは「自給自足」が出来るような準備を真剣に取り組みたいと思っています
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2019年01月01日

年頭所感

明けましておめでとうございます

 平成最後のお正月を如何お過ごしでしょか?

 今年は新年号と天皇譲位の年ですから先の見えなくなっている世界でも日本でも何か新たな未来が見え始める年になればなと思っています。

 確かに世界も日本もすごい勢いでAI(人工知能)IOT(もののインターネット)そしてロボット技術が進化し続けていますのでさらに便利な物の社会が生まれるだろうと期待しています。

 しかしそのような科学通信技術の進化は嬉しいことですがそのことによって人々の働き方や生活を大きく変えて行くことは確かでまた不正が出来ないブロックチェーン(分散型自律システム)のような新技術の出現によっておそらく今まで当然と思っていた縦型構造の社会システムが大きく変わるだろう思います。

 さらに管理者を必要としない仮想通貨の出現はおそらく力を背景にしてグローバル市場を支配していると言われている国際金融資本と軍産複合体の基盤を弱めるように働くだろうと思います。

 それは、貧富の格差と固定化により紛争が激化して混乱が進んでいる世界にとって新たに変わる一つの良き方向だと思うものの、しかし何時の時代も世界システムの大転換期にあっては古いシステムの中で地位や利権を得ていた勢力の抵抗があるのは当然で経済的混乱や戦争の危機もあり得ると思いますが新たな世界が創造されるには過去のシステムの崩壊に伴う混乱を乗り越えなければならないのだろうと思っています。

 おそらく新年号と天皇譲位で始まる今年は「災」の一字ではなくより厳しい「崩」の一字に進むように思いますし昨年以上に自然環境や経済環境に厳しい出来事が起こるのではなかと思っています。

 ・・・と新年から明るい話になりませんが、たとえどのような厳しい出来事が生じたとしても「思い」までも現実の厳しさに流されたまた表面的な現実逃避の思いをもってもダメで、難しいことですが「思い」を大切に自分にとって価値ある夢と目標を掲げて前に向って仲間を募り進むことが大切だと思っています。

 そのようなことで利他村は今年は厳しい年になると予測をしながら新たな時代へのひな形つくりを模索しながら「大いなる夢と手堅い活動」をモットーに仲間と共に着実に前を向いて進んでゆきたいと思っています。
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